第2章 水納宏慈は今日も緑茶を飲む

1.イタズラ

 二〇時頃帰宅し、着替えや夕食を済ませたあとは、自室でパソコンを立ち上げた。

 USBを挿し、学校で書き上げたサイの二次創作を開く。


 予習復習などやっている場合ではない。

 罰ゲームでしかないタピオカ屋行きを回避するため、二次創作の完成度を一層高めてやらなければ。


 アニメのコラボカフェとかだったらまあギリギリ行けなくもないかもしれないが、リア充の巣窟などまっぴらごめんだ。

 指先を軽くほぐしてから、俺はキーボードを打ち始めた。


 この二次創作は、一応既に完成はしている。

 だが、駆け足気味に書き上げたものだ。

 改めて読み直してみると、誤字脱字が結構見つかり、適宜修正していく。


 それと、サイや主人公が作中で発したセリフをいくつか引用したのだが、細かい言い回しを記憶違いしていたかもしれない。単行本を開きながら確認する。


 重要なことは、より完成度を高め、より面白いものに仕上げること。

 不要な文章は削り、思いついた新しい文章を加えていく。

 推敲作業、というヤツだ。


(ていうか、なんで二次創作でこんなことしてんだろな……)


 二次創作なんて、他人の目を気にせずに自由に生み出すものだろう。

 そもそも根っこにあるのが自己満足である。

 作品のストーリーからより膨らませたいことや、推しキャラへの愛情表現を、自分の好きなように、思うがままに表現することだ。


 第三者がそれを見て面白いと思うかどうかなんて、関係ないのに。


(先輩め、さてはタピオカいちごオレ飲みたさに不文律を忘れてやがるな)


 先輩の過ちに気付きつつ、とはいえタピオカ屋へは行きたくないので、黙々と作業を進める。

 途中で妹が「パソコン使わせて」とねだってきたが、「いまは無理」と追い返した。


 推敲の末、俺のサイ救済二次創作はさらに納得のいく出来へと仕上がった。


「――やっぱり、書こうと思ってよかったな、これ」


 自分で書いた文章を上下にスクロールしていく。

 そもそも、サイが主人公に選ばれなかったという憤りから生じた動機だ。

 これを書かなければ、俺は鬱憤を作品の酷評という形でネットにぶつけていただろう。


 先輩が寄り添ってくれなかったら。

「悲しいだろう?」と忠告してくれなかったら。

 俺はただの厄介オタクとして、この作品と決別していた。


 いまでもサイが選ばれたほうがよかったと思っている。

 けれど、キコが選ばれてよかったと思っている人もいる。


 先輩にとっては、とても〝尊い〟エンディングだった。

 俺の理想通りでなくとも、この作品は終わったのだ。

 もう続きはないし、覆ることもない。


 ――ならば、受け入れよう。

 そのほうが、決別するよりよっぽどいい。


 何より、サイという魅力的で素晴らしいヒロインに出会わせてくれた。

 その感謝の気持ちは、これからもずっと持ち続ける。


 サイは、俺の中で幸せになれた。

 ……もう、それだけでいいじゃないか。


 今日読んだ最終回と、自分で書いた二次創作。

 この二つをもって、約二年間追い続けてよかったと、この作品のファンになってよかったと、俺は胸を張って言えるのだ。


【ありがとうございました、作者さん】


 末尾に一言だけあとがきを添えて、俺はサイ救済二次創作を書き終えた。


 そのままメールに文章ファイルを添付し、先輩に送信した。


「はあ……つっかれた……」


 やるべきことを終えた俺の身体を、どっと疲労感が襲った。

 一旦パソコンを離れ、ベッドへとダイブする。

 しかし、その疲労感が、なぜか不思議と心地よく感じた。


 締切には間に合った。

 あとは先輩が面白いと思ってくれるかだが……。


(――もういいかな、別に)


 ごろんと仰向けに姿勢を変えながら、俺は小さく笑った。


 やっぱり、二次創作で面白いかどうかなんてどうでもいい。

 面白いに越したことはないが、それよりも先輩には、俺がサイを推す気持ちがどれだけ大きいのか、再認識してもらいたい。


 水納宏慈は、サイのことが本当に好きなんだ。

 読んだ結果、そういう印象を抱いてほしい。

 そういう気持ちが伝わる出来であってほしい。

 それが、一番の感想だ。


 身体いっぱいの疲労が、徐々に充実感へと変化していく。

 そして時間が経つにつれ……なんだか先輩以外の人にも読んでもらいたいという欲求が沸々と湧いてきた。


 ベッドの上でごろごろと数分葛藤した末――俺は起き上がってパソコンの前に戻った。

 インターネットブラウザを開き、創作物投稿サイト『pixvel』の小説コーナーにアクセスする。


 作品投稿ページを何度か出入り。

 文章作成ソフトを起動させたり終了させたり。


 ちらりと単行本の表紙のサイを見やった俺は、拍動を早めつつ、勢いのままに書き上げた文章をコピペして、えいやっと投稿した。


 ――あー、全世界に大公開にしちゃったよ!

 恥ずかしいなぁ!

 ……でも、みんな、読んでよ!

 サイ推しの人、読んで!

 キコ推しの人、不快にさせたら悪いけど、読んでみて!


 アップロードした瞬間から閲覧数のカウンターが回り始める。

 どう思われるかはわからないけれど、俺の二次創作は世界の誰かに読まれていく。


「ド素人の駄文だけどさ……俺と同じ、サイ推しの人の救いになれたら、いいよな」


 自分の文章如きにそんな力などないと知りつつも、何かが届いてほしいと願った。


 しばらく閲覧数の推移を眺めていたが、妹が二度目の「パソコン貸して」交渉に来たので、寛大なる兄精神の元、俺はパソコンの使用権を譲った。


 まあ、やること自体は終わったのだ。あとはゆっくり漫画でも読もう。

 そういえば、まだ今週のホーリーを読んでいないじゃないか。


 重大なことを思い出した俺は、スクールバッグから雑誌を取り出す。

 妹に占拠された自室を離れ、リビングのソファで表紙を開いた。

 すると、


「……ん? なんだこれ?」


 掲載順一番の作品を読み始めようとして、そこに妙な書き込みがされていることに気付いた。


 赤いペンで、表情がどうのコマ割りがどうの、アオリ、フカン、背景、パース、アングル、描き文字、その他俺にはよくわからない単語が、至るところに書き込まれている。

 まるで、編集者や評論家が漫画の作り方を精査でもしているかようだった。


「え、なにこれ。え、怖」


 さらにページをめくって、掲載順二番の作品、三番の作品を開いてみても、同じように赤い文字で埋め尽くされている。

 こんな落書きまみれでは、集中して漫画を楽しめない。


「はあ? ふざけんなよ。まさか憬先輩がこんな……」


 今朝登校前にコンビニで購入してから、雑誌はずっと俺のスクールバッグの中にあった。

 俺には教室で回し読みをするような友達はいない。

 放課後になってから、部室棟の部屋で初めて開いたのだ。


 となれば、こんなことができるのは先輩しかいないだろう。

 俺が屋上で頭を冷やしている間、この雑誌は先輩が一人で読んでいたのだから。


(……でも、憬先輩がこれを?)


 俺は改めて赤文字を凝視する。


 先輩がこれを書いたとして、なんのために? 何がしたくて?

 どう考えても、これは漫画の描き方の品評。あるいは分析だ。


 この一年間、たくさんの漫画を先輩と一緒に読んだ。

 そして、ここが良い、ここが微妙と話し合ったけれど、こんなふうに漫画の創りそのものをあれこれ言うような議論はしたことがない。


 そもそも、先輩はそんなことに興味があるとは思えない。

 先輩が漫画を読むときに楽しみにしているのは、魅力的なキャラと、そのキャラがどんな恋物語を送るのかのストーリーだろう。


(先輩じゃなかったとしたら、一体誰が?)


 もはや辿り着く答えは一つ。

 コンビニで買う前から、既に誰かに落書きされていた。……それしかない。

 運悪く俺がその一冊を買ってしまった、ということだ。


 世の中にはとんでもない悪事を働くヤツがいる。

 だから三次元の世界はクソなのだ。


 少し立ち読みしてから買えばよかったと、俺は後悔の溜息をついた。

 せっかくサイの二次創作を書き上げていい気分になっていたのに、台無しにされた。


 消しゴムをかけて消えるようなものでもないので、諦めてこの状態で読むしかない。

 サイが負けたときとはまた違った怒りを覚えながら、俺は作品を一つずつ読み進めていった。


 書き込みはセンターカラー、今日最終回を迎えた漫画の直前で終わっていた。

 そのため、学校では気付けなかったんだ。

 もしここまでくだらない落書きが入っていたら、俺はコンビニに怒鳴り込んで、防犯カメラを調べるよう要求していただろう。


 思わぬ不運に苛まれたものの、後半は無粋な書き込みもなく、今週もホーリーを楽しむことができた。

 全ての連載作品を読み終え、雑誌を閉じる。


「……おっと、もう二三時か」


 時計を確認すると、深夜アニメの時間が迫っていた。

 当然、漫画だけが俺の二次元ライフの全てではない。


 万全の状態でアニメを視聴すべく、俺は風呂場へと向かった。

 ――さあ、楽しい夜は、まだまだこれからだ!

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