8.先輩の無茶振り

「主人公の告白セリフも、そのときのシチュエーションも、キコの喜び弾ける可愛い笑顔も、全てがキラキラ眩しく光って見えて……ただただ、尊いなあ、と」


 言葉にできない。語彙力消失。

 それらを表す『尊い』は、SNSでよく見かける言い回しだ。


 けれど、あの知的な先輩までもが、そのような感情のキャパシティーオーバーな状態に陥るとは。


「キコが幸せになれてよかったですね」

「うん、本当によかった。…………そ、それと、な」


 顔を俯かせながら、先輩は続ける。


「柄じゃないのはわかっているが……私も、一度くらいあんな結ばれ方をしてみたい……かなと」


 最後のほうは夜闇に消えていきそうなくらい小さな声になっていた。


 一年間先輩と一緒に過ごしてきた中で、薄々気付いていることがある。

 俺と先輩は、共にオタクではあるけれど、作品を享受するときの考え方は異なっている。


 俺は、そもそも二次元の世界にしか興味がない。

 三次元で誰が何をしようと、どうなろうと、どうでもいい。


 一方で先輩は、趣味としての二次元と、自分が生きる三次元を両立している。

 二次元で見たもの、感じたことを三次元へと持ち込もうとする。


 どちらが正しいとかを議論するつもりはない。

 作品の受け取り方やスタンスが異なるだけだ。

 それでも、俺は三次元などとうに捨てているが、先輩は決して捨ててはいない。

 これは大きな違いだ。


「憬先輩ならできますよ、きっと」

「ほ、本当か!? 本当にそう思うか、宏慈!?」


 俺は頷いてみせる。


「そっかぁ……ふふ、宏慈はそう思ってくれるか、ふふふふ」


 にたにたと笑みを浮かべながら、先輩は肩を揺らした。

 雨で濡れるからじっとして。


 先輩の感想を聞き終えたころ、俺達は目的地である駅へと到着した。


「傘、貸していただいてありがとうございました。助かりました」


 電車に乗るのは俺だけなので、ここでお別れとなる。

 俺は傘を返却しようとしたが、先輩の手はなかなか伸びてこなかった。


「憬先輩?」

「……な、なあ宏慈。最後に、ちょっと違う話なんだが」

「なんですか? 他の連載作品なら、まだ俺読んでませんよ」

「そうじゃない。今日、クラスの友人から聞いたんだが、四つ隣の駅の駅前に、新しいタピオカ屋ができたそうだ」

「はあ、そうなんですか」


 クッソどうでもいい。


「で、サイトを調べて、メニューを見てみたんだが、その店にはなんと『タピオカいちごオレ』というものがあるらしいんだ」

「それはおいしそうですねー」


 激しくどうでもいい。


「そうだろう! だからな、その……今度、一緒に飲みに行ってみないか?」

「……え? 俺が? 憬先輩とタピオカ屋?」

「うん!」


 全く予想していなかった話の展開に、俺は全力で首を横に振った。


「いや無理無理無理、マジで無理、勘弁してください。そんな店で俺が何か注文しようもんなら、間違いなく店員に『ここはお前みたいな陰キャがご来店していい場所じゃねーんだよわきまえろキモオタ』みたいな冷たい視線で対応されそうだし、周りの客からも『萌豚はミルクティーじゃなくて脱脂粉乳でも飲んでろ』とか思われて盗撮画像SNSに上げられそう」

「そ、そんなことはないと思うが……」


 大体、そんなパリピな連中が集う店なんて、俺には息苦しくて呼吸止まっちゃうわ。


「……ならばこうしよう。君がさっき書き上げたサイの二次創作を私が読んで、面白くない、あるいは納得いかない出来だと感じたら、罰としてタピオカ屋に付き合ってもらう」

「はあ!? なんですかその主観丸出しのアンフェア条件は!?」


 そんなの、出来にかかわらず面白くなかったと言われたら俺の負けだ。


「ノートパソコンの使用制限を破ってまで書かせてあげたんだ。それがつまらなかったら、パソコンの寿命を削った分、責任をとって当たり前だろう」

「いやそれ憬先輩が好きに使っていいって言ったから……」

「二二時までにはメールで送るんだぞ。一分でも遅れたら、からな」


 なんなんだこの横暴さは。勝負と呼べるものですらない。

 どうしてそこまで俺とタピオカ飲みに行きたいんだ。

 情報をくれたクラスの友達と行けばいいのに……。


「……じゃあ、帰って見直しするんで。……お疲れ様でした」


 傘を先輩に渡すと、深い溜息をつきながら、俺は改札に向かって歩き出した。


「宏慈!」


 と、背後から聞こえた先輩の声に足を止め、振り向いた。


「明日はアニメを見るぞ! ――またな!」


 いつもの凛々しい微笑みを浮かべながら、先輩が手を振っていた。


 明日も変わらず、放課後あの狭い部屋で先輩と落ち合って、一緒にだらだらと大好きな漫画やラノベを読んで、アニメを見て、オタク活動ができる。

 スクールカーストダービー最下位独走の俺でも、そんな高校生活を過ごすことができるのなら。

 幸運で、恵まれた環境にいるのだと理解していた。


 これが二次元に生きる俺の、胸を張れる青春時代の過ごし方。


「楽しみにしてます。――また明日、憬先輩」


 そしてきっと、忌々しいことに。

 次に触れる作品でも、俺の推しは負けるのだ。

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