4.推しを救いたい 1

「――よし、休憩は終わりだ!」


 先輩はいちごオレを飲み干すと、紙パックをソファ横のゴミ箱に捨てた。

 テーブルに置いてあった雑誌を手に取り、俺に差し出してくる。


「すまない、思ったより君が戻るのが遅くて、待ちきれず今週のホーリーを一人で読み切ってしまった。どうする、いま読むか?」


 今日はまだ、最終回を迎えた例の漫画しか読んでいない。

 サイの恋の行方が気になって、真っ先にセンターカラーのページを開いていた。


「いや、家に帰ってから読みますよ」

「そうか。ならさっき言った通り、一緒にサイについて語るとしようか?」

「それもいいですが……今日は俺、サイちゃんの二次創作を書きたいです」


 二次創作。

 一次創作物である既存の作品を下地として、その設定や世界観、キャラクターなどを流用し、新たな創作物を生み出すことだ。

 著作権的に言えば微妙な行為なのだろうが、ファンが作品への愛を示す行為でもあるため、その多くが黙認されている。


「二次創作? 珍しいな。宏慈は一次創作しかしたことないだろう」

「中学生のときは、ちょこちょこしてましたよ」


 中学時代の俺には漫画の話題を話し合う相手などいなかったため、頭の中に浮かんだ二次創作ストーリーを一人ノートに書き連ねていた。

 高校に入ってからは、そうした妄想を先輩と話すだけで満足したので、やらなくなったのだが。


「中学から二次創作とは、なかなか通だな。その頃はどちらかというと、自分自身を主人公に仕立てた一次創作オリジナルストーリーを思い描くものじゃないか?」

「そうですかね?」

「例えば、この腕には冥府の使者『ダークヘルヴォルフ』が宿っているだとか、ある日突然教室にテロリストが乗り込んできて親友が撃たれ、その怒りから愛の戦士『ラ・アンジュ』として覚醒し全ての悪を駆逐するだとか、この世界は既に何度か滅んでいて、今度こそ故郷の滅亡を食い止めるべくループを繰り返しているだとか……」

「憬先輩、そんなこと考えてたんですか……」


 じっとりと、可哀想な子を見るような目で先輩を見つめる。


「な、なんだその目は! 昔の話だぞ!」


 先輩は頬を膨らませてぷいと横を向いてしまった。

 意外だ。いまの先輩は恋愛ものが好きだから、てっきりコテコテの少女漫画を読んで育ったのかと思っていたが。

 しっかりと例の病を患っておられた。


 俺はそんな空想を膨らませたことはない。

 かつて一時だけ生み出していた一次創作も、俺が主役なんかではない。


 自分の程度は小さい頃から知れている。

 俺が故郷滅亡を食い止められるような主人公たる人間じゃないことはよくわかっているのだ。


「憬先輩の黒歴史ブラッディーメモリーは置いておいてですね」

「ブラッディーメモリー言うな!」

「やっぱり俺、サイちゃんが幸せになるところが、最初からずっと見たかったんですよね」


 テーブルに積まれた単行本の巻数を一つ一つ数えながら、俺は吐露する。


「六話前、主人公がサイちゃんに言った、『お前がいなくなった日常なんてあり得ない! だから俺はお前を救う!』ってセリフ、覚えてます?」

「もちろんだ。感動的なシーンだったな」

「あのとき俺、あ、これサイちゃんエンドだって確信したんですよ。ついに俺の推しが選ばれるんだって。報われるんだって」


 その確信は誤りで、結果はキコエンドだったわけだが……。


「あの場面から、サイちゃんが主人公に選ばれるまでの話を書きたいです。ただの自己満足だってことはわかってます。それでも……俺の妄想の中でくらい、幸せになってほしいんです」


 哀れなサイに救済を。

 主人公が彼女を救い切れなかった分を、補完してあげるのだ。


「……やっぱり優しいなあ、君は」


 先輩が目を細める。


「これは優しさとかじゃなくて、追い続けたこの作品の終わりを見届けるために、俺にとって必要なことだと思います。でないと本当に、さっき憬先輩が言った通り――この作品のことを嫌いになって終わっちゃいそうですから」


 俺の決意を聞いた先輩は、納得したように「そうか」と頷いた。

 そのままソファから立ち上がると、備品棚からノートパソコンを引っ張り出し、電源コードを繋いで俺の前に置いた。


「今日は好きに使うといい」

「……いいんですか? スマホでも書けますよ?」

「効率が違うだろう。それに、宏慈が書いた二次創作を、私も読んでみたい」


 先輩はソファには戻らず、テーブルの対面に置かれたスクールチェアに座った。

 作業の邪魔にならないように、という配慮だろう。


「ありがとうございます。なるべく早く終わらせますんで」


 俺は先輩に一礼してから、電源ボタンを押した。


 このノートパソコンは、普段はアニメの視聴用に使用しているものだ。

 だが高校の備品故にスペックは低く、年月もだいぶ経っており。

 動作は不安定で、いつ寿命を迎えるかもわからないという恐怖の中で日々運用している。


 サブ研が廃部となり、部費が一切出ないいま、もし壊れてしまったら新しく買い替えることはできない。

 俺も先輩も私物のパソコンはデスクトップ型であるため、この部屋に持ち込むことは不可能。

 もはや、スマホの小さい画面を二人で顔を寄せて視聴するしか手段はなくなる。

 備品の中にモニターはないのだ。


 壊さないために、先輩はこのノートパソコンに使用制限を設けている。

 具体的には、

 ・起動させるのは週三日、一日二時間まで。

 ・気温があまりにも高い、もしくは低い日は起動不可。

 ・アニメ視聴にのみ使い、調べ物やネットサーフィンはしない。

 ・機体に衝撃を与える行為はNG。

 など。


 そのルールを破ってまで、先輩は俺に二次創作をさせてくれると言った。

 感謝してもしきれない。


 きゅいきゅいと妙な異音を立てながら、ノートパソコンが立ち上がった。

 早速、文章作成ソフトを起動させる。


 化石と表現して差し支えない貧弱な性能だが、文章を書く程度なら問題なく動くはず。

 熱暴走に注意しつつ、あとはキー入力をソフトタッチで。

 エンターキーを「ッターン!」など論外だ。


 俺は一つ息を吐いてから、キーボードに指を乗せた。


 漫画にしろ小説にしろ、物語を生み出す際は、その構成表、いわゆるプロットをしっかりと考えてからかき始めるのが定石だろう。

 以前稚拙な一次創作をしたとき、俺もまず初めにプロットを書いた。


 だけど、サイの二次創作をするこのときだけは、プロットなど必要ない。

 作品のファンになったときから何度も何度も、サイの明るい未来を、こうなってほしいという希望の結末を思い浮かべ、ときに先輩に語ってきたのだ。


 特に六話前、あの話を読んだ直後から、毎夜ベッドの中で、最終局面へのストーリーラインを妄想した。

 サイが選ばれる。俺の推しが勝つ。そんな終局を夢見て。


 あり得なかったエンディング。

 無残にも作者に否定された最終回。

 いま書きたい話は、この目で読みたかった話は、俺の頭の中にある。


 指がキーボードの上を走る。

 ただの一瞬も静止することなく、電子空間の紙の上に、俺の創作世界が刻まれていく。


 こんなにも書きたいことがあったのかと自分でも驚いた。

 一次創作をしていたときよりも遥かに筆が早い。

 これが俺のサイへの愛か。


 ……いや違う。この原動力は、俺の愛なんかじゃない。

 俺が思っていた、サイの、主人公への愛だ。

 俺が思っていた、主人公の、サイへの愛だ。


 愚かな主人公よ。お前は、サイがいなくなった日常なんてあり得ないと言った。

 そこにサイへの好意はなかったのか。

 ただ大切な存在としか見ていなかったのか。


 違うはずだ。お前はサイが好きだった。

 キコと同じくらい、サイのことが好きだったんだ。


 ならばなぜキコ一人を選んだんだ。

 キコのほうが胸が大きいから?

 そんな下卑た理由じゃない。


 救うと言ったのに救い切れなかった。

 そう思ったから、お前はサイから逃げたんだろう?


 くだらない罪悪感。

 お前は、自分がどれだけサイの日常に彩りを与えたと思っている。

 お前と出会えたその時点で、サイはとっくに救われてるんだよ。

 気付け、鈍感バカ主人公が。


 俺が気付かせてやる。

 知りさえすれば、お前がとる選択は簡単に思い浮かぶ。


 だってそうだろう。お前は〝イイヤツ〟なんだから。

 なあ、ダブルヒロインを差し置いて、人気投票第一位のヒーローさん?


 白い電子紙に入力されていくのは黒い文字列のみ。

 けれど、俺の目にははっきりと漫画の世界が浮かんでいる。

 作者の絵柄で、アニメの声で、あり得たかもしれないもう一つのラストダンスを描いていく。


 そして――――

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