3.サブカルチャー研修会

 放課後を先輩と一緒に過ごすようになって、もう一年が経つ。

 ここは、サブカルチャー研修会という同好会の部室(会室?)。


 だが、サブ研と呼ばれた同好会は、もはや存在しない。

 ウチの高校は、部活なら五人、同好会なら三人のメンバーが必要らしく、シンプルに人数不足が原因だ。

 そもそも、俺が入学した去年四月の段階で、メンバーは先輩ただ一人となっていた。


 だというのに、こうしてまだ部室を使うことができているのは、決して無断占拠というわけではない。

 先輩が、教師達に土下座して頼み込んだからだ。


 新入生が一人入ってくれた。

 彼のためにも、せめて自分が卒業するまではこれまで通り部屋と備品を使わせてほしい。


 教師のほうが狼狽するほど、先輩は必死に懇願し続けたのだ。

 先輩の熱意(というか意地)に教師達も折れ、サブ研は活動を続けることができるようになった。


 とはいえ、サブ研自体は昨年四月で廃部となったので、部費は一円も支給されないし、顧問も付かない。

 文化祭や部活会議などにも一切参加できないし、当然校外活動も行わない。

 新入生歓迎会で配られる部活紹介の冊子でも紹介してもらえなかったため勧誘活動ができず、今年の新入生は一人もいない。

 先輩が卒業する来年三月で、完全に消滅する運命にある。


 もはやオタクの女子と後輩の男子が、放課後だらだらと自分の小遣いで買った漫画やラノベを読んだり、アニメを見たりする、ただそれだけの空間だ。


 健全な学内活動とは到底言えないだろう。

 でも、その不健全な毎日が、いまとなっては嫌いではない。


 中学では帰宅部だった俺は、高校でも一匹狼を貫くつもりだった。

 唯一の趣味の漫画やアニメだって、一人自分の部屋で嗜むものだと思っていた。

 オタクは得てしてインドア派。我が家こそが安住の地である。


 ……けれど、高校に入学したあの日。


『――漫画、ライトノベル、アニメ。日本が誇るサブカルチャーを、一緒に楽しまないか?』


 新入生歓迎会の壇上で熱心にサブ研の勧誘をする先輩を見て、俺は心惹かれた。

 誰かと一緒に二次元の世界を追ってみるのもいいかもしれない。

 不思議と、そう思えたのだ。


 それが幻想だったならば一日で辞めてしまえばいい。

 趣味に人間関係を持ち込むのが煩わしければ、中学のときと同じ孤高のはぐれ狼に戻ればいい。

 言い訳と逃げ道を用意しつつ、俺はサブ研の扉を開いた。


 結果、俺は高校で唯一話が通じ合える先輩と、趣味を共有する楽しさを知ることになる。

 同時に、俺の推しヒロインが負けたとき、怒り嘆き悲しみ落ち込む俺を慰め、寄り添ってくれる存在も得ることになった。




「まさか入った途端に廃部になるとは思いませんでしたけどね」

「な……なんだいきなり」

「あ、いや別に」

「私だって責任を感じているのだぞ! 必ずサブ研を存続させると先輩方に誓ったのに、私の代で潰してしまったのだ。もしもふらりと訪問に来られでもしたら、伏して詫びるより他ない」


 幸せそうな顔をしていちごオレを飲んでいた先輩は、一転沈痛の表情を浮かべた。

 ……まずい、余計なことを言ってしまった。


「憬先輩のせいじゃないですって。ちょっと時期というか、運が悪かっただけですよ」


 サブ研は、共に廃部の瀬戸際だった文芸会と漫画研究会が、双方を存続させる苦肉の策として合併し、数年前に誕生した同好会らしい。

 だから、いつ潰れてもおかしくないギリギリの状態――否、どう転んでもいずれは消えていく未来しかなかったはず。

 先輩一人が責任を背負うようなことはない。


「しかし、私があと一人でも勧誘できていれば……」

「それを言ったら俺だってそうですよ。俺が同級生を一人でも誘えたら、サブ研は存続できていました。だから、憬先輩に責任があるというのなら、俺にもそれ以上の責任がありますよ」


 俺はあり得ない仮定の話をする。


 スクールカースト最下層の勧誘話に同級生が耳を傾けてくれるなんて、万に一つもあるはずがない。

 サブ研。そんなところに入ったら、周囲から俺と同類人間だと見なされ、身分の大転落を意味するのだから。

 故に、俺がそんな人間であること自体が、サブ研滅亡の一因なのだ。


「それにほら、サブ研が存続してようがいまいが、こうして活動できてるんですし。むしろ面倒な活動報告とか書いたりする必要もないので、俺的にはこっちのほうが気楽でいいかなーって。だから、ここに来てよかったって思ってます」

「……宏慈、君は優しいな」

「え? いやいや俺なんかクズですよ」


 迂闊な失言で先輩の悔恨の念を抉ってしまうような後輩が優しいはずがない。

 優しいとは、愚かで幼い後輩にいつも寄り添ってくれる先輩のためにある言葉だ。


「さっきも、憬先輩が横にいることも忘れてサイちゃんのことで荒れて……」

「いいや、君は本当に優しいよ。優しいからこそ、サイが報われなかったことに、そこまで腹を立てるのだろう?」


 先輩は柔らかな笑みを俺に向けた。


「サイだけじゃない。様々な作品で好きなキャラが浮かばれない結末を迎える度に、君は『なんでだ!?』と怒る。それは、君が心の底からそのキャラの幸せを願っていたという証だ。それを優しさと言わずなんと言う」

「そんなの、ただ推しが負けてイラついてるだけですよ」

「私はそう思わない」

「……仮に、それが優しさだったとしても、その対象が二次元の女キャラとか、すっげぇ気持ち悪いヤツじゃないですか。いやまあ、どっからどう見てもキモオタですけどね、俺」

「別次元の存在に寄り添うことができる人間がどれほどいるだろうか。少なくとも、私にはできないよ。キャラの恋路や人生の分かれ道を、自分の身に起きた出来事のように捉えることは」


 ……一体なんなんだ、これは。

 先輩は、どうしてこうも俺を褒めそやす。


 肯定されることには慣れていない。

 やり場のない感情が、うっかり頬に赤みとなって出てきそうになる。

 顎を撫でたり、ソファの背もたれに合わせて身体を反らせたりしたのち、


「……じゃあまあ、いち意見ってことで、ありがたく受け取っておきます」


 礼を言って頭を下げることでごまかした。


「……でもな、宏慈。その優しさが、君自身を苦しめているんじゃないかと、私は時折心配になる」


 笑顔から一転、先輩は真剣な眼差しで続けた。


「漫画やアニメは本来娯楽、楽しむためのものだ。……が、こうも毎度腹を立てられると、いつか君がそれら自体を苦痛に感じるようになってしまうのではないかと、不安でたまらない」

「それなら大丈夫ですよ。確かに推しが負ける度にやいのやいの言ってますけど、子供の頃からのオタク気質なんで。てか、唯一の趣味、生き甲斐ですし」


 そもそも三次元に居場所のない俺にとって、二次元だけが俺の生きる世界だ。

 二次元こそ俺の日常。そして悲しいことに、推しが負けるのも日常茶飯事。


「それならいいが……。私にできるのは、君が必要以上に傷付くことのないように、共感するくらいだからな」


 そう言って、先輩は下から覗き込むように俺の顔を見つめる。

 憂わし気に垂れた眉が、先輩の心情を表していた。

 俺にそんな表情を向けてくれる女の子は、この学校に先輩しかいない。


「……憬先輩、かっけーす」

「いち意見として、ありがたく受け取っておこう」


 俺と違って褒められ慣れているのだろう。

 俺を覗き込んだまま、先輩は再び口角を上げた。


 間近で見る先輩の笑顔は、二次元の美少女のそれに匹敵するのではないかと、柄にもなく一瞬錯覚してしまった。

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