2.緑茶といちごオレ

「はあ……」


 校舎の屋上から校庭を見下ろしながら、俺は二本目の緑茶のペットボトルを口にした。

 視線の先では、テニス部とハンドボール部の生徒達がけたたましい声と共にあくせくと汗を流している。


(よくもまあ、毎日毎日あんなに走れるねぇ)


 尊敬八割、呆れ二割といった割合で、心の中で彼らに拍手を送った。

 俺はスポーツに興味がない。

 やることも見ることも、体育の授業を除けば一切ない。


 同じ高校の生徒として、全国大会目指して頑張ってほしいとはまあ多少は思わなくもないけれど、試合を見に行って声援を送ろうなんて気は全くしない。

 もしも「○○部が全国大会に出場するので全校生徒で応援に行きます!」なんてことになったら即座に仮病を決め込むだろう。


 彼らの青春は彼らだけの青春であり、俺の青春ではない。

 巻き込まれるなどごめんこうむる。


 俺と、妻館憬先輩の青春は、オタク活動に勤しむことだ。

 青春時代の過ごし方は人それぞれ。そこには優劣も上下もないはずだ。


(ま、スクールカーストはあるんだけどね)


 ふっ、と自虐的に鼻を鳴らした。

 先輩はともかく、俺は最下層の住人だ。

 彼らと俺とでは住む世界が違う。世界に求めるものが違う。

 

 そもそも俺は、自分が生きている三次元よりも、二次元の世界の出来事に興味を持つ人間だ。

 一般的な高校生とは何もかもが異なっている。

 それ故に、相互不干渉が一番なのだ。


 緑茶をあおると、視線を青春煌めく校庭から淀んだ空へと向けた。

 今朝家を出たときは晴れていた。

 しかし、放課後のいまは鈍色がかった雲が広がり、青空は雲の隙間からほんの僅かに見える程度となっていた。

 気温も若干下がってきた気がする。


(……雨になったら嫌だな。傘、持ってきてないし)

 

 腕時計を確認すると、一六時を回っていた。

 頭を冷やすと言って先輩と別れてから、もう五〇分近くが経っている。


 ひんやりとした四月の空気と、渋い緑茶のカフェイン効果で、大分心の落ち着きを取り戻せた気がする。


(――そろそろ、戻るかな)


 このまま空や校庭の様子を眺め続けても、時間の浪費以外の何物でもない。

 外に出た目的は果たせたのだから、早く活動に戻るべきだろう。


 残りの緑茶を一気に飲み干す。


「……ああ……渋いなあ」


 緑茶を一リットルも買うんじゃなかった。口の中が激渋だ。

 空になったペットボトル二本をゴミ箱に捨て、階段に向かって歩き出した。




 俺がいたのは校舎の屋上。すなわち、日中授業を受ける教室がある建物。

 先輩がいるのは文化部部室棟の一部屋で、一度校舎を出てから中庭横の渡り廊下を通って向かう必要がある。


 途中、校舎二階の購買部に再び寄り、自販機で先輩の分の飲み物を買った。

 一階から校舎を出て、渡り廊下を歩く。

 中庭では、美術部と思しき女子達がぺちゃくちゃとお喋りをしながら緩い雰囲気で写生をしていた。


 中庭を抜けると、文化系の部や同好会の部室が集まった部室棟がある。

 部室棟といっても、校庭の隣にある運動部部室棟と比べたら至極簡素なものだ。


 そもそも、大半の文化部はあまり部室を必要としていない。

 吹奏楽部は音楽室で活動するし、生物部は生物室、美術部は美術室と、校舎にある教室だけで十分活動できるからだ。


 校舎の教室が使えないようなマイナー活動をしている小集団に、この部室棟の狭くてかび臭い一部屋が与えられることになる。

 ……俺達のような、な。


(まあでも、放課後自由に過ごせる場所があるだけでありがたいか)


 そう思いながら、俺は自分が戻るべき部屋――【サブカルチャー研修会】の札が掛けられている扉の前に立った。


「戻りましたよ、憬先輩」


 ドアを開けて中に入り、先輩に挨拶する。


「ああ、おかえり宏慈。どうだ、落ち着いたか?」

「はい、なんとか。……すみませんでした」


 深く頭を下げ、謝意を示す。

 取り乱して声を荒げたことと、飲み物をおごってもらったことについてだ。


「いいから、ほら、座れ」


 先輩はソファの右側のスペースを示す。

 俺はもう一度軽く頭を下げてから、自分の定位置へと座った。


 ソファの前のテーブルに、本が何冊か積み上げられている。

 今日最終回を迎えた、例の漫画の単行本だ。

 俺が外に出ている間に、本棚から取り出して読み返していたんだろう。


「これ、先輩の分です」

「おおーっ! 気が利くじゃないか宏慈!」


 俺はテーブルの上に先程購買部で買ったいちごオレを置いた。

 歓声をあげた先輩は飛びつくように手を伸ばし、紙パックにストローを突き刺す。


「君もこれを飲んだのかな?」

「いや、緑茶にしました。おかげで舌がしぶしぶの渋井丸宏慈ですよ」

「なんだそれは。疲れたときやつらいときは糖分を取れといつも言っているだろう」


 先輩は肩を揺らしながらいちごオレを飲み始めた。


 ふっくらとした唇が半透明のストローを挟み込む。

 中の空気を少し吸い込んでやれば、気圧のバランスが崩れたストロー内をいちごオレが伝い、先輩の口へと運ばれていく。


 いちごの赤とミルクの白が混ざった液体は鮮やかなピンク色だが、それを飲み込む先輩の唇もまた、それ以上に艶やかなピンクだ。


 ……改めて、先輩は綺麗な人だと思う。

 三次元の人間に一切興味がない俺でさえも、先輩の容姿が他の女子生徒達と比較して抜きん出て整っていることはわかる。

 それでいて口調は凛々しくて格好良いし、勉学優秀、運動もそつなくこなせると聞く。

 実家は名家のお嬢様。

 にもかかわらず己の出生を気取らず、他人を気遣う優しさも持ち合わせている。

 人間としての資質や器量が常人とは桁違いの女の子、それが妻館憬先輩だ。


 そんな先輩の趣味が、俺みたいな陰キャオタクと同じだってのが信じられない。

 あといちごオレが大好物ってのも信じられない。


「……そんなに見られると、飲みにくいのだが」


 先輩の抗議を聞いて、俺は慌てて目を逸らした。

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