二次元しか愛せない俺に三次元美少女との青春が過ごせるわけ……ない
芝宮青十@電撃大賞受賞作6月7日発売
第1章 推し、負ける
1.だから、今日もまた
太陽が西に沈むように。水が0℃で固体となり、100℃で気体となるように。
不変の法則。神が定めし理。
だから、今日もまた推しが負けた。
――ただ、それだけのことだ。
「……なんだ、これは」
震え続ける指でめくったページ。
手汗で湿り気を帯びた紙に描かれているのは、互いの想いが通じ合った少年と少女。
高校生の青春の甘さを存分に感じさせつつも、それは俺にとって非情な結末だった。
「んん、まあやはりというか……こうなるよな」
他方、俺の隣で共に物語を見届けた先輩は、俺への配慮を滲ませつつ呟く。
ぽん、と肩に軽い圧力を感じた。
女子によるそんな僅かな力でさえも、いまの俺には十分すぎる衝撃で。
両手から雑誌が滑り落ちる。
「あーあー。せっかくの最終回が汚れてしまうぞ」
同じソファに座っていた先輩が立ち上がり、床に落ちた雑誌を拾い上げる。
週刊少年ホーリー。日本で最も人気のある漫画雑誌。
今週号の表紙に描かれたキャラクターは、いま読んでいた作品のメインヒロイン二人。
さらには【超人気ラブコメ感動クライマックスセンターカラー!!】の煽り文字。
この雑誌において、クライマックスという文言は最終回と同義である。
「君にとっては、残念ながら悔いが残る終わり方だったろうが……物語的には順当、納得と言えるものだったな。多くの読者も大満足のエンディングじゃないか」
先輩にとってはそうだろう。同じ感想を抱く人間もきっとたくさんいるはず。
最高のフィナーレだった。そう思う人達の感想を否定はしない。
……だけど、俺は納得しない。
満足なんてできない。
こんな終わり方、受け入れられない!
「――なんでサイちゃんを選ばないんだよおおおおぉぉっっ!!」
次元を越えて決して届くことのない主人公への抗議を、腹の奥底から叫んだ。
このラブコメ漫画の中で、俺が一番応援していたキャラクターはサイという女の子。
サイは連載初期から主人公に好意を寄せていた。
……だというのに、最終回でその恋が成就することはなかった。
見る目のない愚かな主人公の選択のせいで、サイは涙を呑む結果となってしまったのだ。
あんな可愛くて性格もいい子を選ばないとかバカなんじゃねーの!?
絶対おかしいわバーカバーカ!
「も、もちろんサイはすごくいい子だ。しかしメインヒロインはキコなんだし、そこは加味しないと……」
「はあ!? ダブルヒロインでしょ!?」
あまりにキコに寄った先輩の一言が、ますます俺の怒りを煽った。
先輩の手にある雑誌を指差す。
何度見ても、表紙にはキコとサイの二人が描かれている。
センターカラーには、主人公を含めこれまでに作中で登場した全ての登場人物が描かれていたが、表紙には二人だけ。主人公の姿さえない。
キコとサイの双方がこの作品の顔、つまりメインヒロインだったという証拠だ。
「た、確かにそうだ。が、登場順で言えば、キコは1話目からで、サイは3話目から……」
「そんなの誤差でしょ! 読者人気だって大差ない!」
「そ、その通りだな。出番も人気も同じくらいだと私も思う。ただ、それでもキコのほうを先に登場させたということは、やはり作者の中では少なからず序列があったんじゃないか?」
そんな先輩の推測が、慰めになるはずもなく。
「この終わり方も、読者のキャラ人気に左右されることなく、きっと当初から決めて……」
「キャラに序列を作る作者なんて、クソ野郎だ!!」
漫画家や小説家などにとって、キャラクターは自分の子供のような存在だと聞く。
であれば、子供をフェアに愛せない親なんて親失格だ。
贔屓される子供の気持ちを考えてみろ。
主人公に対して抱いていた怒りが、だんだん漫画の作者へと向き始めた。
なんでこんな展開にした?
なんで編集者は指摘しなかった?
サイにとってあまりに残酷じゃないか。
これが、二年弱追い続けた読者に対する答えだと?
単行本最終巻が出たら、間違いなく評価は荒れる。
なんなら俺がサイ派の代表として密林レビューと感想文メーターで憤りの声を上げ、それを作者のSNSに叩きつけて――
「宏慈」
先輩の声と、チリーンと澄んだ金属音が響き、はっと我に返った。
俺の顔に向かって、何か飛翔体が回転しながら飛んできている。
反射的にそれを右手で受け止めた。
「君が残念に思う気持ちはよくわかる。また、だからな。だが、作者やキャラを責めても何一つ報われることはないし、君の鬱憤は晴れない」
「……」
「それ以前に、悲しいだろう? 好きだった作品を、最後の最後で嫌いになってしまったら。――ファンを名乗れなくなってしまったら」
赤子をたしなめるような優しい口調で、先輩は諭す。
「すまない、なんとか君の気を静めてやりたかったんだが……言葉が悪かったな。反省する」
「……いえ」
「おごるから、それで甘いものでも飲んで来い。落ち着いたら、またサイのいいところをたくさん語ろう。な?」
言われて、俺は握っていた右手を開くと、500と書かれた硬貨があった。
「…………ちょっと、頭冷やしてきます」
頷く先輩を横目に、俺はソファから腰を上げた。
そのまま部屋の扉に向かって歩き出す。
横開きの扉を開き、外に出て、再び扉に手をかける。
閉め切る寸前、部屋の中に目を向けた。
ソファの上で、先輩が再び雑誌に目を落としている。
物語のクライマックス、主人公のキコへの告白シーンを、もう一度見返しているのだろう。
艶やかな唇から笑みが零れ、血色の良い頬には普段以上に朱色が差している。
普段は大人びている先輩が、童子のように目をキラキラと輝かせて漫画の世界に心奪われていて。
その横顔を瞳に映した俺は、背後から頭を殴られたような衝撃を覚えた。
彼女にとって、この漫画の終わり方は十分すぎるほど満足できるものだったのだ。
それは多分、先輩が一番好きだったキコが主人公と結ばれたからというだけでなく。
およそ二年間、ファンとして追い続けた作品のエンディングとして相応しい終幕を迎えたと、心の底から思えたから。
……そんな幸福感に浸ろうとした先輩の横で、俺は自分の文句をぶちまけたのだ。
自分の部屋で独り言ちるだけならまだしも、充実感に包まれている人間の耳に入るように作品の不平不満を垂れ流すのは、水差し野郎の所業そのものだ。
そんな自分本位な人間に先輩は配慮し、自分の反応を内に押し込め、寄り添ってくれた。
否、そうさせてしまったのだ。
あげくに、何一つ非がないのに、反省するなどと言ってくれた。
……言わせてしまった。
(……俺は、一体何を言っていたんだろう)
扉を閉め切ると、俺はその場にしゃがみ込んだ。
物語の結末が思い願った通りにならなかったとしても。
どんなに残酷なエンディングに思えたとしても。
誰彼構わず不満という呪詛を吐き続ける《厄介オタク》にだけは成り下がってはいけない。
受け入れ難い結果というものは誰にでもあるはず。
でも、それを外に漏らすことなく、他人に悟られることもなく、自分の中で向き合い、自分の中で処理することができる心の強さが欲しい。
(……大丈夫だ。こんなことは――初めてじゃない)
目を閉じ、大きく息を吐く。
己の内から湧き出でる暗い感情を吐息に乗せて、全て体外へと排出する。
初めてじゃない。珍しくもない。よくあること。それが、俺の因縁。
カッと目を見開き、その勢いのままに立ち上がった。
「何度こんな目に遭ったって……三次元の世界に比べれば、二次元はずっと素敵だろ」
すると、自分を躾けたかのように、負の感情が身体の内側で圧縮され、小さくしぼんでいくような感覚がした。
……まだ、善良なオタクの域に留まれただろうか。
(……
先輩の同情心が乗り移った五百円玉を固く握り締め、その拳を己の右頬に向けて振るう。
ぺちんと情けない打撃をピストル音にして、購買部に向かって歩き始めた。
足取りは決して軽くはない。
だけど、開き直ったからにはもう歩ける。
そう、これはいつものこと。
ある意味、法則通りの結果。
水納宏慈が推したキャラは負ける。
今日も二次元世界にのめり込み、また推しが負ける瞬間に立ち会った。
――ただ、それだけのことだ。
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毎日更新で、5月31日完結予定です!
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