第37話捜し人

血まみれの男は、足を引きずりながら歩き続けた。

歩みを止めたら崩れ落ちる。そんな雰囲気だ。


『家に帰る』

彼の中にあるのは、それだけだった。


彼の妻は獣人だった。

とはいえ耳の形が違うのと、尻尾があるだけで

帽子をかぶって長いスカートを履けば、

人前に出ても気づかれないのでは?と思えるくらいだった。


だが彼女は、正体を知られる事をひどく恐れ、森から出ようとはしなかった。

王都も村も、人の暮らす場所では、魔族が奴隷にされていたからだ。




はじめて彼女に会ったのは森の中。

木こりの父親の仕事についていきながら、飽きて遊んでいた時だ。

大きな腐った倒木の陰で、草に埋もれて小さくなっていた。


見つかったのは明らかなのに、声をかけても、より小さくなるだけだった。

だがその理由も知っていた。俺の村にも奴隷が居たからだ。


その日は父親を手伝うフリをして、父親が彼女の方に行かないようにした。



次の日も、父親の手伝いという名目で森に入り、

飽きたふりをして彼女の元へと向かった。

しかし、彼女はいなかった。


夜になりベッドに入っても、彼女の事が気になった。

俺の家は、村はずれの森の近くだから、

夜のうちに抜け出して探しに行こうかとも思った。


でも夜の森には獣が出る。

この辺りは、そう危険な獣はいないけど……

途端に彼女が心配になった。


父親の仕事について行っては、彼女を捜す。

そんな日が数日続き、ついに木の根元の穴に隠れる彼女を見つけた。

崖っぷちの木の根が剥き出しになっている場所で

よくこんなところに入ったなと思えるほどの断崖だった。

彼女は腕に怪我をしていた。


手当をしようとしたが、穴から出ないどころか微動だにしない。

木の根に捕まりながら崖を降り、触れるとちゃんと温かかった。


俺は「怪我をそのままにすると、血の臭いで獣が来るから危ないんだ!」と言って

無理やり彼女の腕を引っ張り出して、服の目立たない所を裂いた布を巻いた。


家に帰ると、服を破いてきた事を咎められたけど、

「知らないうちに裂けていた」とシラを切った。



次の日から、自分の食事をこっそり持ち出すようになった。

隠して持っていけるのは、乾いたパンくらいだった。


持って行っても彼女は受け取らないどころか、身動きもしない。

でも翌朝見ると、穴に突っ込んだパンは無くなっていた。


何日通っても彼女は穴にうずくまったままだった。

でも変化もあった。


俺が行くと、耳がフルッと動くんだ。

寝ている向きが変わっている事もあった。

彼女の些細な変化が面白くて、話もしない彼女の元に毎日通った。



そうなると村での居心地が悪くなってきた。

今まで疑う事すらしなかった、奴隷を使い潰す習慣に嫌気がさしてきたのだ。

家畜の方が余程大事にされている。


村にも獣人は居たが、労働力というより憂さ晴らしの扱いだった。

そして彼女は、村の奴隷ではなかった。


おおかた逃げて来たんだろう。

逃げられる距離を考えると、少し離れた両隣のどちらかだろうと、

容易に想像が出来た。


奴隷への暴力は日常化しており、公の娯楽だった。

獣人の悲痛な悲鳴を聞かぬ日はなく、耳に入るたびに彼女と重なった。


村にいると腹の中に重たいものが溜まっていくようで

彼女に会うと、それが少し軽くなるような気がした。

パンを運びながら、彼女に嫌われたくないと思っている自分に気づき始めていた。

そして親しかった仲間とも、徐々に疎遠になっていった。



そのうち寒くなりだした。

彼女は相変わらず瘦せそぼっていたが、少し大きくなったのか、

同じ穴に隠れ続けるのは、そろそろ難しそうだった。


一度だけ、彼女が素手で穴を掘っているのを見かけた。

泥だらけだったが、キレイな目をしていた。

その晩俺は木片でスコップを彫り、翌朝パンと一緒に届けた。


彼女は夜のうちに穴を掘っているようで、それは少しづつ深くなっていった。

パンに加えて藁も、少しずつ服に隠して運んだ。



春になり15の年になった。

この年になると家を持つことも出来る。

大抵は結婚するまで家にいるのだけど、俺は森に家を建てたいと言った。


最初、両親は渋っていたが、

木こりだし、仕事もひとりでしているし、理にかなっていた。


それにどうやら持ち出しに気付かれていたようで、

何かを隠して飼っていると思っていたみたいだった。


森には肉食で気が強い、キツネみたいな動物がいる。

噛みついて決して慣れる事はないが、

その見た目から村に連れて帰ろうとする者もいる。


以前そうやって、森から連れてこられたソイツが

生け簀の魚を食い荒らした事があって、

それ以来、村には持ち込み禁止になったのだ。

両親はきっと、そんな生き物だと思ったのだろう。



翌日、俺は彼女の元へ行き

「近くに家を建ててもいいか?」と聞いた。

返事はなかったが、俺はすぐに作業に取り掛かった。


丸太を組んだ簡素な小屋。

そして床下を掘り、扉付きの床を張り、薄い敷物を敷いた。

小さいが暖炉もある温かい小屋だ。


彼女の穴は少しずつ深くなり、やがて床下に住み着いた。

春とはいえ朝晩は冷える。素直に温かい場所に移動してくれて少し安心した。


料理を作って彼女の近くに置いても、相変わらず動きもしないが

それでも気が付くと皿は空になっていた。


そんな生活がしばらく続き、ふと思い立って

「そろそろ一緒に食べないか?」と声をかけてみた。


無反応と思いきや、彼女は立ち上がり、促されるままに席についた。

そうして皿に顔を突っ込むようにして、温かいスープに口をつけると

耳をフルッと動かした。


「温かい方が美味いだろ?」そう言うと、彼女は小さく頷いた。


まともな量を食べれるようになると、彼女は大きくなってきた。

出したままの物が片付いたり、いつの間にか部屋がキレイになっていた。



そうして数年が経ち、子供が生まれた。

「君にそっくりだ」と言うと、申し訳なさそうに涙を浮かべた。


妻とふたりの子がいれば

本当にそれ以上……なにも望んでいなかったんだ。



その日も静かな森で葉擦れの音に耳を傾け、顔をあげると

唐突に、化け物の腹の中に放り込まれていた。






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