朝帰りで食べる牛丼が美味いって話

「朝まで遊んだ後に食う牛丼って世界一美味くない?」


 始発の電車の中で突然友人が言った。朝っぱらまで飲み明かしたせいか頭が全く回っておらず生返事を返す。


「まあ、分からんことはない」

「だよな」


 会話が止まる。どうやらこいつも頭が回っていないようだ。始まりの話題だけ持ってきて会話の続け方を全く考えてない。この時間の会話にはよくあることだ。


 しかし、朝帰りで食べる牛丼が美味いというのは確かに分からないことはない。遊び疲れた体にエネルギーがよく届くからか、酒のせいでいい感じに腹が減りご飯が食べたくなっているからか、肉体的な理由は様々である。ただ、朝の牛丼が美味いのは肉体的な理由だけではないと思う。おそらくだがそれに加えて、「朝まで遊んで牛丼を食べる」という背徳感が最高のスパイスとなって美味さを倍増させるのだ。深夜に友人と何の生産性もない話で盛り上がり続け、酒を浴びるように飲み、眠気と酔いでふらふらになりながらジャンクフードをかっくらう。この駄目に駄目を重ねたうえで、さらに駄目で塗り潰す反社会性の気持ちよさと言ったらないのだ。2種類の欲望の相乗効果によって牛丼の美味さは限界を突破し、昼ごはんにただふらっと食べる牛丼とは全く異なる高級料理となる。


 そんなことを考えていると自然、口が牛丼を求め始める。目的の駅に着いた時には既にgoogleで近くの牛丼屋を調べ終わっていた。「ちょっとトイレ行ってくる」と友人に言い残し、歩きながら考え始める。


 目的地である駅は比較的発展している場所にあり、牛丼大手チェーンであるあの3店は全て徒歩圏内にあった。さて、ここで問題になるのはやはりどの牛丼屋に行くか、ということだろう。個人的な好みを言うのであれば「松」の場」一択なのであるが、3店のうち最も遠い場所にある上、友人が好きかどうかが不明だ。松の場所は割と好みの店舗として名前が挙がりづらい傾向にあるため、このような近くに3店ともある状況では避けがちなところがある。その点もっとも無難な選択をするならば「すき」の場所を選ぶべきだろう。「すき」の場所ならば最もポピュラーな店であるし値段もそう高くない。いや、しかし今の最高に牛丼を欲している状況で食べるなら3店の中で最も高級な「吉」の場所に行くべきか?他店よりすこし値が張る分、どこか丁寧なうま味を感じさせてくれる。「吉」の牛丼で最高の朝をキメるのも悪くない……どうしたものか……


 うんうんと唸りつつ用を終え改札前に戻ると、友人がいなくなっていた。あたりを見渡してもそれらしい人影はない。まさか一人で帰ったのか?困惑しているとポケットからスマホの通知が鳴った。



「一番近い吉野家にいます」



 いや「います」じゃねえよ。もうこの際勝手に店を決めたことはいいよ。せめて待てよ。こういう時って一緒に行くもんじゃないの?


 非情な友人の行動に思わずスマホを握り潰しそうになったが、早朝からそんな元気があるはずもなく、私は溜息で怒りを誤魔化し吉野家へと向かった。


 吉野家に入ると友人は注文を既に終えたのか呑気にスマホを弄っていた。苛立ちを押さえつつ友人の対面に座る。



「遅かったな。大のほう?」



 顔を殴ろうかと思った。例え大の方だとしても待てよ。友達だろ。



「注文決まってる?」



 私の対面でコップに残った氷を食べながら友人が言った。こいつの馬鹿みたいにマイペースなところが嫌いだ。ぼりぼりという音ががらんとした店内に響く。早朝のすき家にはほとんど人がおらず、私たちと店員、それにどこかくたびれたおじさんが一人カウンターに座っているくらいだった。



「決まってる。もう頼んだ?」


「いや、ちゃんと待ってたよ」



 なんでそこは待てるんだよ。


 友人は慣れた手つきでタッチパネルを操作し注文をする。最近の牛丼屋はタッチパネルで注文できるのかと感心した。


 私たちは2人とも特にトッピングのない牛丼の並を頼んだ。彼も朝牛丼の心得を十分理解しているようだ。朝牛丼に余計なものは必要ない。ただそのジャンクフードそのものの味を楽しむのがいいのだ。


 しばらく眠気と戦っているとお待ちかねの牛丼が来た。ほかほかのご飯の上によくタレの絡んだ玉ねぎと牛肉。醤油風味の甘い湯気が鼻腔を擽る。私は逸る気持ちを抑え、ゆっくりと箸をつかみ礼をする。そして敢えて厳かに牛丼を口に運んだ。



 うまい……



 あまりにも美味い。ガツンと脳内を刺激する肉の味付けとそれを優しく支える白米の調和がなんとも心地いい。ハンバーガーとはまた違う、日本の和の心のジャンクフードがここにある。あまりの美味しさに水を飲むことも忘れ無我夢中で牛丼をかきこんでいた。



「お待たせしましたー。生卵ですー」



 思わず手が止まる。対面を見てみると小皿に入った生卵をニコニコとかき混ぜる友人がいた。



「これが美味いんだよねー」



 そう言いながら半分ほど残った牛丼の中に溶き卵をかける。黄金色の卵が牛丼に注がれていく光景はあまりに蠱惑的で私の心を釘付けにするには十分だった。友人は美しく彩られた丼の上に少しばかりの醤油を垂らし、少し混ぜ、一気に口に入れる。卵をすするズズという音がまた私の食欲を刺激した。


 私はすぐに自分の丼を確認したが、残っているのは多めに見積って2割と言った所。これから卵を頼むには少々少なすぎる。私は欲望のままに牛丼を食い尽くした自分の愚かさを呪った。


 仕方なく残りの牛丼を食べる。せめてもの抵抗として七味唐辛子を掛けて食べる。まあ、美味い。何故だろう先程まであれほど感動できていた牛丼から寂しさと虚しさの味がする。



「ご馳走様でした!」



 満足そうに食後の挨拶をする友人。なぜこいつは私に何も教えてくれないんだ。多分結婚しても招待状すらくれないと思う。そして3年後くらいにたまたま奥さんと歩いているところに遭遇して結婚を知るのだ。頼むから教えてくれよ。


  私も残りの牛丼をかきこみ、支払いをすませ外へ出る。早朝の冷たい風が体を突く。



「美味かったね」



 友人が笑顔で私に言う。お前のせいで私は卵の美味さを逃したというのに。こういうところが何となくムカつく。



「まあ、美味かったわ」



 私たちはコンビニに寄ってウコンを体内に流し込み、明るくなった街をゆっくり歩いて帰った。

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