焼却

 わたしの両親が死んだのは六年前、十二歳の夏だった。深夜、水を飲もうと部屋から出ると、食卓の小さなテーブルに突っ伏して二人は死んでいた。自殺だった。

 家中をひっくり返して父と母の持ち物を調べるまでもなく、遺書は二人のすぐそばに置かれていた。封筒に汚れやしわは見当たらない。インクも紙も劣化していない。昨日も普段と変わらず診療所を開けて、今日だって、夕食の時に笑っていたじゃないか。食事を口に運ぶわたしのことを二人して優しく見ていた時には、いや、それともこの前、ハミオンから使いが来た時には、決まっていたの?

 結局、いつものように夜勤明けのクロタエがやってくるまで、わたしは両親の前に座っていた。いろいろなことを考える必要があったので寝ている暇がなかったし、遺書を読み終えた時には眠気が吹っ飛んでいた。時計の音だけが現実の証明だった。いつの間にか、作業着姿のクロタエが、扉の前で固まっている。朝が来ていた。

「自殺だよ。真夜中に」

「ど、うして」

「さあ、遺書はなかったから」

 嘘をついた。本当は手紙に全て書いてあった。けれどクロタエは知らなくていいことだと思った。知られたくなかっただけかも。

「クロタエ、手伝ってくれる?」



 東区の焼却場へ遺体を運んだ。

 死んだ人間は重い。近場の店にいくらか握らせて借りた台車に乗せ、やっとの思いで運んだ父と母を、焼却場にいた作業員と共に炉に放り込んだ。煙突から登る煙と、肉の焼ける匂いを今でも覚えている。わたしは泣かなかったし、クロタエはわたしを慰めなかった。

「どうするの、これから」

「診療所を続けるよ。わたしにはそれしかできない」

「……そっか」

 遺体が燃え切るまで、わたしは焼却場に残ることにした。先に帰ってもいいよと言ったけれど、クロタエは黙ってついてきた。

 焼却場は天上都市ハミオンに最も近く、さまざまな物が運ばれてくる。ごみ、廃材、残飯、異国語のパッケージ、死体。ハミオンから流れ着いた珍しい物品を求めて、屑拾いの子どもたちがうろついていた。

「昔はぼくも、ここで屑拾いしてたなあ」

 溢れるごみの中にそびえ立つ焼却炉の遥か向こうには、ハミオンの街並みが白んで見える。エデンビルバンとは違い、一戸一戸が適切な距離を保って建てられた清潔な街。中でも際立って高い塔のような建物には、若く美しいハミオンの王子が暮らしている。塔とは言わずとも、あの中のどこかで生まれていたなら、と何度も思った。勿論わたしのことではない。

「クロタエ、あっちに住みたいと思ったことはある?」

「あっちって、ハミオン? ええ、考えたこともなかった」

 なんでそんなこと聞くの、とクロタエが首を傾げた。なんでって、助けてやりたいからだ。そしてわたしも逃げ出したいからだ。お前と一緒に。

「ぼくさあ、べつに金持ちになりたいわけじゃないんだ。そりゃあるに越したことはないけど。ただ、自由になりたいんだよ」

 そう言って不安定なごみ山にしゃがみこんだクロタエが、なにかを拾って立ち上がる。わたしのところに寄ってきて、装飾の施された青い缶を差し出した。クロタエの言う自由とはなんだ。こうして自分の意思で動いて、物を拾い、言葉を発するだけのことではない。

「これあげる」

「……錆びてるし」

「でもそれもきれいでしょ」

 クロタエはわたしに無理矢理缶を握らせた。確かにきれいだった。錆びの具合も芸術のようにとれたし、青色がなんとも絶妙で、本当は差し出された瞬間に気に入った。わたしならただのごみだと見落としてしまうものを、クロタエは一つも見逃さない。わたしはクロタエの心を知りたい。

 それから時間を持て余したわたしたちは、焼却炉の近くで山になった、ハミオンから来たと思われる大量の封筒を一つ一つ漁った。中の手紙を見ながら、昔やったように文字の勉強をする。わたし、あなた、明朝、母、喜ばしい、街、感謝祭、歌。その中のある封筒に貼り付けられた、古びた切手の絵が、今思えば草原だった。クロタエが夢で草原を見たのはそれからだろうか。クロタエは、あの切手を気に入っていたから。

 そのあと、わたしは焼却炉から父と母、どちらのものともわからない骨を掴んで、クロタエのくれた缶の中に入れた。





 クロタエが診療所のドアを叩いたのは、二人で屋台に行った翌日の夕方だった。どうしても仕事に戻るというクロタエに根負けして、念のため多めに痛み止めを持たせて家に帰した。仕事終わりだろう、いつも通りの作業服で笑っているクロタエ。けれどその笑顔に暗いものが見えて、なんだかぞっとした。一歩踏み外したら崖の底にでも転げ落ちてしまいそうな危うさがあった。その原因もすぐに分かる。

「お金、なくなってた」

 クロタエが貯めていたお金だ。きっとどこかに隠していたはずだけれど、痺れを切らした義父が、探し当てたのだ。莫大な貯金などではない。それでもクロタエにとっては未来を支えるものだった。

「やっぱりぼくはここから出られないのかなあ、逃げられないのかもしれないね」

 そんなふうに笑わないでほしい。そんな笑顔は見たくない。わたしはただ、クロタエをそっと抱き寄せて背をさする。骨の浮いた薄い体。ここに詰まった途方もない感情を、わたしにどうこうできるはずもない。ただ玄関を開けて街を出ていくだけの行為が、この子には果てしないのだ。

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