第21話 交錯するシ その3

 御影さんが教えてくれた場所は、一件の民家だった。伍郎書房ほどではないにしても、大きな建物は三階まであり、黄昏の街に緑色の屋根を突き出している。


 横を通ったこともあるが、結構昔から売り家になっていた覚えがある。


 家の前までやってくれば、そうではないらしいことがわかった。こじんまりとした門に貼られていたはずの紙がはがされている。御影、というプレートもあった。


 ここが「本当の」彼女の家らしい。だが、いつの間に。


 門の前に立っていると、夏の夕方とは思えないほどに冷ややかな風が吹く。汗で濡れていたからだがブルリと震えた。


 金属製の扉を開けて、敷地の中へと足を踏み入れる。


 雑草が生い茂る庭、さびついたじょうろは転がり、放置されているバケツに残ったわずかな水にはボウフラがわいている……。


 建物の立派さとは裏腹に、手入れがなされていない。


 とてもじゃないが、ヒトが住んでいるようには見えなかった。


 無法図に伸びているオリーブを横目に、玄関の扉の前に。


 斜めになったインターホンを押せば、ピンポーンと音が鳴る。


『ちょっと待ってねー』


 のんきな声が、ひび割れたスピーカー越しに聞こえた。


 暗くなっていく中で待っていると、ガチャリと音がして、扉が開く。


「いらっしゃい」


 御影さんが言いながら、僕を出迎える。






「あ、飲み物何にする?」


 リビングに通された僕は、すわって座って、と言われて、椅子に腰かける。


 ひどいへや――というほどでもなかった。豪華な部屋は数年ほど放置されていても、劣化するものではないらしい。テーブルも、椅子も、テレビも、ありとあらゆるものが、その場から動かされていないのだろう、ほこりが積もっていた。


 床にもホコリは積もっていて、歩くたびに、舞う。ハウスダストとかひどいんだろうな、と腐った臭いを放つ、昔は綺麗だっただろう花を見ながら、そんなことを思った。


「お茶がいい? それともコーヒー? あ、炭酸もあるよ」


「……炭酸で」


 たっぷり考えて、そう答える。お茶とかコーヒーだと、泥水で入れられたってわからないだろう。だが、炭酸飲料であればペットボトルの可能性が高い。


 果たして、戻ってきた彼女が手にしていたのは、ペットボトルではなかったものの、アルミ缶だった。


「はいどーぞ」


 僕の目の前に置かれたのは、赤い缶。コーラの缶は、僕が久しぶりに登校したあの日、北斗におごってもらったものと同じだった。


 そして、御影さんが転校してきた日でもある。


 正面の椅子に座った御影さんを見ても、そこにうかんでいるのは、笑顔のシール。その下にあるものを、僕は読み取れなかった。


 僕はだまって、冷たくもなければ熱くもない缶を握りしめていた。


「どうして深浦くんを呼んだか、わかる?」


 僕は首を振った。


 わからなかった。わからないことだらけだ……自分がウカのおかげで生き返ったということも、ついさっき知ったばかりだというのに。しかも、それが、神様によるものだったなんて。


 御影さんは、自分の缶を開けて、


「なんか、あの女に言われたんでしょ」


「あの女って……」


「君を何度も助けてる、あのワンピースの」


 コクヤのことだ。でも、記憶を復元したあの石を送ってきたのは、ウカで――。


 そこまで考えて、僕は気がついた。あの筆跡はウカのものに間違いない。でも、送ってきたのはコクヤなのかも。


 御影さんは缶に口をつけ、喉を鳴らす。そのたびに、白い喉仏がなまめかしく上下する。


「何も言われてないの? 私のこととか、あの女のこととか」


「そう、ですけど」


「意外。てっきり、何もかもネタ晴らししてるものとばっかり」


 缶を置いた御影さんは、祈るように手を組んで。


「じゃあ、さ。私の仲間になってよ」


「どういうことですか」


「昨日、言ったことを思いだして」


「コクヤが、化け物だってこと……」


「コクヤっていうのがあの女のことなら、そう。コクヤちゃんが、すべての首謀者」


「すべての――」


 オウム返しの言葉に、御影さんが大きく頷いた。


「私の調べでは、大規模な魔術が行使されている。この街を覆いつくすほどのもの」


「魔術」


「信じられないかもしれないけれど、そういうのがあるの」


 例えば――。


 そう言って、御影さんは缶を、テーブルの中心に置く。


 彼女の矢のような視線が赤い缶へと突き刺さり。


 パーンと弾けた。


 液体が血液のようにまき散らされ、飛びあがった缶はカランコロンと何度か跳ねて、僕の目の前で止まった。それは、砂時計のようにへこんでいた。まるで見えない何かに押しつぶされたみたいだ。


 御影さんをみれば、笑っていた。魔女とはかけ離れた、屈託のない笑顔。


 だからこそ、怖かった。彼女が邪気しかないからこそ、そのような表情ができるんじゃないかと思えて。


「大したものじゃないけれど、ざっとこんな感じ」


「こんなことが……」


「ありえる。これよりもずっと広範囲で強力な魔術。私でもはじめて」


「それが、コクヤによるものだと」


 御影さんは、広がっていくコーラだまりを気にもとめず、うなづいた。


「なんのために?」


「己が信じる神様のために……とか」


「それだけのために、たくさんの事件を引き起こしたって言うんですか」


「そう、それだけのために、生贄をささげている」


 生贄という言葉に、心臓がざわついた。どんな生物が捧げられているのか、御影さんは言わなかったが、それが人間であることは疑いようもない事実であった。


 行方不明事件、謎の不審な死体……。個々の事象だと思われていたものが、実は一つの目的のために行われ

ていた。


「でも、コクヤは僕を守ってくれた」


「それです!」


 声を張り上げ、身を乗りだしてくる御影さん。


「彼女は、自分が犯人だとは気取られないようにするべく、そのような策を講じたのです」


「はあ」


「しかもですよ、最終的な目的は、あなたです」


「僕……?」


「ほかの誰でもない、理外の存在によって生き返ったあなたをねらっているんです」


「どこでそれを……」


 御影さんは微笑むだけで答えない。その微笑みはやわらかくて不気味。


「コクヤちゃんはあなたに近づき、あなたを構成している力を手にしようと画策してるの」


 力。


 宇宙の外、御影さんの言い方なら『理外の存在』だ。


 その神の力が、僕のからだには渦巻いている。


 だからこそ、普通ではありえないようなことができた。伍郎書房や、昨夜の万灯祭のように。


「その力は人間には過ぎた力なの。でも、化け物にとっても過ぎた力。一端とはいえ、神の権威をかざすことができるのだから……」


「だから、僕を狙っている」


「そ、殺そうとしている。そのために、君に取り入ろうとしている。友人の姿かたちをしてるでしょ? あれは、君に好かれるためだよ」


「――――」


 確かに、あの姿だからこそ、僕は彼女の存在を受け入れた。あれが化け物であったり、他人の姿だったら、警察を呼んでいたに違いない。勝手に家の中に上がり込んでいたことだってあったし。


 でも、ウカなら普通のことだ。普通じゃなくても――もし仮に、幼なじみが超自然的な方法でカギを開けたとしても――僕は受け入れるに違いない。


 そう断言できる。……どうしてかは自分でもわからない。照れくさいから考えたくもない。


「そうだとして、御影さんはどうしたいんですか」


「そりゃあ、君を守りたい。クラスメイトだし、隣の席だし」


 それに、と御影さんは言葉を区切った。


 視線が僕の方を向く。熱っぽくて、飴細工のようにとろけてまとわりつくような視線。


 緑色の瞳がランランと輝いて、眩しい。


「なにより、好きだから、じゃダメかな」






 その短い言葉が耳から入って鼓膜を震わせ、脳を侵食していく。スポンジのようにしみ込んでくる甘言に、頭がくらくらしてくる。


 缶を何とか開けて、中の液体をあおる。口の中いっぱいに泡が弾けたが、味はしなかった。


 昨夜のことが頭を駆け抜けていく。コクヤの言葉が理解できない異国の言語のように聞こえたあの感じ。セミのようにしみ込んでくる聲……。


 だが、あの時と違って、意識はとろけはしない。何とか、考えられている。意識を保ちつづけられている。


「頭が……」


「あの女が呪文を割り込ませていたっていうの。ねえ、ここに来る前に何か読んだり、見たりしなかった」


 焦ったように御影さんが声を上げる。


 僕はぼんやりとした頭をゆっくりゆっくり動かして、ちょっと前のことをやっとのことで思いだした。


「確か……ウカから手紙が」


「ウカちゃんって、亡くなったっていう。それはどんな手紙だったの」


「記憶を取り戻すっていう。それで星が刻まれた石を握りしめたら――」


 僕の言葉に、御影さんが椅子から立ち上がる。彼女の顔には、驚愕と恐怖が入り混じったような表情が浮かんでいた。


「あの女が? いやそんなはずは」


「何を言ってるんですか」


 僕の言葉を、ガラスの割れる音がさえぎった。


 ガラスの鋭利な破片がホコリまみれのフローリングへ降りそそぎ、バラバラ音を立てる。外から何かが飛んできたらしい、その何かは、僕のつま先に当たって止まった。


 それはこぶし大ほどの硬い物体だ。ちょっと割れていて、鼻に近づければ、土臭い。


 不意に、これは種子だと直感した。まるで、神様から答えが与えられたかのようだった。


 次に、花の香りがする。それは、花瓶の方からしてきたが、先ほどまでは黒くしなびていたはずの植物が、大輪の花を咲かせている。


 黄色い、太陽のようなヒマワリが、手を振るように揺れた。


 それは、ウカが大好きだった花。


「なっ――」


 びゅうと一陣の風が、割れた窓から吹き寄せる。


 ホコリが目の中に入って、一瞬、ぎゅっと目を閉じる。


 次に目を開いた時には、ガラス片を踏みしめながら近づいてくる、コクヤの姿があった。

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