第20話 交錯するシ その2

 瞬間、僕の意識は過去へと飛んでいる。


 なぜ、過去だとわかったのか――僕は今見ている光景をすでに体験しているからだ。 これが過去でありながら、複数の人間からなる記憶でもあった。


 僕は、半年前の僕がトラックに吹っ飛ばされる瞬間を、他人事のように見つめている。


 戦争映画を観ている客のように。


 あるいは、吹き飛ばされるのを間近で見たウカのように。


 居眠りしていた三トントラックの運転手の驚愕の表情、わけがわからないまま吹き飛ばされていく僕は、飛び方を忘れたニワトリのように、ちぐはぐに手足を動かし、そのさなかには意識を失っている。全身の骨がバキバキになって、ガードレールにぶつかった右手がもげた。


 それでも僕は生きていた。同時に死んでいた。


 植物状態。


 さまざまな管やら機器やらをつながれた僕は、病室で呼吸だけをしている。心臓が動く。内臓もなんとか動いているけれども、意識だけがはっきりとしない。


 そんな僕の隣に、ウカはいた。


 カチリ。


 音がして、シーンが切り替わる。


 暗い病室に、モニターのひかりだけがともっている。僕は相変わらず眠っていて、ウカの姿もある。


 ウカは白装束を身にまとっていた。


 床には、奇怪な模様がひかれている。それは魔法陣と呼ばれる類のもの。真ん中には、ベッド。その前には台座があり、そこには血だまりに沈む白い塊。先ほどまで生きていた生命は、角をうごかさずに、ウカが途切れなくつぶやく声に耳を傾けている。


 呪文らしきものが終わると、ずんっと突きあげるような揺れが起きた。――それは、伍郎書房で感じた揺れと似ていた。


 遠くで聞こえる悲鳴。


 建物は何度も揺れる。地震にしては、その揺れは小さく、有機的だった。


 窓の外に、無数の細い陰がうねり、からみ、窓を覆いつくす。数多の陰に耐え切れなくなって、パリンと割れた窓ガラスが、床へ散らばった。

 

 その細いものは、ツタだ。アサガオ、カズラ、ブドウにクズ、平べったいのはサボテンだろうか。


 たくさんの植物が、ヘビのようにうねりながら、病室の床を伝い、壁を伝い、天井さえをも埋め尽くしていく。


 それは魔法陣の近くまでやってくると、上昇し、寄り集まって、何かしらの形を成していく。


 ヒト型だ。腕と足を持ったヒトだ。野菜でできた顔よりも、不格好で、おそろしい。


 その植物の人型は、口がないにもかかわらず、言葉を発した。


「汝、我に何を求める」


「この人を――凪を助けて!」


 顔を上げたウカが、そう叫ぶ。


 人型はうなづき、フウセンカズラでできた腕を天上めがけて突き出す。


 瞬間、雷鳴がとどろいた。


 その光に照らされて、ガスのような雲の固まったような存在が、ギラギラとした瞳を病室内へと向けて、のぞき込んでいるのが見えた。






 それは、ウカ――もっといえば栂野家――が信仰している神様であり、豊穣を司る神様。この神のおかげで神谷木市は、昔から飢饉というものと無縁だった。神によって、守られていたから。


 その神様の力で、僕は生き返った。正確には、豊穣の神様の夫が僕を復活させたらしいけれども、そんなことはどうでもいい。


 ウカは、さらに、その豊穣の神様に、僕の記憶を消すことも願い、そうして、僕はその時のことを忘れた。


 トラックに轢かれたことも、病院で眠っていたことも、何もかも。


 だが、それは忘れたというよりかは、意識しないようにさせていた、というのが正しい。魔術的なあれそれによって封じられていた記憶は、同じく魔術的な代物である、先ほどの石によって、その封印を解かれた、ということらしい。


 ――僕の知らない知識が流れ込んでくる。その源をたどれば、宇宙の外にいるという神様の姿がぼんやりと見えてくる。真っ暗闇をただよう、球体たち。


 時と空間を司る神様の力によって、僕は助けられた。


 その時の力が残っていることも、なんとなく、理解した。伍郎書房で、気がつけば外にいたのは、この神の力。昨夜、不可視の存在を視ることができたのだってそうだ。


 コクヤは自分のことを化け物だと嘯いていた。そのうえで、御影さんのことも同じ存在だと言っていた。


「僕だって似たようなものか……」


 これが、まったくの幻覚。僕が見ている妄想という可能性もないわけじゃない。でも、脳内を流星のように横切っていった記憶は、真に迫っていたし、あのような醜悪な神様を二柱も考えることは、狂気に侵された僕であってもできそうにない。


 手の中の石が消えてなくなったとしても、茶封筒とその中に入っていたウカの短い言葉は今もなお、残っている。たぶん、現実なんだろう。


 きっとそうに違いない。






 記憶を取り戻すと同時に、のしかかるような重さは嘘のようになくなった。気分もはるかにいい。だるくないのに、焦燥感もなかった。


 悲しみの沼に浸りつづけていた時よりかはずっといい。


 昨夜の、まともじゃなかった精神状態よりはずっと。


「……そうだ」


 昨日のこと。


 僕は気がつけば、自室にいた。なにが起きたのか、自分でもよく覚えていない。はぐれてしまった御影さんが拳銃でコクヤを撃ち、コクヤが花弁となって夜の闇に消えていったのまではなんとなく覚えている。


 その先のことは何も覚えていない。


 なにがどうなったかはわからないけれども、僕は自室へと戻ってきていて、それから、ずっとこの部屋にいる。


「みんな、どうなったんだろ……」


 つぶやいては見たものの、自分でも驚いてしまうほど空虚な言葉だった。


 僕が心配しているのは、みんなではない。そして、僕自身でもない。


 立ち上がって、スマホを取りだす。


 点滅するスマホ。SNSに着信があった。御影さんからだ。


『ここにきて』


 そこには住所が書かれている。不用心――拳銃を隠し持っている彼女に、それを言うのは野暮だろう。


 どちらかといえば、不用心なのは僕の方だ。


 だって、あんなことがあってもなお、彼女のところへ行こうとしてるんだから。

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