第19話 交錯するシ その1

 やっとのことで部屋に戻ってきた時には、すでに祭りは終わっていた。


 窓を開け、ゆだるような熱気を吐きだせば、そよ風とともに、かすかに火薬のにおいがした。


 花火のにおい。


 拳銃のにおい。


 頭を駆けめぐる映像。奇妙な生物、噴きだす血液、鳴り響く銃声。


 切り取られぐちゃぐちゃに接着された、不明瞭な映像を打ち切ったのは、胃からこみ上げる不快感。それは喉を焼け付かせ、液体となって、僕の口から飛びだした。


 べちゃべちゃ、胃の中のものが床へとまき散らされる。


 胃液は、泡立っていて、血液とは違い、赤くない。


 酸でヒリヒリする唇を手の甲で拭って、その液体を見下ろす。わずかに濁った透明な液体で、祭りで何も食べていないことを思いだした。






 翌日は月曜日。


 平日だから、学校へ行かなければならない。警察にもいかなきゃだ。


 北斗は死んだ。


 あの場に僕はいて、彼がなぜ死んだのかを説明する義務がある。


 だけども、何もしたくない。


 からだは鉄かなにかのように重い。何より熱っぽかった。ぼんやりしながら、脇に体温計を挟む、少ししてピピっと鳴った。37度8分。立派な熱だ。


 ベッドに仰向けになる。目をつぶれば、いろいろなものを思いだしてしまいそうで、僕は目をかっぴらいて、天井を睨みつける。


 古い天井には、シミがいくつもある。やせこけたヒトの顔みたいなシミが、見下ろしてくる。それでも睨みつけていたら、死神のように思えてきた。


 死神。


 自分が化け物のように思えてならなかった。理由はわからない。ただただ悲しくて、頭が機能不全を起こしたみたいに重くて、何を考えているのかも、次の瞬間にはわからない。


 かと思えば、胸をついてくる、切迫感。


 何かに追われている、何かをしなければならない。


 でも、何をすればいい? 肝心なところがないから、僕の心は焦って焦って、気がつけば爪を噛んでいる。


 だるいのと苦しいのが、交互にやってくる。寄せては離れていく、波のように。


 僕は、じっとベッドに横になっていた。眠れるわけがなく、そもそもねむるつもりがなかった。


 今寝たら、絶対に悪夢を見る。そんな予感がする。


 玄関の方で、間の抜けたインターホンが鳴った。誰かが来たらしいが出るつもりはなかった。


 ピンポンピンポン何度も何度もなったが、最後には止んだ。


 静寂を取りもどした部屋で、僕は目をぬぐった。






 時間にして、昼頃だっただろうか。


 僕は、一階へ降りていって、飲み物を取りに行った。いくら悲しくても、食欲がなくても、トイレには行きたいし、喉は乾く。


 重い体を引きずるようにして、階段を下りていけば。


「あれは……」


 玄関に茶封筒が落ちていた。どうやら郵便が来ていたらしい。


 その茶封筒は大きく、そして丸いものが入っているかのようにふくらんでいた。なにが入っているのかまではわからなかったが、無性に興味をひかれた。


 A4サイズの茶封筒を拾い上げる。軽い。中にはこぶしよりも小さなものが入っている。振ってみればカシャカシャと音がした。


 あて名はない。切手も、何もない。


 どうやら直接投函されたものらしい。


 もしかしたら、御影さんが何かを投げ込んだのだろうか――予感はすぐにかき消えた。なぜだかわからなかったが、御影さんのしわざではないような気がする。直感だけど。


 僕は、まっさらな茶封筒を持って、部屋へと引き返す。


 ベッドに腰かけて、改めて封筒を見てみる。何もわからない。文字もなければにおいもない。情報のほとんどない封筒。わかるのは、何かものが入っているということだけ。


 何度か振ってから、僕はそっと封を開けた。封筒をかたむければ、中のものがすべり落ちていく。


 ベッドを転がったのは、丸い石のような物体。それから、ふわりと漂い落ちたのは、一枚の紙。


 フローリングを滑っていったそれは便せんだ。拾い上げて読む。


 手書きの文字。


 まるっこくて、お世辞にもうまいとはいえないけれど、同時に味わい深くもある、癖のある字には見覚えがあった。


 ウカの筆跡だ。


 それほど長くはない文字を、何度も何度も、僕は目で追う。文字が読めないわけじゃない。懐かしいという気持ちはちょっとあるけれど、そういう意味じゃなくて、単純に意味が分からなかった。


『思いだしたいなら、その石を握りしめて、祈って』


 ――何を思いだすというのだ。石を握りしめるってどういうこと。


 疑問とともに、便せんを脇に置く。ベッドの上の円盤みたいな石を手に取ってみる。黒い石だ。表面はつるりとしていて、僕の顔が映りこむほど。ひっくり返せば、目と目があって、思わず石を落っことしてしまった。


 そこには、星の刻印がなされていた。その先端はゆがんでいる。中心には目が描かれていて、こっちを見ていた。気持ちの悪い文様だ。奥底から湧きあがってくる恐怖。


 畏怖、ともいえるのかもしれない。不思議な石には、仏像や神社仏閣を目にしたときにも似た、何とも言えない厳かな気持ちをかきたてる力があった。


 僕はしばらくにらめっこしたのちに、その石を握った。


 忘れていること――それがなんなのかはわからなかったが、知らねばならないような気がした。


 でも、だれに、何に対して祈ればいいのだ?


 握りしめていた石が、淡く光を放った気がした。


 瞬間、僕の意識は、この世でならざる場所へと飛んでいる。そう形容することしかできない……少なくとも、の自室ではなかったから。


 例えるなら、黒い、どこまでも続く漆黒だろうか。そこが従来の宇宙ではないことは明白。星がない。光がなく、自分の存在すらも希薄になってしまうほどの虚無は、従来の宇宙の外。


 どうして、そう思うのか、僕にもわからない。


 ただ、目の前に漂う、泡沫のような存在が神様であることは、確かだ。


 その神様に、僕は祈る。


 手のひらの中の石が、光を放ち、役目を果たしたかのように砕け散る。


 パラパラと、僕の意識も砕け散る。

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