第17話 夏祭りに蠢く3つの触手 その4

 人混みの流れは、ドロドロの血液みたいにゆっくりだった。人々は、打ちあがる花火を見つめて、タコ焼きを食べ、かき氷をすくい、水の入った風船をヨーヨーみたいにパチンパチンと鳴らしながら、歩いている。


 そんなヒトの群れをなんとかかき分けて、公園へとたどり着く。


 ひろくはなく、遊具もほとんどない公園は、日中よりもずっと静まりかえっている。ブランコがそよ風に揺れて軋む音さえも聞こえてくるほど。


 ブランコには、誰かが座っていた。


 キイキイ鳴くその古ぼけたブランコにいたのは、御影さんでも、ウカでも、ましてコクヤでもない。


「北斗……」


 呟いた声は、静寂に包まれた公園に、確かに響いた。だが、返事はなかった。


 ドーンドーン、花火が打ちあがるたび、公園が明るくなる。影の差した北斗の顔は、真っ青。その目は閉じられており、気を失っているのか眠っているのかはわからない。でも、その手は、しっかりと鎖を握りしめている。


 まるで、そうしないといけないかのように、北斗は座り続けている。


「北斗!」


 呼びかけてみても、返事はない。身じろぎもしない。嫌な予感が体を震わせた。そんなわけがあるわけない。現に、北斗はブランコから倒れていないではないか――。


 心配になって、僕はそっと近づいていく。


 不意に、クスクスという笑い声が聞こえた。


 降ってくる笑い声。子どもっぽい、邪気の存在しない笑い声は、上空からやってきていた。


 見上げた空に子どもはいない。いるのは、三つの半透明な生命体だけ。彼らにヒトのような発声器官があるのだろうか。でも、彼らが発したとしか思えない。


 それらは、くるくると円を描いていたかと思えば、ゆっくりゆっくり高度を下げて、返事をしない北斗のもとへと近づいていく。


 スターマインの輝きを浴びてキラキラ輝く触手がのびる。そのウネウネとした動きには、悪意を感じずにはいられない。


 ――触手に貫かれ、あたりに飛び散る血の花火。


 その凄惨な光景は、まったくの幻想で妄想だ。だが、そうなるような気がして、僕は手を伸ばす。――届くわけがないとわかっていても。


 触手が北斗に絡みつく。がんじがらめにし、宙へと持ち上げる。それでもなお、北斗の手は、石像のようにブランコの鎖を握りしめていたが、はがされていく。


 触手に締め付けられ、空中へあげられた北斗は、三体の化け物の前にうかぶ。この世のものとは思えない生命体は、かごめかごめのように北斗をとり囲み、うねらせた触手を振り上げ、その先端を肉体へと突き刺した。


 その瞬間、北斗のからだが震えた。雷に打たれたように、一度だけ、ビクンと。


 僕の脚は、自分の脚じゃないみたいに動かない。


 間にあわなかった。思ったよりも凄惨じゃなかった、北斗は大丈夫なのだろうか――。


 とめどなく、考えがあふれてきて、僕の脳内でふくらみ、動くということが考えられない。


 ただ、頭上の光景を食い入るように見つめていた。


 触手がブルンと揺れる。強に入っていた掃除機が動き出したみたいに。揺れるたび、クラスメイトのからだもまた揺れる。


 揺れるゆれる。


 そのたび、半透明な触手が赤く染まっていく。紅葉するかのように、水道水にカーマインの絵の具を落としてしまったみたいに。


 ホースじみた触手が、うねり、のたうつ。北斗のからだは、ますますぐったりとしていく。その手は、触手を払いのけようとするが、敵わない。まるでびくともしない、腕よりも細いのに。それとも、北斗の力が弱いのか……。


 今や、触手だけではなく、からだまでもが赤く紅潮した。まるで、茹で上がったタコみたいな生き物は、クスクス笑う。その声は、歓喜に震えていた。


 ほかの二体も、呼応するように笑う。その声は、どこか不満げで、わずかに低い。彼らの言語は笑い声。そんな知識が頭のすみを横切っていった。だが、それが何になる。


 今ここで僕が笑ったって、彼を助けることはできやしない。頭がおかしくなったやつだと思われるだけだ。いっそ、そう思われたらどれだけいいだろう。


 この現実を理解できずにすむなら、どれだけいいか。


 二体の触手が振り上げられ、北斗のからだへと突き刺さる。


 ビクン。


 からだが震えて、触手をはがそうとしていた手が、触手にもつれて、力なく降りていく。


 それと同時に、触手が吹き飛ばされていく。否、化け物の一体が吹き飛ばされていく。


 闇夜を切り裂く、白い彗星。その背後で、くるくる回る、ちぎれた触手。赤い液体をシャワーのようにまき散らす触手。


 土煙をもうもう上げて、着地したのはコクヤであった。






「ったく、この街はどうなってんだ?」


 乱れた髪をかき上げ、コクヤがいった。その足元では赤い触手が、血液を流し、色を失いつつある。純白のサンダルが、踏みしめるたびに、ビタンビタンと暴れる触手の口から血液が噴きだした。


「吸血生物が来やがるなんて……いや、誰かが呼び寄せてやがるのか」


 独り言を口にするコクヤに、二、三本腕をもがれた化け物が、迫る。ぽたぽたと雨のように赤を垂らすそいつは、急速に透明になっていく。闇夜に溶けこむ姿は、忍者のよう。


 完全に見えなくなったのを確認し、左右に不規則に動きながら、音もなく、コクヤへと近づいていく。


「バカか、なんでアタシがここまでやってこれたかわかってねえのか」


 コクヤが体をひねる。動きが目で追えないほどの速さの回し蹴り。つま先が、ぶにぶにした肉体へ食いこみ、蹴り飛ばす。そのクラゲのようなからだは回転しながら放物線を描き、木に激突。ずしんと落ちたからだが動き出すことはなかった。


 残る二体が、コクヤへと向き直る。瞳はなくとも、その超自然的存在が、少女へ敵意を向けていることは、地面にラインを刻む触手の動きからも明らか。


 それでもなお、コクヤは悠然と佇んでいた。


「こいよ、お前らごときがアタシにかなうなんて思うんじゃねえぞ」


 挑発を理解したかのように、一度二度と、クスクスという笑い声が輪唱のように響く。次の瞬間には、触手をムチのようにしならせ、ウカを襲う。


 だが、コクヤの言葉通りだった。


 コクヤが何かをモグモグつぶやいた途端、その軟体生物は吹き飛ばされた。


 突然現れた、球体じみたこぶし――どうして『こぶし』だと思ったのか、自分でもわからない――に殴られたのだ。


 ばちゅん。


 巨大な手の一撃をもろにうけた生物たちは、水風船のように弾けて、地面へと溶けるように消えていった。


 そして最後に、べちゃりと赤いみずたまりへと、北斗が落ちた。






 コクヤが息をつく。


「大丈夫か――」


 僕は、その声をほとんど聞いてはいなかった。


 目に入っていたのは、身じろぎ一つしない、クラスメイト。


 鉄臭い液体に、からだを沈めた北斗。


 何度か転びそうになりながら、彼のもとにたどり着き、からだを揺さぶる。声をかける。だけども、その目が開くことはない。苦悶に満ちた口が開くことは二度とない。赤いしぶきにまみれた顔は、不気味なほど青白く、血の気を感じなかった。


 それでも僕は、何度も肩を揺さぶった。


 何度も、何度も。


 僕の手を、止める人がいた。細腕をたどってみれば、コクヤだった。


 コクヤを僕は睨んだ。


 だが、彼女の顔には、怒りも悲しみもなかった。言葉もなくて、ただ、顔を横に振っていた。


 僕は、北斗を見下ろす。

 

 彼のからだに生気はなかった。胸は動いておらず、呼吸もしていない。Tシャツは赤褐色にそまっていた。


 死んでいる。


 そうわかっていても、理解が追い付かない。わかりたくもなかった。


 死んだなんて思いたくなかった。


「ほら、立つぞ。お前を狙っているやつがいるんだ。そいつは、精神的にも肉体的にも、お前という存在を傷つけて、もてあそぼうとしている――」


「それはあなたなのではないですか」


 声が響いたのと同時に、パーンと音が鳴った。


 それは、花火にも似た破裂音は、直後、闇夜に咲いた正真正銘本物の花火にかき消された。


 女性の声。


 先ほどまで聞いていた声。


 声がした方を見れば、そこには御影さんが立っている。


 その手には、煙の上がる拳銃が握られていた。

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