第16話 夏祭りに蠢く3つの触手 その3
かき氷とアイスクリームとサイダーをもって戻ったら、そこに御影さんの姿はなかった。
いくら見まわしても、曼殊沙華の浴衣はどこにもみえない。
公園はしいんと静まり返っている。人の姿はないように、ぱっと見は思われた。
だが、闇の中に溶け込むように人が立っているのが見えて、僕は身構えた。
だが、よくよく見れば、かき氷を食べているだけだった。もっといえば、そいつは不審人物などではなく、上下ともに真っ黒な服装をした北斗だ。
僕は、正面から近づいていく。だというのに、北斗はまったく気がつかない。シャクシャクと一心不乱に、スプーンと化したストローを動かしている。
目の前までやってきてようやく、北斗は顔を上げた。
「うわっびっくりした。凪かよ……声出してくれよ、せんせーだと思ってビビったじゃねーか」
「ここ、どのくらいいた?」
「なんだよ藪から棒に」
「いいからっ」
「そうだなあ、かき氷の前に回転焼きも食ったから、結構いるんじゃね」
「じゃ、じゃあ御影さん見なかった!?」
北斗は考え込むように、空を見上げた。うーんという声がしばらく続いて。
「見てないな。どんな恰好だった?」
「みどりの浴衣で、赤い彼岸花が目立つやつ」
「なんで御影さんの服装を凪が知ってるかは……まあ聞かないでおこう」
とは言いつつも、北斗はニヤニヤしていて、よくないことを考えているのは明らか。
「な、なんか勘違いしてない?」
「べつにー? 仲がいいなあ、とか思ってないしぃ?」
「…………なにも知らないなら」
「ちょっと待てって。知り合いに聞いてみるから」
北斗はスマホを耳にあてて、誰かへ電話をかけ始めた。その間暇なので、周囲をキョロキョロ見回してみる。
通りは、例年よりもヒトであふれかえっている気がする。もちろん正確に測ったわけじゃないからなんともいえないけど、いつもよりもにぎやかだ。お客さんも出店も。
もしかしたら、物騒だからこそ、人々は集まっているのかもしれない。息抜き、ガス抜きだ。歩行者天国は、通行人でぎっちぎち。先生の姿も、紺色の制服も、校則を守らない子どもたちの姿も、何もかもがごちゃ混ぜになっていて、なにがなんだかわからなかった。
ピッと音がした。振り返れば、北斗がスマホをポケットに収めて。
「そんな格好のやつは、補導されてないってさ」
「誰に聞いたの……」
「秘密。ちょっとした伝手があるのさ」
「じゃあ、どこに」
「さあなあ。誰かに誘拐されたとか――」
北斗は笑いながら言った。冗談か何かのつもりだったのか。
僕は、それが冗談だとは思えなかった。
この前のことが思いだされる。
今は廃館となり、M大学による調査が行われている伍郎書房。その地下で、ほかでもない伍郎さんが言っていたこと。そして、最近、コクヤも言っていたではないか。
――御影さんには悪意がある。
また、あの化け物が御影さんを狙って、誘拐していったのではないか。
そう考えれば、考えるほどに、後悔が頭をめぐる。
――どうして、彼女を一人置いてきてしまったんだ。
去年の僕は、今の僕と同じような後悔をしていた。
――どうして、ウカとはぐれてしまったんだ。
――どうして、ちゃんと見ていなかったんだ。
ウカは、人よりもおっとりしているところがある。僕は、一度ならず、ウカのことを『アホウドリ』と性根の悪い女子生徒が言っているところに遭遇したことがある。というか、ウカは面と向かったそう呼ばれたことさえあった。
だが、ウカはちっとも気にしない。
『アルバトロスって考えると、かっこよくない?』
だそうである。
いつも、弁当を最後に食べおえて、急ぐということを知らない。のんびりしていて、ストレスとも無縁そうに見える。
その祭りのときは、はぐれる直前に、クラスメイトにからかわれたというのも原因としてあるのだろう。幼なじみと歩いているだけなのだから、別に恥ずかしがる必要性はどこにもないんだけど、やっぱり、どこか意識してしまう。
それが、僕の歩みを早くさせ、ウカを置いてきぼりにしてしまった。
ウカの隣を歩いていれば、離れ離れになることはなかっただろう。あるいは、ウカの声に耳を傾けていれば――。
そんなことを考えながら、僕は人混みを駆け抜け、走りつづけた。
どこをどう走ったのか、よく覚えていない。
気がつけば公園にいた。祭りの会場からは少し離れた場所にあるその公園は、夜ということもあって、ひっそりしていた。
浮かれた声が風に乗って聞こえるほど静かな公園のブランコで、僕はウカを見つけたんだ。
僕は走った。
人混みをかき分けるように、押しのけるように。あまりに必死で、乱暴だったのだろう。背後の方で声がする。怒りの声、驚きの声、悲しみの声。だけども、僕は立ち止まってなんかいられなかった。
ぶつかりそうになり、転びそうになりながら、ただひたすらに、御影さんを探した。
見つからない。
探しても探しても、その姿は、印象的な浴衣のすその切れ端さえ、どこにもなかった。
途方に暮れて、僕は光から影へ向かって歩いていく。
気がつけば、一周していたらしい。
御影さんと一緒に座っていたベンチに腰掛ける。熱はなく、むしろ、熱を奪われていくような気がする。
ため息が、勝手にこぼれていった。魂が息とともに出ていったかのように体がだるい。
見上げた空、今まさに、白い火の玉がヒョロヒョロとヘビのように夜空を昇っていって。
カラフルなしずくが弾けた。ほんの少し遅れて、ドーンとくぐもった爆発音がする。
「花火……」
スマホで時刻を確認すれば、午後八時をちょうど回ったところだ。そういえば、花火が打ちあがるって言ってたっけ。
大きな光の大輪が、星々をかき消すように花開けば、それを合図として、次々にトンビの鳴き声のような声とともに火の玉が打ちあがった。
パチパチパチと、人々の拍手が上がる。たまやーかぎやー、というしわがれた声もそれに交じって聞こえてくる。
スターマインが生まれるたびに、あたりが明るくなる。空が明るくなって――。
火薬の残り香をバックにたゆたう、奇妙な生命体が見えた。
はじめは見間違えかと思った。目をこすり、パチパチと何度もまばたきする。だがそこに、その存在は、確かに浮かんでいる。
それはクラゲか以下のような形をしている。ふわふわとした軟体生物のようなからだ、そこから伸びる無数の触腕……。だが、その先端にあるものは、ギザギザの口だ。
「エイリアン――」
どうしてそう思ったのだろう? ムチのようにしなる先端がワラスボみたいだからだろうか、あるいは、宇宙から来たかのように悠然と空を浮かんでいるからか。
その飛行船のような生き物は、打ちあがり花開く花火のひかりに染め上げられているが、痛みは感じていないようで、ぷかぷか気ままに漂っている。
その数、1、2、3体。
だが何よりも奇妙なのは、だれもかれも悲鳴を上げないことだった。
人々は、花火を見上げ、指さしている。その指が向く方には、そのエイリアンのような生き物がいる。なのに、嬉々とした声が通りからは生まれていた。
化け物が浮かんでいるのが当たり前のように。日常と言わんばかりに。
いや、そうじゃない。
「誰にも見えていない?」
化け物の存在を受け入れているというよりかは、あの奇怪な生命体が見えていないと考えたほうが自然だ。
だけど、そうなると、僕にはどうして見えてるんだろう。
考えは行き詰まった。
僕はぶるぶると首を振る。こんなことを考えている場合じゃなかった。今は、御影さんを探しているのだから。
そうは思いつつも、半透明のホタルイカみたいな生命体から、目を離すことができないでいた。
そいつらは、ぷかぷかと漂っていたが、何かを見つけたかのように一点へ降りていく。あるいは、着陸する飛行機のように。
小さくなって、川岸の向こうへ消えていくそれらに、胸騒ぎを覚えた。
あの方角には、公園があったはずだ。
去年の同じ日、同じ時間に、はぐれたウカと再会したあの公園が。
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