第15話 夏祭りに蠢く3つの触手 その2

 中学の時になると、僕とウカは親に黙ってまつりへ向かうようになった。僕らは思春期真っただ中、親となんかと一緒にいられますかいってんだ。ウカがどうだったのかは知らないけれど、たいていはあっちから誘ってきた。


 で、夜の万灯まつりへ繰りだした。


 その時はさすがにウカは浴衣じゃなかった。いつ先生に見つかってもいいように動きやすい格好だったし、僕も似たようなスポーティな格好。


 小学生のころと違って、屋台を見て回るような余裕はなかった。


 きらびやかな屋台、歩行者天国を歩く浴衣やらTシャツやらに交じって、濃紺色の制服、あるいは黒のスーツ。


「あ、『ザビエル』だ」


 視線の先には、ゆったりと歩く一人の教師の姿。発電機からの光を浴びて、つるりとした頭を暗い夜道にピカピカ光らせている。社会の先生は、教科書に出てくる宣教師にそっくりだった。主に頭が。


 僕とウカは、そそくさとかき氷を買って、屋台裏の闇夜へ駆け出す。


 川沿いに並んだ屋台の裏手は、公園となっている。昼間は、慰霊碑の横の噴水で子どもたちがはしゃいでいたが、今は静かだ。屋台からこぼれてくる光によって、公園の闇はいっそう強く、寂しいものとなっていた。


 その闇に目を凝らせば、闇夜に溶けこむこどもたちの姿がちらほらある。先生たちの言うことを聞かずに、祭りにやってきた子たちであった。


 もっとも僕らもその一人であり、打ちあがる花火を、こすれる葉っぱの間から見上げては、たまや、と小さくつぶやいたものである。






 御影さんが住んでいるのは、神谷木川沿いに建てられたばかりのマンションの最上階であった。

 エレベーターを降りれば、夏にしては冷たい風が僕を揺さぶる。地上七階、この高さなら花火も見られるのではないか――そんな僕の予想は外れた。


 川に面しているこのマンションは、右手を山にふさがれている。ちなみに、この山の向こうから花火は上がるので、不幸なことに、このマンションから花火を見ることはできない。


 僕は御影さんの住んでいるという――さっき教えてもらった――部屋のインターホンを押す。


 ピンポーン。


 そんな軽快な音が、いつもよりも熱気を帯びた空気に響く。パタパタパタと足音が近づいてくる。


 いきおいよく、扉が開いた。


「ごめんね、わざわざ来てもらって……ってどうかした?」


 僕は思わず硬直してしまった。


 ……この際白状してしまえば、僕は彼女のあでやかな姿に見とれてしまっていたのだ。

 

 竹のような緑に真っ赤な曼殊沙華が降る浴衣を身にまとった御影さんは、まるで一輪の花のようであった。






 マンションを出て、川沿いに歩いていく。祭りがあるのは、神谷木川の一部分、そこは川幅が小さくなっており、流れもそれほど速くない。また、街の中心部を流れてもいる。灯ろうを流すにはうってつけの場所であった。


 時刻は午後七時を回ったところ、まつりへ向かう人々は、こんな物騒な世の中だっていうのに、いっぱいだ。その数は、先へ行けば行くほどに増えていく。


「みんな、平和な日常が戻ってくることを願ってるんじゃないかな」


「だと、いいんですけど」


 祭りで祈ったくらいで、平和が戻ってくるとは、とてもじゃないが思えない。それに、この人混みの中の何人が、亡くなった人に祈りをささげているのだろう。


 飛びかう子どもの歓声。


 かき氷を分け合うカップル。


「ねえ」


 しばらく無言で歩いていたが、ふいに御影さんが言葉を発した。意を決したような大きな声だった。彼女を見れば、立ち止まって、僕の方をじっと見つめていた。


「なんですか」


「手を……つないでほしいな」


「――――」


「いやなら、いいんだけど、さ。この人混みだとはぐれちゃうかもしれないじゃない……?」


 ――そう言えば、迷子になったウカを探したこともあった覚えがある。


 でも、どうしてウカのことを思いだしたのだろう。自分でもよくわからないが、胸がチクリと痛んだ。


 それで、対岸をちょっと見る。こっちと同じような人の流れがずっと続いている。いくつかの中華料理店、飲み屋などなどは、今夜は早い閉店を迎え、光はなく、星々がいつもよりもよく見えた。


 僕と御影さんは、流れに逆らって、その場に立ち尽くしている。通りすぎる人々が、訝しむような目線を投げつけてくる。


 実際、この人混みだと、迷子になる可能性はあった。過去にもあったんだから、今起きないとは限らない。


 僕は何も言わずに頷いて、御影さんの手をつないだ。


 その小さな手は、じっとりと汗ばんでしまうほどに、熱い。






 高校一年生の夏。


 僕とウカは奇跡的に――神谷木高校は1学年に7クラスもある――同じクラスだった。で、そうそうに、祭りへ行くことが決定した。終業式のさなかに決まったはずだ。


 だが、クラスがいっしょになった時点で、僕もウカも運を使い果たしてしまったらしい。


 祭り当日、離れ離れになった。屋台の間を流れていく人々の中でもみくちゃになっていたら、ウカの姿はなかった。スマホで連絡しようと思ったら、ポケットの中にスマホがなかった。忘れてきたらしかった。


 どうしよう。


 僕は、屋台裏手の暗がりで、考える。腹の虫を刺激する香ばしい匂いがしていたけれども、食欲はわいてこない。


 ――やっちゃったなあ。


 そんな後悔が頭のなかで、とめどなくグルグル回っていた。






 熱い。


 からだの中心からカッとこみあげてくる感じ。


 お祭りの熱気に当てられたのだろうか。それとも、手から伝わってくる、体温のせいなのか。


 手を離そうにも、僕の左手は御影さんの右手にぎゅっと掴まれていて、離せない。


 手の方なんか見ていられない。顔なんかもっと見れなかったから、ただ進行方向をまっすぐ見つめて、ゆっくり足を動かす。


 いつもは車が行きかっている道路いっぱい、人が歩いている。道の両側からは、おいしそうな匂いとともに、客を呼ぶ声、お礼の言葉が飛び交っている。


 タコ焼き、わたがし、かきごおり、チョコバナナ、クレープ、くじ引き、型抜き、金魚すくい……。


 色とりどりな屋台を、通り過ぎていく。


「あ……」


 気がつけば、歩行者天国を出てしまっていた。


 人ごみ少ない交差点を、トラックと車が行き来している。横断歩道の向こうには、赤く光る棒を手にした警察官が、ヘビのように伸びる人々の流れを止めていた。


 ちょっと、ためらう。今、御影さんを見る気恥ずかしさと、補導とが、天秤に乗って。


「御影さん……っ」


 僕の声に、御影さんが僕の方を見てくる。その白い整った顔は、電球のひかりを浴びて、ほんのりと赤みを帯びている。熱を帯びているのか、あるいは熱気に当てられたのか、熱っぽい頭ではよくわからない。


「あそこに警察がいるので、あっちに行きましょう」


 僕が指さしたのは橋の方。歩道にはいくつも人の姿がある。対岸にわたるための道はその橋しかなかったから――歩行者用のものは花火に近いために通行できなかった――ひどい混雑だった。


 御影さんが頷いたのを確認し、僕は歩き始める。


 そういえば、去年もこんな感じで橋を渡った。もちろん、その時はひとりだったし、補導を避けるためではなくて、ウカを探すためだ。


 対岸へとたどり着く。ふう、と息をつけば、公園が見えた。大水害の犠牲者の慰霊碑は、闇の中にひっそり佇んでいる。


「ちょっと、どこかに座りませんか」


「うん……」


「大丈夫ですか、もしかして、熱中症になってしまったとか――」


「ううん、そんなのじゃないから」


 にこりと御影さんが口角を上げる。その笑みも、いつもよりも弱弱しい。


 公園のベンチに二人して腰かける。樹脂製のベンチは、ひんやりとしていて、熱気とは無縁だった。


 僕は、しばらくの間、自分のこぶしを見つめ続けていた。手を握っていない方のこぶしは、うっすらと血管が浮かびあがっている。ここ何日か結構な頻度で、危険な目に遭っているが、なぜか怪我をしていない。


 御影さんは心因性の気絶を体験し、コクヤは大怪我を負った(たぶん)というのに……。


「何か、買ってきますよ」


「じゃあ私も……」


 立ち上がろうとした御影さんのカラダがふらついた。慌てて肩を支えれば、びっくりするぐらいその体は軽い。吹けば飛んでいってしまうのではないか、と思ってしまうほどに。


 御影さんの顔が近かった。


「こ、ここにいてください。何か冷たいものを買ってきますっ」


 弾かれたように僕は立ち上がる。


 手は、おもったよりも簡単に離れていった。彼女がそれを望んでいたのか、そうじゃなかったのかはわからない。

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