第14話 夏祭りに蠢く3つの触手 その1

 雨が降りしきる七月の終わり、神谷木川は氾濫はんらんした。


 土砂災害などをふくめた死傷者は、二千人にものぼるとされている。その魂を鎮めるために、祭りは行われる。


 それが、神谷木万灯まつりである。






 七月に入ってもなお、行方不明者と死亡者の数は減らない。それどころか増える気配さえあり、思わずため息が漏れる。

 そのくせ学校に出なければならないというのが、どうにも納得できない。台風では休みにするくせに。


「憂鬱そうだね?」


 言ったのは、隣の席の御影さん。もう、彼女と机をくっつけて、一つの教科書を二人でめくるなんてことはしていない。


 でも、彼女は話しかけてきてくれる。なんでだろう、と思わないでもないが、同時にあんなことがあったんだから、とも納得する。


「……どうして、こんな時に学校に出ないといけないんだろう、と思っただけです」


 七月といえば、夏休み。


 神谷木高校がいくら進学校だったとしても、夏休みはやってくる。といっても、一年の時は合宿があり、三年だと補習授業。じゃあ、二年は自由かと問われれば、そうじゃない。


 二年生は二年生でやることがあり、ある種、歴史のお勉強である。


 神谷木大水害についての特別授業が行われていた。それから、集会。大水害についてのビデオを、バカみたいに大きなスクリーンで見てから、校長先生のありがたーいお話を聞いた。


 そんなことがあって、現在時刻はお昼ちょっと前。今やっているホームルームが終われば、やっと帰れる。


 黒板の前では、担任が注意事項を読み上げている。今週末のまつりには行かないように、校則で夜間の出歩きは禁止されており、補導対象、先生たちも見回るので……うんぬん。


「あれは、本気ですか」


 僕は、隣の御影さんに言ってみる。アレっていうのは、この前のこと。病室で、彼女が口にしたことだ。


 ――いっしょに行こうよ、夏祭り。


 御影さんは目をぱちくりさせて


「もちろん本気だけど……深浦くんは行きたくない?」


「そんなことはありませんけど、見つかったら叱られますよ」


 夏祭り当日は、生きるか死ぬかの戦いだ。先生を見つけたら、即逃げる。捕まらなければなんとかなるが、捕まったら最後だ。大量のお叱りのことばと山のような宿題を頂戴する羽目になる。


 そのことを、担任は脅すように言っていたが。


「そんなこと気にしていたら、楽しくないじゃない」


 御影さんの決意は、脅しなんかで揺らぎはしないらしい。






 僕が万灯まつりに行くようになったのは、小学生の頃だと思う。その時は保護者がいて――大人がいれば行ってもいいということになっていたのだ――隣にはウカの姿があった。


 ウカは浴衣を着ていた。赤い金魚が泳いでいるやつ。それを見せつけるようにくるりとまわったウカは、


「どう?」


 そうたずねてきたけれども、その時の僕は、浴衣なんてどうでもよかった。くじ引きの景品のゲームとかエアガンの方に目がいっていた。花より団子よりおもちゃだった。


 色とりどりの光とにおいを放つ無数の屋台の中へと、僕は誘蛾灯におびき寄せられる蛾のように近づいていく。


 その後ろからウカはやってきて、手を引っ張ってくる。その力といったら、案外強くてびっくりしたことだけは、はっきりと覚えている。あまりに強すぎて、僕とウカはもつれ合うように、地面を転がったから。






 やっとホームルームが終わり、僕は帰路につく。


 家に到着し、カギを開けて中へ。


 玄関には、知らない靴がかかとをつけて並べられていた。よく見たら白い靴は、ここ一か月なんども目にした汚れ一つないあのミュールだった。


「…………」


 僕はそっと、自室へと向かう。抜き足差し足、音をたてないようにしながら。


 自分の部屋の扉の前に立ち、いきおいよく開けば、僕の部屋の椅子に座ってくつろいでいる少女がいた。


「よお」


 手を上げてそう言ったのは、コクヤであった。


「なんでいるの」


「ちょっとばかし、この辺に用があったからな。様子でも見ようと思ってな」


 そう話すコクヤはどこで見つけたのか、ポテトチップスに手を突っこんでいた。しかも、この前買ってきたやつだ。楽しみにしていたのに……。


「というか、生きてたんならちゃんと言ってよ!」


 僕は、あの後のことを思いだす。伍郎書房での一件のあと、僕は警察の方々から事情聴取を受けることとなった。僕はありのままのことを伝えたつもりだ――もちろん、伍郎さんが化け物かもしれないということは伏せて。


 それでも、刑事たちは半信半疑といった目で、僕を見てきた。そりゃあそうだ。僕だって、いまだに夢だったんじゃないかって思うんだから。


 だが、そうじゃなかったらしい。


 コクヤがここにいるってことは、あの日のことは幻とかではなく、現実に起きたことだったんだ。


「しょーがねえだろ。アイツに噛まれたケガがなかなか治らなかったんだ」


 頭のなかに浮かんできたのは、あの地下室でのこと。


 吹き飛ばされたコクヤ。


 手に口をもった伍郎さん。


化膿かのうして薬つかってもキズがふさがらねってんで、大変だったんだぞ」


「そっか……」


「つうか、アタシのことはどうだっていいんだよ。そっちはどうだった?」


「どうだったって……まあ、元気ですよ」


「お前のことは見りゃわかる。アイツは?」


「アイツ?」


「あの女だよ、お前といたっていう、あの気絶してた」


「御影さん、御影アゲハっていうんですけど。彼女が何か――」


 僕は質問を投げかける。どうしてコクヤが御影さんのことを気にかけるのか、よくわからなかった。


 コクヤは神妙そうな顔をして、椅子をくるくる回転させる。そのたびに、髪が舞う、ワンピースのすそがひるがえる。


「あれだよ、あのじじいが言ってたろ、あの女には悪意があるとかなんとかかんとか」


「いまいち信用できませんけど、そんなことを言ってましたね」


 僕からすれば、苦し紛れの一言というか、こっちを混乱させるためのでまかせだったのではないか、と思っちゃうんだけども、コクヤはどうやら違うらしい。その顔はいたって真剣だ。


「信じてるんですか……」


「まあな。確かに、でたらめって可能性もあるが、悪意に対する鼻のよさなら、アイツはマジだ」


「イヌみたいですね」


 クンクンと、ありもしない鼻をひくつかせている白い化け物が脳裏に浮かんできて、辛いものと甘いものを同時に食べたときみたいな、なんとも言えない気分になった。


「イヌねぇ。自分に似ているやつを見つけるって点では、あながち間違いでもないかもな……」


 コクヤは遠い目をして、窓の外へと視線を投げかける。切りとられた空は、真っ赤に燃えている。太陽はじきに沈んでいって、暑さも少しはおだやかになるはずだ。


 その終末じみた色を見つめていたコクヤは、


「そういや、お前はどうなんだよ」


「僕?」


「そ」そこでコクヤは僕の方を見てニヤリと笑った。「誰かに付きまとわれてるとか、そういうこと、ねえの?」


「別にないけど」


「ふうん。あの女とは?」


「はあ……クラスメイトで隣の席ってだけだよ。たまーに話はするくらいで、別に何も」


「ホントかなあ。もしかして、好きなんじゃないの」


「だからっ! 好きとかそういうんじゃなくて!」


 からかわれているとわかっていても、言いかえさないわけにはいかなかった。


 コクヤはくすくすと笑い、立ち上がる。


「じょーだんだよ。でも、その御影アゲハってやつには気をつけろよ」


「……どうして」


「タイミングがよすぎるからだよ」

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