第13話 悪意ある手に口 その8

 眩い白光が、僕を包みこんでいく。LEDのような、きつく、目に突き刺さるような無機質な光。


 それが、前方からやってきたかと思えば、世界は純白にそまっていく。


 眩い白の中に、光る球体があった。


 無数の光の球は、バチバチと音を立て、稲光のようなものを互いに伸ばしながら、ふよふよと漂っている。玉虫色で、複数の色がミックスされ、重油のように絶えずその色を変化させている。色どころか、かたちさえも一定ではない。


 何なのかわからないままに、光は、後方へと流れていく。


 すべては刹那せつなのうちに始まって、刹那のうちに終わった。






 光が流れ去っていけば、そこは外だった。


 外。


 暗闇はなく、空を泳ぐ太陽から降り注ぐ日の光で、明るい世界。


「え――」


 僕はパチパチと何度か瞬きし、ごしごしと目をぬぐう。それくらい、信じられなかった。


 目の前に横たわっているのは、先ほどまでいた伍郎書房の洋館。横には見慣れた看板。


「外……?」


 夢でも見ているのだろうか。だけど、肩に食いこむような重さはリアルだ。


 僕は、いまだ正気を取りもどさない御影さんをそっと横にする。芝生が彼女の頬を撫でても、目を覚まさない。息はしているみたいだけど、心配だ。


 心配なことはもう一つ。


「コクヤ、そうだ、コクヤはっ」


 見まわせど見まわせど、近くにコクヤの姿はない。


 なぜ、僕と御影さんだけが、外へ出てくることになったのか。


 あの光。


 あの一瞬にしてかき消えていった、真っ白な光が、僕たちのことを外まで運んでくれたのだろうか。


 きっとそうだ。確信をもってそう言える。だが、言葉にすることはできない。そうだ、という想いだけあって、理由がぽっかり抜けていた。


 それにわからないこともあった。コクヤも運んでくれたってよさそうなものなのに、どうしてそうしてくれなかったのか。


「助けに行った方がいいのかな……」


 そうは思うものの、行ったところで足手まといになるだけのような気がする。脳内コクヤも、僕へ罵声を浴びせかけてくる。『邪魔だからくんなっ!!』と。


 だが、そうは言ってられない。コクヤは怪我していたし、何より相手は化け物だ。手が口になってる化け物なんて聞いたことがないけれど、『ポマードポマード』でなんとかならないだろうか――。


 そう考えていた矢先。


 ズシン。


 地面が揺れた。


 一度、二度、三度。おなかを揺さぶるほどの強い揺れが起きた途端に、脳裏をよぎったのは地震。だけども、その揺れは突きあげるようなもので、感じたことがなかった。


 それに、三度っきりで揺れは収まった。


「あれ……」


 御影さんを移動させようとしていた僕は、立ち止まる。


 地震はあっけなく終わった。


 だが、建物は、頑丈そうな伍郎書房の建物は、今も揺れ続けている。ビヨンビヨン。先端の避雷針が揺れる。そのたびに、レンガが崩れ、涙のように砂ぼこりがはらはら落ちていく。


「揺れてる……!?」


 まるで、地面の下からドンドンドンと叩かれているかのように、建物が振動する。


 ドーンとひと際強い衝撃が建物を襲った。


 レンガの壁が崩落する。間欠泉のように噴きだした本とともに、黒いものが姿を現す。


 それは、陽の光を浴びてもなお、黒い柱のようなもの。いや、よくよく見てみれば、深い深い緑色をした木の幹だ。


 つややかなヒイラギのような葉を茂らせた巨木。それが、建物を突き破り、食い破り、日乃本へと腕を伸ばす。そのたびに、建物は揺れ、血のように本が外へと散乱する。


 通りには、野次馬がたくさんいた。イカロスのように太陽めがけて伸びていく枝を指さしている。僕が見ているこの、幻想的ですらある光景は、夢なんかじゃないらしい。


 木だけじゃない。レンガの壁を覆いつくすように、緑が侵食していく。ツタがうねうねうじゃうじゃ伸びてきて、赤がどんどんなくなっていく。


 ついには、植物の重みに耐えかねたように、建物が崩れていった。一度、それほど強くはない揺れがある。本がバラバラと飛び散り、もわっと舞い上がる土煙ととともに、ビラのように雑多にページが舞い散った。まるで、枯葉のように。


 そして、青々とした葉を茂らせた大樹が、勝利を宣言するかのように、土煙の中から姿を現すのだった。




 その後、僕は救急と消防に連絡した。


 御影さんのことが心配だったし、建物と突然生長した木々に押しつぶされているに違いないコクヤのことが心配だった。


 御影さんは、まもなく目を覚ました。それから救急車によって搬送されていったけれども、外傷はなく、心因性のものだったらしい。数日もしないうちに退院できるそうだ。


 コクヤは見つからなかった。伍郎さんも見つからなかった。


 どうして、木々が突如として生えてきたのか、高さ数十メートルにもなったのか。どうして洋館の地下から……。


 謎は無数に存在していたが、それらすべてが解決されることはないのだろう、そんな気がした。


 たぶんきっと、その方がいいのだろう。






 ここからは後日談。


 神谷木総合病院の特別病室にあるテレビには、退屈なニュース番組が流れていた。


 連続不審死事件突然の収束。


 そんなテロップがデカデカと輝いて、キャスターやらアナリストやらが侃々諤々の大論争を繰り広げている。ある人は口角泡を飛ばす勢いで、ある人はドライアイスみたいに冷ややかな笑みとともに持論を展開している。


 そのつまらない番組が消える。


 御影さんを見れば、持っていたリモコンを、台の上に置いて。


「わざわざ来てくれてありがとう」


「体調は大丈夫ですか……?」


「うん、からだには問題ないだって。でも、父が一応検査しておきなさいってさ」


 困ったように、御影さんは笑った。僕にも、御影さんのお父さんの気持ちがわかるような気がする。


 僕は、持ってきたプリントの束を、棚の上に置く。


「宿題とか、提出物とか、その中に入ってます」


「持ってきてくれたんだ、ありがとう」


「いえ、ついでですし、そんなに重くなったので」


「本当にごめんね。私が誘わなかったら、深浦くんが巻き込まれることもなかったのに」


「き、気にしないでください。僕は楽しかったですよ」


 もちろん、あの地下室での一件を除けば、だけど。


 僕がそういうと、御影さんはくすりと笑ってくれた。退屈そうな表情が和らいで、僕も嬉しかった。


 そんな御影さんは、窓の外へと視線を向ける。街にはあきれるほど強い日差しが降り注いでいる。


 セミの声も幾分か小さく感じられるほどに、暑い。全世界的に今年は気温が高めらしい。フェーンなんちゃらがなんちゃらしたせいだ。


「あの人たちって何だったのかな……」


「あの人たちって」


「伍郎さんと、あの女の子だよ」


「たぶん、ヒトだよ」


 たぶん、と僕は口の中でもぐもぐ呟く。自分でも納得がいっているわけではない。はっきりいって納得していない。


 だが、そういうほかないではなかった。


 おじいちゃんの節くれだった手にうかぶ口は、何かの見間違え。だから、そんな化け物じみた存在と互角に渡りあっていたコクヤの飛び蹴りもまた、気のせい、あるいは極限下が見せた、まやかしだったのだ。


 僕はそう思い込むことにした。じゃなきゃ、既成概念がひっくり返って、何を信じたらいいのかわからなくなるから。


「でも……木がいきなり生えてきたってニュースでいってたよ?」


「あれも、たぶん、太陽が当たったからとか。そもそも、生長していたのがバネみたいに飛びだしてきたとか言われてますよ」


 いろいろな説が、研究者やらオカルティストによって提唱されている。だが、僕も含めて、みんなが信じているのは、そこからいきなり生えてきた、っていう素朴な説だ。だって、実際そうなんだもの。


 御影さんは、興味なさそうに相槌を打った。


「あの子、元気かなあ」


「まだ……行方わかってないらしいです」


「今度会ったら、私に紹介して?」


「えっ。僕も全然親しいってわけじゃ。……っていうかなんで僕に?」


「仲良さそうに話してるのが聞こえた気がしたんだけど……。ごめん、きのせいだったのかも」


 その緑色した瞳は、夏の日差しを受けて、きらきらとエメラルドのようにきらめく。


 ふいに、プルプルした唇が動いて。


「あ、そうだ。今度、夏祭りがあるんだよね」


「そうですね。再来週の日曜日だったかな」


 頭のなかで日めくりカレンダーをめくる。夏祭り――神谷木川灯篭祭りがあるのは、七月24日の日曜日。


「じゃ、いっしょに行こうよ、夏祭り」


「へ!? ど、どうしてですか」


「今回、迷惑かけちゃったから、その埋め合わせに」


 くすりと笑う御影さんは、大人の女性みたいに、その一瞬だけ見えて。僕は情けなく、口をパクパクあわあわさせていたに違いない。


「もしかして、だれかともう約束してる……?」


「と、とんでもないっ。だれが僕なんかと」


 僕と夏祭りに行ってくれるようなやつは一人しかいなかった。そして、そいつはもういない。


「じゃ、約束ね」


 と、上機嫌で御影さんは言った。なんで上機嫌なのかは、僕にはわからなかった。


 窓の向こうの青空では、墨をぬったような入道雲が、せまってこようとしている。

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