第10話 悪意ある手に口 その5
「ヒトが消えた?」
コクヤの言葉に、僕は頷く。
「さっきまでいたはずの伍郎さんと御影さんがいなくなったんだ」
「どっか行っただけじゃねえの? お前を置いてさ」
「なんでそんなことを……」
「たとえば、秘密の話をするため、とか」
コクヤを見れば、ニヤリと笑った。わざと言ってるらしい。ムカつきはしたし、心にざわつくものが走ったけれど、ため息とともにすべて吐きだす。
「そんな人じゃないですよ。二人とも」
「ヒトってわからないもんだぜ」
「人の何を知ってるんですか、高校生が……高校生ですよね?」
コクヤの姿はウカと変わらない。とするならば、年齢もウカと変わらないって考えるのが自然なんだけど、墓場に突然現れた少女に、自然とか常識とかが通用するとも思えない。
「何歳に見える」
「十七歳」
「はあ、やれやれこれだからヒューマンは」
「じゃあ、何歳だって言うんですか」
「そうだな」コクヤが両手の指を折って数えはじめる。「200億?」
「…………」
ちなみに、宇宙ができてから『まだ』137億年ほどだ。
「あ、冗談だって思ってんだろ。けっ、教えたら教えたで信じねーんだから、張り合いねえよなあ」
「ちゃんと真面目に教えてくれないからでしょ」
「まじめだっつーの!」
思いっきり、背中を叩かれた。バシーンという気持ちの良い音が、バックヤードのすみずみまで響き、僕の背中には灼熱に似た痛みが走った。
「どこ行ったとか心当たりはねえのか」
僕は首を横に振る。バックヤードにはさっき入ったばかり。案内もろくにされておらず、ちょっと本棚を見回ったっきりだ。
「ううん、さっき、見て回ったんだけどどこにも姿がなくて」
「それで、慌ててたってわけか。じゃあ、ここには誰もいねえんなら、好きに家探しと行こうじゃねえか」
「家探しって……」
「どっちみち、いなくやった奴を探さなきゃだろ。つべこべ言うんじゃねえ」
そう言われると、僕は返す言葉がない。
僕はコクヤを連れて、バックヤードをさがしてみることにする。
「いました?」
「いねえな。だが――」
コンコンコンとコクヤがノックする。
そこにあるのは、レンガの壁に嵌めこまれたような木製の扉。タックルでもされたら木っ端みじんになってしまいそうな、年代物のドアは、コクヤの小さな手にノックされると、キシキシ音を上げて開いていった。
その先には、暗闇が広がっている。
ただでさえ、バックヤードは窓もなく、窮屈で息苦しい。それなのに、扉の先は闇より暗い闇が広がっている。差し込める光で、舞うホコリは星の塵のよう。
「おい、見ろ」
コクヤが指さしたのは、扉を抜けてすぐの床。ホコリの積もった床には、足跡が残っていた。しかも、二人分。
「まさか、この先に」
「だろうな」
言って、コクヤはためらうことなく暗闇めがけて歩いていく。
「ちょ、ちょっと!? 準備とかそういうのは」
「不要だ。アタシは夜目が効くんでね」
その声はますます小さくなる。白いワンピースが黒に覆われて見えなくなっていく。
追いかけるべきか、ここで待っているべきか。扉にカギがかかっていなかったとはいえ、それに足跡が二つ分あったからといって、この先に探している二人がいるとは限らない。
別の扉で、古い小説について語り合っているだけなのかもしれないし、僕のことを思いだして戻ってきた時に、入れ違いになるかも。
ちょっと考えて、僕はスマホ片手に闇のなかへ駆け出した。コクヤを放っておいたら何をしでかすかわからない。
闇のなかでぼうっと四角い光がともる。
扉の先は、古めかしい廊下。狭くて、息苦しい廊下には明かりというものがなく、窓もないのか闇に包まれている。スマホの頼りない光では照らしきれない暗闇。その向こうに消える白い服が見えた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかければ、コクヤの姿が見えてくる。
スマホに照らされ、夜道を歩くネコのように光った栗色の瞳がこっちを向く。ネコの目のようで、思わず心臓が跳ねた。
「なんだよ、眩しいな」
「ひ、光がないと、歩けませんって」
「お前はそうかもしれないが、アタシは違うの。それに、暗闇で光なんて持ってたら目立つぞ」
「あ……」
「ま、それでもいいんなら持ってろよ」
スマホの電源を一回消してみる。一寸先も見えない夜が、僕の目を覆った。何も見えない。廊下もレンガの壁も、コクヤのちいさな背中も何もかも。
次の瞬間には、僕はスマホの電源を入れていた。刺すような光であっても、この闇のなかでは何よりも大切なもののように感じられてならなかった。
「窓とかないのかな」
「あるぜ、ほら」
声のした方へ近づいていけば、コンコンと音がした。音がする方へカメラを向ければ、コクヤがガラスをノックしている。だが、その窓には外側から木の板が何枚も打ち付けられていた。
「どうりで真っ暗なわけだ」
「どうしてこんなことを……」
「さあな。もしかしたら、中のもんを外に出さないため、だったりしてな」
「怖いこと言わないでくださいよ」
コクヤの意地悪な笑い声が前方から聞こえてくる。その背中を蹴りたくなったけれども、どんな仕返しがやってくるか分かったものじゃないからやめた。
廊下を道なりに進んでいけば、いくつかの扉があった。だが、そのほとんどはカギがかけられており、開かなかった。
「お、コイツは……」
「何か見つけた?」
「鍵がかかってねえ部屋だ。入ってみよう」
「また勝手に」
「こん中にいるかもしれねえだろ……うわっ」
「な、何かありました!?」
僕は、半分ほど朽ちて、扉としての役割を朽ちた分放棄した扉を開け、部屋の中へ。
そこには、本棚があった。というか、本棚しかなかった。
キョロキョロと小さな光をかざしてコクヤを探せば、本棚の一つに顔を近づけている。
「なにしてるんですか……」
「これ見ろよ」
といって、コクヤが何かを放り投げてきた。黒いそれをなんとか受け止めれば、バサバサ音がして、腕にぺらぺらしたものがぶつかった。
光をあててみれば、それは一冊の本だった。
革張りの黒手帳みたいなその本には、外国語のような字が刻みこまれている。持っているだけでゾワゾワとするようなその本を広げてみれば、同様の読めない文字だらけ。
「外国語の本? なにが書いてあるんです?」
「平面人について」
「平面人?」
「そ。二次元に住んでいる生命体のことで、上位の世界……つまりアタシたちがいる世界へワープしては生命力を吸う、吸血生物」
「はあ……」
信じられなくて、僕は上の空で返事をする。開いたままのページには、びっしりと初見の文字が書きつけられている。その手書きの文字が不意にうねりだして――。
パタン。僕は本を閉じた。
今のは見間違えだ。光の加減か、目が疲れていたんだろう、そうに違いない。
「ほら」
また、コクヤが本を渡してくる。それを用心深く受け取って。
「今度は変な本渡さないでくださいよ」
「安心しろ、変な魔導書じゃなくて、『サラゴサ手稿』ってやつだ。しかも初版本」
「なんですそれ」
そう聞けば、闇のなかから、大きなため息がした。
「ちっとは本読んだことないの?」
「『老人と海』くらいなら……」
またしてもため息。なんで僕、怒られてるんだろう?
「まあいい。『サラゴサ手稿』ってのは、ポーランドのやつが書いた本なんだが……『千夜一夜物語』くらい知ってるよな」
僕は頷く。シュヘラザードやら、シンドバッドやらが出てくる物語だ。
「あれと似たような構造をしてる物語でな、物語の中で物語が語られるという、入れ子構造をしてんだ」
「詳しいですね」
「まあな。で、色々な版があるわけだが、初版本しか収められていない物語があるんだ。そこには、奇妙で風変わりで、悍ましい生命体についての記述があると聞く。
もしかしたら、千夜一夜物語から欠落した物語と同様のものだってあるかもしれない」
と、コクヤは言ったけれど、僕にはよくわからなかった。
ただ、なんとなく、すごいってのは伝わってきた。
「つまり珍しいってこと……?」
「大雑把に言えばそうなる。しかし、こんなもんを持ってるってことはだ」
「ことは?」
「アタシの勘は正しかったのかもしれねーな」
バンと本を閉じたコクヤは、乱雑に本を本棚へ突っ込んだ。それから、足取りはやく部屋を出ていく。
勝手だなあ、と思いつつ、手の中の読めない本と、斜めに突き刺さった本とをちゃんと直してから、僕も部屋を後にする。
小走りになって追いかければ、コクヤの姿が見えてくる。
「本は大事に扱わないと、伍郎さんに怒られますよ」
「バレなきゃいいんだよ」
「あんな雑な入れ方だとすぐばれちゃいそうですけど」
「マイナーな本だし、どうせ適当に扱ってるだろ。んなことはどうでもいいんだ。ここに何かしらがいるとなると――」
「その何かしらってなんなんです?」
僕が聞けば、コクヤは口をつぐんだ。
「もしかして、さっき言ってた」
「平面人の話なら違うぜ」
「どうしてわかるの……」
「アイツらは生命力を吸うんだ。だから、気分悪くなっていく」
「僕はこの空間にいると具合悪くなってきますけどね」
「それとはまたちげーんだ。それに、ドンドン干からびてって、肌にまだら模様が浮かぶから、すぐにアイツらの仕業ってわかるんだ」
僕は腕を見てみる。黒い斑点はなかった。ほくろくらいのものだった。
「そんな死体、今んとこ出てなかっただろ」
「ニュース見てるんですか」
「そりゃあまあ、グールがなぜ出てきたのかを調べたりする際にちょっとな」
「確か、今は食い殺された死体でしたっけ」
コクヤが重々しく頷く。
「そんな殺し方をするやつは、ほとんどいねえ。もっとも、そいつじゃないことを祈りたいね」
と、どこかでキイっと扉が開いていく音がした。
僕はコクヤと顔を見合わせて、それから、そろったように駆け出した。
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