第7話 悪意ある手に口 その2
自分で提案したものの、正直なところ困った。
僕は、この町に生まれて十八歳になった。だが、この町のことをなにも知らない。
観光地的なところを知ってるわけでも、ひっそりとたたずむ隠れ家的なカフェを知っているわけでもない。
こういう時に、ウカがいればなあ……。
幼なじみは僕とちがって、友達が多い。趣のある名所やら、しゃれたカフェやらなんやらを知っているだろう。
しょうがないので僕は、数少ない友人である北斗へ連絡してみる。……返事なし。釣りにでもいっているに違いない。
スマホをポケットへ突っ込む。気が重い。笑みを浮かべて、僕がどこへ案内してくれるんだろうと楽しみにしている御影さんに申し訳なくなってきた。
フッとアイデアが浮かんできたのはその時で。
「お肉屋さんにでも行きます……?」
「わぉ!」
お肉屋さんのおばちゃんが差しだしたハムカツを受け取って、御影さんは歓声を上げた。その喜んでいるであろう表情は、僕からは見えない。うちわほどの大きさの揚げ物で隠れていた。
僕の手にも同様のものがある。ホカホカ揚げたてのカツは、ちょっと薄っぺらいけれども、その分値段は安い。百円もしない。
それを手にして、僕と御影さんは、お肉屋さんの一角におかれた椅子に座る。
そこは、ちょっとした休憩室のようになっていて、油べとべとの液晶テレビと、名作漫画の傑作選が並んだ、小さな本棚がある。ちなみに小学生のころから品ぞろえは変わっていない。
「こんなところしか知らなくてごめん……」
ザ・庶民って感じの場所で、御影さんはひどく浮いている。田舎道を走るスーパーカーみたいだ。
でも、彼女はハムカツを掲げて。
「こういうところ来たことないから新鮮。それにこんなに大きなハム、
見たことないっ」
そう言いながら、御影さんはまた、ハムカツを小さな口でかじって、咀嚼している。なにからなにまで美しい人だ。食べる動作さえも、俳優のように綺麗だった。
隣に座っているだけなのに、いつものハムカツがおいしく感じられて、不思議だ。
自販機で買ってきたジュースを飲みながら、ハムカツに舌鼓を打つことしばし。
ふと、テレビの映像が気になった。
映っていたのは、ニュース番組。地方ニュースを取り扱っているやつだ。この辺の情報に、やけに詳しい。また、神谷木高校の生徒が行方不明になった、殺人事件が起きたとニュースキャスターが話している。
「殺人事件……」
「あ、それね。父が話してたなあ」
御影さんは、果汁100%のオレンジジュースを飲んで言った。そういえば、彼女のお父さんって刑事だったっけ。
僕がテレビから視線を彼女へ向ければ、御影さんがウィンクする。
「殺人事件じゃないかもしれないって、言ってたんだよ」
「どういうこと……」
「気になる?」
テーブルに身を乗りだした御影さん。僕も同じようにし、耳を近づける。彼女の声はちょっと低く、囁くようなものとなって。
――死んだあと、動いたかもしれないんだって。
「え」
「私も聞きかじっただけだから、本当のところはわからないんだけどね。被害者は、体中を噛みちぎられていてね、で、ショック死」
頭のなかでは、先日のことがよみがえっていた。
ウカの墓をまいったときのこと。
グールという生ける屍に襲われ、ウカそっくりのコクヤに助けてもらったときのこと。
グールはカギ爪とともに、犬歯をむき出しにしていた。哀れな犠牲者をむさぼるための、鋭利な歯。
あのゾンビみたいなやつに、かじられたのではないか。
でも、御影さんの話は違った。もっと奇妙だった。
「被害者はショック死したあと、数十分から数時間、生きてたんだってさ」
一瞬、時が止まったように感じられた。
それが意味することは、死んだ人間が、死んでいるにもかかわらず動き回っていたということ。
夜の闇を、ふらふらと力なく歩く謎の生物だ。それは、フレッシュな血を、全身にできた傷から垂れながし、引きずったような血の跡を遺す痛々しい犠牲者の姿。
その向こうに、僕は白い巨漢を目にした気がするが、なぜだかわからない。昨日見たSF映画のせいなのかもしれない。
心を無にすると、そいつも消え去った。
目の前には、心配そうに見つめてくる御影さんの姿があった。
御影さんが話してくれたことは、ニュースでは取りだたされていない。ニュースキャスターは、街に潜む凶悪な野生生物の仕業ではないか、と煽るようなことを言ってるばかり。
警察は意図してその情報を隠しているのか、あるいはニュースキャスターが、北斗みたいに僕をこわがらせて楽しんでるか……。
「あ、これ誰にも話さないでね。父に怒られちゃう」
「本当なんですか」
「うん、わたしもちょっと信じられないけど、父が言ってることだし」
「お父さん、すごい人なんですね」
「もちろん! 警視庁に努めてたこともあるらしくて、
刑事がちぎって投げるのはいかがなものだろう。でも、御影さんのお父さんがすごい人っていうのはなんとなくわかった気がする。
でも、そのせいで、彼と彼の娘の御影さんは、こんな街にやってくる羽目になったのだから、大変だ。
御影さんは、まったく気にしていないようで、周りのものに目を輝かせている。そんな天真爛漫なところを見ていると、クラスメイトが興味を持つのもわかるような気がした。
「? どうかした?」
「なんでもないです。これ、食べ終わったら、図書館を案内します」
やった、と御影さんが、こぶしを天へと突きあげた。
本屋通りから少し言ったところに、市立図書館は存在している。できてから九十年が経った建物は、年季が入っている。
木造の扉を開けて中に入れば、独特の香りが包み込む。歩けば床板がキシキシ叫び、天井に迫らんばかりの本棚が出迎える。
天井は、部分的に改装されていて、大きな窓からは日光がサンサンと降りそそいでいる。市民の憩いの場だ。
「すっごい、古そうな建物……」
「確か、伍郎書房と同じくらいか、それ以上に古いんじゃなかったかな」
僕の言葉に、『ドグラマグラ』を手に取っていた御影さんが振り返った。
「伍郎書房って、教科書を受け取りに行くところだね」
僕は頷く。
伍郎書房。僕がこの地で生まれるよりも前から存在していた本屋で、本屋通りでは一番大きな建物でもある。建物だけでいえば、図書館よりも大きく、いかめしい。
洋風建築の建物は、大正時代につくられたという看板が、市によって立てられるほどに歴史のある。以前はとある富豪が利用していたらしいが、それを買い取ったのが伍郎と名乗る男で、本屋を経営しているというわけらしい。そんな話を、北斗から聞いたことがある。
「北斗くんっていろんなことに詳しいんだ」
「僕なんかよりはずっとね」
へー、と言いながら、御影さんは本を棚に戻す。カードつくります、と聞いたら「今度来たときね」と返ってきた。
そんなやり取りをして、いくつか本棚を見回ったら、外の方でサイレンが鳴った。
「な、なになにっ。空襲?」
「――ってよく苦情が来るらしいんですけど、あれ、正午を知らせるやつなんです」
ウーってなるタイプのやつで、ひび割れたスピーカーから流されると世界の終わりを告げているようにさえ感じられて、慣れていてもびっくりすることがくらいだ。
そっかあ、と御影さんが胸をなでおろしている。図書館屋上に設置されたあのスピーカーをへし折りたくなったけれども、そんな力、僕にはないのであった。
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