第6話 悪意ある手に口 その1

 夏休みに入った神谷木市は、世紀末みたいなありさまなのに、セミの鳴き声だけは変わりがない。


ミーンミンミンミーン。


 ひび割れたサイレンのような音を、真夏の太陽めがけて響かせているんだから。






 季節を一月ほど前借したような暑さに、文句のひとつも言いたくなってくる。


 僕は、神谷木市の中心、神谷木駅のロータリーの真ん中に突っ立っていた。

 ボッチだからではない。人を待っていた。待っていたけれども、その人がなかなかやってこない。


 かれこれ待ちつづけて、もう三十分は経った。手持ちのアイスコーヒーは、氷が融け、すっかりぬるい。


 もう片方の手でスマホを操作すれば、午前なのに、三十度になろうとしている。この調子でいけば猛暑日かもしれない。スマホも心なしか熱を帯びている。


「連絡先交換しておけばよかったなあ」


 どうして断ってしまったのか、自分でもわからない。しょんぼりとした御影さんの姿を思い出すたびに頭が痛くなってくる。いまもまた、鋭い痛みが走った。熱中症じゃないといいんだけど……。


 黒い液体をチューと吸う。苦くてぬるいなんて、最悪だ。


 すこしすると、陽炎ゆらめく歩道に、こちらへと駆けてくる人影。スニーカーにジーンズ、白のゆったりとしたシャツにブルーの薄着をはおった少女が、リュックサックを揺らしながらこっちへ近づいてくる。


「ごめーん!!」


 その人こそ、待ち合わせの相手、御影さんである。






「本当にごめんなさいっ!!」


 冷房の行き届いたバスの、一番後ろの席に座るなり、御影さんは頭を下げてきた。


「父から電話があって、つい長話しちゃった。気がついたら、時間すぎててさ。ヤバいって思っちゃった」


 パタパタと手を団扇のようにして扇ぐ御影さんの肌は、うっすらと赤くなっていた。よほど急いできたらしかった。


「家族からの電話だったらしょうがないし、いいんだけど」


「ん、どうかした?」


「なんだか、距離ちかくない……」


 冷凍室かっていうぐらい冷房の効いた車内には、僕たち以外にだれもいない。がらんとしているのに、御影さんはなぜか、すぐ隣に座っている。


 身じろぎすれば、膝がぶつかってしまうほどの至近距離。大胆にもさらされた肩は、日光をあびて熱っぽく輝いていた。


「そうかなあ」


 くすりと笑って、御影さんが言う。その拍子に、彼女との距離がさらに近づいて、汗とも制汗剤ともつかない香りが、ふわりと僕を包みこむ。


 顔を背けて、僕は石像のように硬直した。汗臭いと相手に思われていないといいんだけど、と念じつつ。






 しばらくの間、僕と御影さんとの間に言葉はなかった。僕はガッチガチのガチになっていたし、あっちもそんな僕を見て、楽しんでいたのかもしれない。いや、確かめたわけじゃないんだけども。


 バスは市役所の横を通り、川沿いに進んでいく。


 神谷木市は、水落川の両岸にそって発展を遂げてきた都市である。川の周囲には平野が広がっており、農作物がよく取れることで有名だったりする。


 しかし、市役所の辺りは建物が多い。再開発が進む街を、バスは縫うように進んでいった。


「きょ、今日は」


 声が上ずった。めちゃくちゃ恥ずかしい。冷房でもかき消せないくらい、顔が熱かった。


 僕は、御影さんの顔を見ないようにしながら。


「なにするんだっけ……?」


「もう忘れちゃったの? ひどい」


「ご、ごめん」


 もう、死にたい気分だった。ここに隠れられる場所があったら、尻が見えようが何だろうが隠れてたのに。


「冗談だって」


 ほがらかな声が聞こえてくる。


「ほら、私引っ越してきたばかりだから、この街のこと何も知らないし、案内してもらおうと思って」


 そうだった、うん。忘れていたわけじゃない。ただ、本当にそうなのかを確認したかっただけなのだ。


 なぜ、僕が街を案内しなければならないのか。自分で言うのもアレだが、僕は人見知りである。それもただの人見知りではなくて、超ド級の人見知りだ。街案内なら、北斗の方が詳しいだろう。


 過去の自分もまた、おなじようなことを口走った。


『ううん、お隣さんの深浦くんに案内してもらいたいの』


 とは、御影さんのお言葉。転校生、それも美少女から言われたわけで、うれしくないわけがない。このまま飛びあがって、空を舞いあがりたいくらいには、うれしかった。


 だが、実際に私服姿の御影さんを案内することになると、緊張する。舞い上がるのは体じゃなくて、心臓かもしれない。そして、心停止をむかえるんだ……。

 

「深浦くん?」


 ハッと我に返れば、視界いっぱいに広がる御影さんの、愛らしい顔。一瞬、ここは天国かと思ったのもつかの間、ぷーっとバスが停車する音がした。


「もう着いたから、下りなきゃだよ?」






 僕と御影さんが下りたバス停は本屋通り前といった。本屋が多くあったから本屋通り、そのままの意味だ。


 だが、今では本屋はひとつしかなかった。小学生の頃なんかは、本屋も二つや三つあったが、ネットショッピングやらなんやらに負けてしまった。


「本屋で、教科書を買うんだっけ」


「もう予約は終わってて、昨日届いてるはずなんだ」


 御影さんは背負ったリュックサックをポンポン叩いた。その飾り気のない頑丈なやつなら、すべての教科のものを毎日持って帰っても壊れなさそう。


「案内はそのあとでいいの……?」


「あーそっか。それは考えてなかったなあ」


「どうする?」


「じゃ、ちょっとこの辺りを案内してよ」

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