第5話 ファースト・コンタクト その4

 わけもわからず少女の後についてきたら、僕の家だった。


「ウカの家は隣なんじゃ……」


「いいから、さっさと開けろ」


 お尻に軽い衝撃。どうやら蹴られたらしい。痛みはそんなになかったけれど、心はすごくジンジンした。


 カギを取りだし、開ける。


 真っ暗な玄関に入れば、僕を探知したライトがパッとともった。その人工的で、穢れのない光に、ホッとする。


「ほら、さっさと中へ入れ」


「わかってるから押さないで」


 扉が閉まる。雨の音が遠ざかっていく。


 濡れた靴を脱いで、それから、靴下も。


「そうだ、タオル……。タオルいる?」


「いらん」


 短く答えた彼女の服は、まったく濡れていない。あの滝のような雨の中で、傘もさしてなかったのに。


 僕は思わず、頭に手を伸ばす。その黒髪は、つややかだけど、やっぱり濡れてはいなかった。


「勝手に触んな、なぐるぞ」


 言葉の終わり際にはもう、僕は悶絶していた。もうなぐってるじゃないか、とうめき声まじりに言ったら、少女は鼻を鳴らすのだった。




 二階の自室に通したら、ウカが好きだったクッションに何も言わずに座り、


「お茶、それからお菓子」


 いきなりそう言うものだから、驚いてしまった。そのまま突っ立っていたら、言葉のトゲはマシンガンのように次々飛んでくる。


「お客様には出すんだろう、さあ」


「いやまあそうなんだけどさ、それを要求するのはどうかと」


 鋭い眼光とともにクッションが僕の顔に突き刺さった。しょうがないので、キッチンに行く。緑茶とクラスメイトの誰かからもらったお土産を持って、戻れば。


「遅い」


「……はいどうぞ」


 さっき引っ張り出したローテーブルに、持ってきたものを置く。


「これでいい」


「まあ、大したことなさそうだが、これくらいで許してやるよ」


「…………」


 なんて横柄なんだろう。ウカなら、そんなこと言わないのに。


 ゴクゴクと緑茶を飲んでいる少女は、どの角度から見ても、ウカにしか見えない。


 でも、ウカは死んだ。


 棺に入れられ、荼毘に付されていくのを、小さなちいさな窓から見た。


 しかし目の前にいる少女は、何度見たって、ウカにしか見えない。


 僕は頭がおかしくなってしまったのだろうか。


 目の前の、僕の妄想かもしれない少女は、黄色い満月みたいなお菓子を半分食べて、


「なにみてんだ」


「だって、死んだ女の子に似てるんだ……ホントにそっくりなんだ」


「だからってジッと見ていいことにはならんだろ」


 呆れたように少女は言って、


「別にそんなことどうだっていいし。もっと他に聞きたいこととかねえの?」


「聞きたいこと……」


 少し考えてみる。頭のなかでは、いくつか疑問が回っている。どれもが、目の前の少女についてだった。


「ないです」


「いやあんだろっ。さっきの化け物とか、興味ないのか」


「さっきのって、あのゾンビみたいな……?」


 共同墓地で襲われた、怪物。墓の下から現れたところを見るにゾンビなのだろうか。


 と思ったら、少女は鼻で笑って。


「アイツらはグールだ」


「グール?」


「ヒトを喰うやつらさ。大方、あそこに隠れてたんだろう。で、お前みたいなやつがやってきたら、バクリ」


 言って少女は、残り半分のお菓子を口の中へ放り込んだ。むしゃむしゃと、リスみたいに膨れあがった頬が、もにゅもにゅ動く。


「じゃあ、行方不明事件は」


「アイツらに殺されたやつらもいるだろーなあ」


「け、警察に。えっと、119だっけ!?」


「しらん。あと、連絡するのはやめとけ。どーせ、信用してもらえない」


「だからって連絡しないわけにはいかないよ」


「ま、狂人って思われるだけだから、いいか」


 少女がぽつりとつぶやくのを耳にしながら、僕は警察に連絡した。


 神谷木共同墓地で、グールがヒトを食っている。行方不明になった人々はみんな骨まで食われてしまったんだ、と。


 端的に言えば、信じてもらえなかった。それどころか、お叱りの言葉をいただく羽目になった。こんなことなら、少女の言うとおりにすればよかった……。






 耳にタコができるほどの説教がようやく終わって、僕は通話を切った。


「どうだった」


「バカじゃないかって」


「いったろ。じゃなけりゃあ、街はこんなことになってない」


 ため息が口からこぼれていく。無性に甘いものが食べたくなってきた。


 お盆の方を見れば、山のようにあったお菓子が、いつの間にか最後の一つになっていた。僕が手を伸ばせば、少女の手が、かすめ取っていく。


「あっちょっと僕の分は」


「はっ これは客である、アタシの分だろ?」


 少女は、一口でお菓子を食べてしまった。咀嚼しながら、口角をニッと上げる姿といったら、すごく憎らしい。


 そんな顔、ウカは見せたことがない。


「やっぱり、きみはウカじゃない」


「まあな。別人だよ。姿を借りてるだけっていうか、なんつーか」


「姿を借りてる……? じゃ、じゃあ、ウカと会ったことがあるの」


「会ったことはある」


「ホントに」


「が、それは死んだあとってわけじゃないから安心しろ」


「じゃあ、どこで?」


「そりゃあ――」


 少女は、口をパクパク動かし、空中で指を指揮棒のように何度も振って。


「……なんでだったっけ」


「そこまでもったぶって覚えてないの!?」


「や、覚えてねえわけじゃない。あれだよアレ」


「あれじゃわからないよ」


 少女は頭を抱え、何事かをブツブツつぶやいている。アイツじゃなくて、コイツでもない、黄色いいけ好かないやつじゃなくて……などなど、僕には理解できないことを。


 最後には、葛藤まじりの声を張り上げ。


「思いつかねえっ!! それもこれも、このヒトってガワのスペックがわりぃからだそうに違いねえ!」


 なんて、自分は人間じゃないみたいな言い方をしていた。


 僕はガンガンと痛む、耳を抑えることしかできなかった。だって、何を言っても、彼女は聞いてくれなかったから。







「名前、なんて呼べばいい?」


 ひとしきり騒ぎ終えた少女は、むっつりと緑茶を飲んでいた。そこで、恐る恐る質問してみたのだ。


 ぎろりと、そのナイフのような視線を突きつけられて、息が止まりそうになった。


「だって、『少女』とか『君』とか呼ぶわけにはいかないでしょ」


「ウカでいいじゃねえかよ」


「それは困る。君はウカじゃない」


「姿はウカそっくりだぜ」


 ニヤリと笑った彼女は、上半身だけでいくつかポージング。そもそもウカなら、モデルみたいなポーズは恥ずかしがって絶対やらない。


「言葉遣いがウカじゃないよ。そんな汚い言い方、ウカはしません」


「うるせえなあ、お前はウカのなんなんだ」


「そりゃ……他人だけどさ」


「じゃあいいだろ」


「栂野家の人たちと出くわしたら、なんて説明するんですか、ウカは死んでるんですよ」


 少女は、ピクリと眉を動かし、この世の終わりを前にしたみたいな重苦しいため息をついた。


「わかったよ、ウカツーでどうだ」


「……真面目に考えてください」


「じゃあ、コクヤってのはどうだ。アタシは新月の夜が好きなんだ」


「黒夜ってことですか」


「そ。あとは、月鏡とかパンとか黒羊とかでもいいぞ」


「案外ノリノリですね」


 僕が率直な感想を述べた途端、三度目のクッションが顔に飛んできた。三度目であっても、回避できなかったし、三度目の一撃はこれまでよりもずっと強烈で、僕は気を失った。






 あの曇天の日、助けてくれたウカそっくりの少女を、僕はコクヤと呼ぶことに決めた。


 だが、目を覚ました時、コクヤはすでにいなかった。


 書き置きもメモもなにもなし。いつの間にかあらわれて、僕の家へと押しかけてきたかと思ったら、いつの間にか消えていった。


「夢だったのかな……」


 いつの間にか開け放たれていた窓からは、すさまじい勢いの雨の音と、かすかに残る植物の香りがする。それが、彼女の存在がまったくの空想でもないと、訴えかけてきているような気がした。

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