第4話 ファースト・コンタクト その3
今にも雨が落ちてきそうな空だった。
時刻は午後二時。ほんのりと暗い墓地には、人の姿はない。このあたりの人たちは、正午過ぎにはお墓参りをしないと聞いたことがある。
なんでも、出るんだそうだ。
何が、と北斗に聞いても、ニヤニヤ笑うばかりで答えてくれなかった。それで、わき腹を殴ったら、ぐえ、と情けない声を出してたっけ。
でも、こうやって午後の墓地やってきてみると、なかなかに雰囲気がある。重苦しい雲が空を覆っている今は、特に何かが出てきそうなダークな雰囲気に満ち満ちていた。
「……なにかってなんだ」
共同墓地というだけあって、敷地はかなり広い。うちの学校と同じくらいかそれ以上じゃないだろうか。平地半分、残りは山の斜面に段々畑のように連なっている。
僕は、新聞紙に包まれた花を持って、階段を上っていく。その途中には、下流の、その先の海を向いた墓がいくつも建っている。
従来のものから、十字架のもの、今どきの横置きのもの……。活けられた花は、生ぬるい風に揺れ、ワンカップは空と同じ灰色になっている。
なみなみならぬ雰囲気に、ゴクリと息をのむ。天気のせいだとは思っても、なんとなく不安になる。前来たときは、こんな妙な感じじゃなかったのに。
何が起きたのだろうと思いつつ、僕はようやくウカの眠る墓標の前にたどり着いた。
そこは、小さな山の頂上手前に設けられた開けた、
ウカが入っているのはその中でも一番ピカピカのもの。最近できたという墓石で、おぼろげながら記憶がある。確か、ウカのお父さんが亡くなったときにできたものだったはずだ。
僕は敷地の中に入り、墓の前に立つ。背丈よりもうんと高いそれが、僕のことを見下ろしてくる。その無言の圧力から逃げるように、水を汲みに行く。
活けられていたユリは、茶色くなってビンにこびりついている。中の水はよどんで、ぷんと甘ったるい腐乱臭が鼻をつく。水を替え、花を替える。
花を替え、水を替え、ロウソクを立てたところで、頭にぴちょんとしずくが落ちてきた。
「雨……」
はじめは、ぽつりぽつりとゆっくり降ってきた雨は、徐々に勢いを増して、あたりを真っ白に染め上げていく。
空は稲光が走り、閃光がこだまする。
墓石を濡らし、墓を濡らし、そして、制服をべちょべちょにした。
僕は弾丸のような雨の中で、ただただ突っ立っていた。
雨に交じって、濃密な臭いがした。それははじめ、かび臭い、雨の香りかと思われた。だが、違った。雨が降れば振るほどに、その悪臭は強くなっていく。
まとわりついてくるすえた臭いに、おじいちゃんのことが頭をよぎった。亡くなったおじいちゃんに白装束を着せた記憶。芳香剤よりも強い、しびれるような臭い。
それと同じものが、あたりから生まれていた。それどころか、臭いが近づいてくる。
なにかが近づいてくる。
そう直感した瞬間、下の方から、何かがのっそりのっそり歩いてくるのが目に入った。
最初、ご老人がふらふらやってきたのかと思った。そのくらい、頼りない足取りだった。
だが、違う。おぼつかないのは足取りだけではなく、手の動きもまた、おかしい。力が入っていないかのようにプラプラ動く。そして、何より、首が折れていた。
「は……」
思わず、そんな声が出た。それを目ざとく聞きつけたのか、そいつがぴたりと動きを止める。声の出所を探るように、その顔がこっちを向いた。
ひどい顔だった。骨が見え、肉がただれて、水とともにべちゃりと剥がれ落ちていた。だが、それでも、人間というよりも、イヌかハイエナに似ている顔だ。
プラプラと
僕は、動けなかった。その死人のような存在に、体が硬直してしまったというのはある。だが、何よりも、逃げても意味がないように思われた。
坂の向こうから、幾重にも、似たようなゾンビめいた存在が、現れようとしていた。
旧い墓の下から、ボコボコもぞもぞという音がし、モグラの通り道のように土がめくれ上がったかと思えば、腐敗した手がにょっきり生える。
そうして、生者を襲い、血のしたたる新鮮な肉にむしゃぶりつく……。
僕もそんな風に食い殺されるのだろう。
雨に打たれながら、鋭い爪が、ゆっくりゆっくりと振り下ろされていく――。
不意に、雷が落ちた。
紙を破り捨てたような音がする。ビーンと張り詰めた空気と、焦げるセルロースと動物性たんぱく質。
遅れて、音が聞こえた。あまりに近い場所に雷が落ちたのだろうか、鼓膜はビリビリと恐怖に震え、氷雨に芯まで凍えていた肌が、熱を感じるほど。
そして、視界を染め上げるほどの閃光に、死人がうめき声を発する。地獄から響いているかのような声は、どれも同じ方向を向いていた。
シュルシュルと煙の上がる中に、人影があった。そのシルエットは、女性的で、生気に満ちている。
よどんだ煙を吹き飛ばす一陣の風。
――僕は、その時のことを、おそらく一生忘れないに違いない。
今なお、電光を散らす雷の落下点。そこにいたのは、ほかでもない、死んだはずの栂野ウカだった。
夢でも幻でも、妄想でも幻覚……かはわからない。僕は頬をパチンと叩いてみる。痛い。
目をぎゅっと閉じてみて、開く。ウカは、消えない。
白いワンピースを、たなびかせる姿は、聖女か女神さまのよう。僕はそんな彼女に、見とれてしまっていた。
地獄から戻ってきた化け物たちも、何がなんだかわからないといった風に、キョロキョロしている。
死人のひとりが、意を決したように彼女へ近づいていく。
「来るんじゃねえ」
針のような言葉が、ウカの口から放たれる。そのトゲのある言葉に虚を突かれていると。
ウカに近づこうとしていた死人のからだが吹っ飛んだ。
まるで、見えないトラックに轢かれたかのようだった。不可視の力に殴られたそいつは、四肢を大車輪のように回転させ、地面へと墜落する。手足がもげ、辺りに散乱する。その体はじきに動かなくなった。
ウカは、再びの眠りについた腐乱死体には目もくれず、僕の方へと歩いてくる。
目の前でピタッと止まる。
シミ一つないワンピースは、死装束のよう。でも、ウカのからだは、生き生きとしている。
血色はいいし、あっちでうろたえている、生ける屍のように腐った臭いもしない。
肩にかかる黒髪も、肌、顔の輪郭も。
でも二つだけ、僕の知っているウカと違う点がある。その一つ――勝気な瞳が僕を捉えた。
「深浦凪ってやつは、アンタか」
声がした。幻覚だけではなく、幻聴まで……?
夢心地で、僕は返事をした。
「う、うん……」
「そうか。じゃあ、アンタ以外は不要ってわけだな」
その言葉が言い終わる前に、視界いっぱいに何かが走った。形容するなら、黒い線のようなもの。
太くてウネウネしているものが、無数に広がったかと思ったら、死人はバラバラに砕け散った。
夢の中ではじけた血肉が、ふっと脳裏をのぎった。それとはちょっと違う。腐敗が進み、骨が見えたパーツパーツがぬかるみに沈んでいっただけだった。
次の瞬間には、樹形図のような影はフッと消えている。僕は目をゴシゴシこすった。やっぱりそこには何もない。
「今のは……」
「別に、何でもねーよ」
頭をガシガシかくウカ。気だるげに小さくため息をつき、ワンピースをうっとうしそうに蹴り上げる。ぴちょんと泥まじりのしぶきが飛んだが、白のミュールには汚れひとつなかった。
「アタシはアンタを助けに来た――それだけで十分だろ?」
「僕は助けなんか……」
「そうかい。だが、助けを呼んだやつがいる。アタシはそいつとの契約があるからな」
「そいつって誰」
「とにかく」と、その子は露骨に話を切り替えて「さっさとこんな辛気臭い場所、あとにするぞ」
そう言って、ウカにそっくりの誰かさんはさっさと歩きだした。僕は慌てて追いかける。
アイツらうちの
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