第2話 ファースト・コンタクト その1

 往来をパトカーのサイレンが鳴り響いている。にもかかわらず、神谷木高校は、今日も今日とて授業を行っていた。


 いつもどおりの授業。


 外は異常だっていうのに、だ。


 高校だけではない。往来を凶悪犯が歩いているかもしれず、火星人じみた化け物に出くわすかもしれないっていうのに、街の人はふつーに歩いている。


 黄色い帽子をかぶった小学生、チャリで競い合いながら消えていく中学生、サラリーマンは今生の別れかのように奥さんとハグしている……。


 そんな非日常の中の日常を横目に見ながら、僕は一人で学校まで歩く。ウカの初七日はすでに終わっていた。だから、一週間ぶりに登校することになる。


 幼稚園からずっといっしょだったヤツがいないというのは、実に寂しくて――ここまで退屈だとは思わなかった。


「これぞ、失ってはじめて気がつくってやつなのかな」


 なんて、茶化してみたが、気分が上がることはない。最低最悪の気分になっただけだった。


 家から高校までは、徒歩で十分もかからない。立派な銅像が出迎える門扉こそは、神谷木高校の正門だ。ポリスと書かれたチョッキを着た警察官に頭を下げ、中へ。


 こんなことするくらいなら、休校にしてくれたらいいのに。


 なんて思いながら、静かな昇降口で靴を履きかえる。時計を見れば、午前八時ちょっと前。キョロキョロ見回してみても、生徒の数はまばら。六組分ある下駄箱が、さみしそうにしている。






 2-5の教室に入って、自分の席に座る。


 クラスメイトはいろいろなことをしていた。宿題をやっていたり、隣の席の生徒と話をしたり、缶コーヒーで一服しているやつもいる。


 僕は学生カバンを置き、教科書を机の引き出しに突っ込んでいく。


 と、足音が近づいてきた。


「よ」


 そこに立っていたのは、缶コーヒーを飲んでいた生徒だった。香美かみ北斗。数少ない僕の友人。


「ああ、うん。北斗おはよう」


「元気ねえなあ、カフェインでも取るか?」


 北斗は、ポケットから缶コーヒーを取りだした。黒い缶にはブラックコーヒーの文字。僕は首を振った。


「そっか。うーんと、あれだな」


「あれって?」


「いやあ、そのな」


 北斗は頭をガシガシかいた。言いにくそうにしているのは、たぶんというか十中八九、ウカのことだろう。


 別に、僕とウカとは家族というわけではないし、恋人だったというわけでもない。ただの、幼なじみ、家が近いってだけの腐れ縁。


 だから、体は、他人のものみたいに重くて、動こうとしなかったのも、ただ単に、幼なじみの死とか関係なくて、サボりたかっただけなのかも。


 そう思って、今日という日、ひさしぶりに学校へ出てきたというわけだ。初七日が終わって、一区切りついたことだし。


 僕の気持ちにも、一区切りつけなきゃだし。


「そっちこそ、どう?」


「どうって何が」


「大変って聞いたよ、警察」


「あーはいはい、親父のこと。まあ、大変だろうな。こんだけ事件が起きてれば」


「僕がいなかった一週間、襲われなかった?」


「幸運なことにな」


 僕は笑って、手を差し出す。


「じゃ、ジュースおごって」






 一階の自販機まで買いに行ってた北斗が、チャイムとともに滑り込んでくる。先生がやってこないことをいいことに、窓の席からこっちへ、飲み物を放り投げてくる。


 赤い缶がくるくると回転しながら、放物線を描く。それを、僕はキャッチし損ねた。つるりと手からすべり落ちたそいつは、地面を跳ね、滑り、開きっぱなしになっていた扉から廊下へ出ていった。


 ……やっぱり、どうかしているのかもしれない。ひさしぶりの学校だから、緊張してるのかな。はたまた、何かよからぬ前兆なのか。


 そうじゃないことを祈りつつ、僕はよっこらせと立ち上がり、静かな廊下へ出る。


 転がっているそれは、コーラだった。痛々しくへこんだ赤い缶が、廊下の壁にコツンと体をぶつけている。

 缶を拾い上げて、水滴とほこりとを払い落とす。こりゃあ、飲めるのはいつになるのやら。


 北斗を睨みつけてやろうとして――ふと、視線に気がついた。


 廊下の向こう、そちらから生徒がやってきていた。担任に連れられてあるく、その女子生徒に見覚えはない。


 だが、ふしぎと既視感があった。


 じっと見つめてくる、彼女の目。その宝石のような瞳をどこかで見たことがある。どこか、つい最近――。


「そうだ」


 夢の中で見たんだ。


 僕が踏みつぶした緑色の目、あれに似ていた。


 瞬間、僕のからだから力が抜けていって、立ち上がれなくなった。恐怖に固まったカエルのように体がこわばって、力を入れてもうんともすんともしない。


 睨まれている。誰に? 視線は正面からやってきている。そこには、あの見知らぬ女子高生と担任しかいないのに。


「なにやってるんだ」


 やってきた担任のお叱りの言葉に、緊張がフッと霧散していく。


「……すみません」


 かろうじてそう呟いて、僕は立ち上がる。恐怖を駆り立てるような視線はすでに僕から外れていた。


 今のはいったい何だったのか。考える間もなく、担任の言葉がまたしてもやってきて、しょうがないので僕は教室へと戻ることにした。

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