神がいる非日常

藤原くう

第1話 はじまりの夢

 赤い物体が風船のようにふくらんで、花火のように弾けた。


 べちょりと真っ赤な肉と、どろりとした液体が飛びちって、ヒマワリの花弁を濡らしていく。


 絡みついた小腸は、二つのヒマワリを引き寄せ、カップルのように頭をこっつんこさせている。

 ラグビーボールみたいな肝臓を受け止めきれなかった別のヒマワリは、顔面を強打し、首を悪くしてしまったのか、からだを『く』の字に曲げていた。


 そんなグロテスクな光景を、僕は見ていた。


 あたりに広がるのは、黄色い絨毯じゅうたんみたいなヒマワリ畑。波のような砂山からは、熱気がそよ風とともにやってくる。


 コツン。


 何かが転がってくる。


 緑の目だ。


 充血した白目と、その真ん中の黒目。そして、エメラルドのような光彩。


 そのすべてが、ぎょろぎょろと動き、僕をじっと睨みつけてきた。ちぎれた視神経を引きずるように、靴にまとわりついてくる目玉は、まるで子犬だ。


 背筋をナイフで撫でられたような感覚に、思わず、くらりと倒れそうになる。


 踏んばろうと、脚を動かした途端。


 ぐちゃり。


 靴越しに、カエルを踏みつぶしたような感覚が、体じゅうを駆けめぐった。


 目玉を踏んでしまった――車道を横断したようなそこはかとない罪悪感は、すぐに消えていく。いや、消失したわけではない。さらに強大な感覚に塗りつぶされていった。


 つぶれ、砂塵でぐちゅぐちゅになった緑色の眼球。それを凝視していた僕は視線を感じた。

 

 顔を上げれば、血と肉と臓物とたくさんのヒマワリからなる世界にはじめて、僕以外の人間を見つけた。


 女性。


 僕と同じくらいの年の少女。白いワンピースを風にたなびかせている彼女の顔には、見覚えがあった。


 栂野ウカ。


 僕の幼なじみ。


 ウカは、赤い液体で体を濡らしていた。ワンピースは、今や深紅に輝き、ちらりと覗く肩には、白い絹の糸のようなものが無数にかかっていた。なぜか、僕には、それが神経であるとわかった。


 彼女の足元を見れば、血だまりができている。その中には、歯や髪や骨や爪や、胃や肺や腎臓やら腕やら足やらが、水炊きの具材のように、ごった返している。


 ウカの真っ白なサンダルは、赤の液体につかってほとんど見えない。足の甲までどろりとしたものに浸かっているのに、まったく気にしていなかった。


 ただ、僕だけを見つめていた。


 その小さな手には、心臓が握られている。ドクドクと、今なお脈動を続けている心臓。ドクンと震えるたび、赤い血管からはぴゅっぴゅと鮮血が噴きだした。


 生きている心臓をウカが、この場にいない誰かへ捧げるように掲げる。赤い筋肉へと指が、つるりとした爪が食いこんで――。


 ぐしゃりとつぶれた。肉がミンチになるように。リンゴが手に潰されるのよりもあっけなく血が噴きだした。


 白い手が血にまみれても、穴の開いた筋肉の塊が、べとりべちょりと手の中からすべり落ちても、彼女はとくに気にしていない。


 その目は、僕だけをまっすぐ見つめていた。緑でもなければ充血もしていない。純粋無垢で、水晶のように透きとおった目で。


 そして、ウカの口がゆっくりと動いていく。


なぎくん」


 ――ダイスキ。






 そこで、僕の意識は覚醒した。


 カチコチカチコチ。


 飛び起きた僕が目にしたのは、闇に包まれた部屋。そこは、いっぱいのヒマワリが咲きほこる砂漠ではなく、天国のようなやわらかな日差しに包まれた場所でもない。


 見上げて視界に入るのは、ガイコツのような天井のシミ。


「僕の部屋……」


 今の今まで見ていたのは、夢だったのだ。


「夢か」


 呟くと、なんだ、という気持ちになる。でも、心臓は競走馬のように駆けまわっている。ドクンドクン、このままだと肋骨をへし折って、テイクオフしてしまうのではないか。


 何度かおおきく深呼吸すると、ようやく落ち着いてきた。


 額を流れる汗をぬぐう。


 Tシャツが貼りついて気持ち悪い。背中に手を回せば、じっとりと冷や汗で濡れていた。


 ……ひどい夢を見た。


 まさに悪夢と形容することしかできない夢。


 幼なじみが、血と肉と骨のスープの中で、誰かの心臓を握りしめる夢だなんて、悪夢以外の何でもない。


 僕はベッドから降りて、窓の方へ近づいていく。

 

 カーテンを開ければ、外はまだ夜だった。


 月のない闇夜に包まれた神谷木市。深夜と早朝が入り混じった闇にそびえるいくつもの建物。それが時折、赤くそまる。小さくサイレンの音が聞こえた。今日もパトカーは走りまわっているらしい。


 ため息が出た。闇のなかに、何か口にするのもはばかれるような存在がいるような気がして、僕はカーテンを閉める。


 ブルリとからだが震えたのは、先ほど見た夢のせいか。それとも、夏にしてはつめたい早朝の冷気のせいか。


 心臓は、ようやく落ち着きを取り戻した。が、眠気はすっかりどこかへ行ってしまった。


 窓から部屋の入口へ移動し、電気のスイッチを叩く。


 パッと天井から光が降り注ぐ。闇に慣れた目がチクチク痛んだ。


 目。


 なつくように転がってきた緑色の眼球。思いだすだけで、気分が悪くなってくる。ムカムカしてきて、吐き気がこみあげてくる。


 よぎった悪夢の欠片を振り払い、僕は机に向かう。


 椅子にすわると、写真立てが目に入った。


 神谷木高校に入学したときの写真だ。ピカピカの制服を身にまとったウカが、こちらへとピースを向けている。その隣には、僕が映っていたのだが、それはものの見事にカットされている。


「おはよう、ウカ」


 僕は、その写真へ両手を合わせる。


 この世にはいない、幼なじみへ向けて、黙祷もくとうをささげる。






 栂野つがのウカ。


 そんな名前の、僕の幼なじみが、顔も知らない誰かによって殺されたのは、ついこの前、具体的には八日前のこと。


 死因は、絞殺こうさつ。太いヒモのようなもので絞められたとされている。噂によると――学校で流行している噂だから、あてにはならないけど――バカみたいに強い力で絞められ、首の骨が折れていたらしい。人間技ではないとも聞いた。


 じゃあ、いったいだれが殺したんだ?


 警察は他殺として捜査を続けている。僕のところにも、スーツのいかついお兄さんがやってきた。知っていることを話したつもりであるが、続報がないことを考えると、捜査は難航しているらしい。


 それもそうか、とも思わないでもなかった。


 この街、神谷木市では、事件が頻発していた。


 それもただの事件じゃない。殺人事件あり、失踪事件あり、変死事件あり……。ありとあらゆる事件が、この町で行われているかのような感じさえある。

 警察は、お尻に火を押し付けられたように、朝から夜まで働いていると聞く。


 それでも、事件の数は減らない。犠牲者の数は留まることを知らなかった。


 口からため息がこぼれていった。


 なんて物騒な世の中だろう。幼なじみは亡くなってしまった、近所のおじいちゃんも、そのペットのラブラドールレトリバーも、みんなみんな死んだ。


「今日こそは僕が死ぬかもしれないな」


 呟いてから、また、ため息。


 そんな非日常的なことが日常的に起きてるっていうのに、学校には行かないといけないのが、なによりもダルかった。

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