06

「……で?」


 そう問いかけると、キャサリンはまるで殴られたみたいにびくりと反応した。


 ドラゴンとの交戦から程なく、キャサリンが目覚めてからのことである。場所は二階の彼女の部屋だった場所だが、扉周りが吹き飛んでいるために風通しは酷くよくなってしまっている。


 彼女の目線が荒れた店内、そして包帯が巻かれたネイトの右腕へと動く。


「ご、ごめんなさい……!」


 キャサリンの顔は青ざめ、唇は震えていた。


「まさか……こんなことになるなんて……」


 彼女の表情が大きく崩れているのを見るのは、初日を除けばこれが初めてのことだ。初めてがこんな怯えた顔だというのは、なんだか妙に居心地が悪かった。

 なのでネイトはゆっくりと首を振る。


「まぁ、俺の怪我は別にいい。店の被害は気にしないとだが、このくらいの怪我は冒険者にとっては日常茶飯事だ」


「でも……」


治癒促進剤ポーションでも飲んでおけば治る範囲だし、大体、俺が昔どんだけお前の母親に怪我させられたと思ってんだよ」


「えっ、ママに? 同じパーティーの仲間だったんですよね?」


「お前の母親はあのアンジェリカ・ベイノン。敵、味方、自分、周囲を一切無差別に凍結させる悪名高き魔法使い、『霜』のアンジェリカ・ベイノンだぞ。実際、あの頃の俺たちが病院送りになる原因の三割くらいは凍傷だった」


 きっとこの手の話は教えられていなかったのだろう。

 母親の武勇伝……というには荒っぽすぎる逸話に、キャサリンがぽかんとした表情をした。間の抜けた顔だが、沈み込んでいるよりはマシだ。


「だから――」


 と何が『だから』なのか自分でもわからないまま、ネイトは手を打つ。


「怪我はどうでもいい。知っている限りの事情を話せ。いいな?」


 キャサリンはそれでも迷った様子だったが、結局こくりと頷いた。

 言葉を選ぶような間があって、最初に彼女はこういった。


「私は……獣の姿に変わるんです。時々、不随意に」


「あのドラゴンの姿か」


「はい。私は意識がないので直接は覚えてないんですが、変身するたびに暴れる……らしいです」


「理由は?」


「わからないです。調べたこともあるんですけど、結局わからないままでした」


「まぁ、普通の魔術や魔法じゃないのは確かだしな。そんなもんか」


 ネイトがそう相づちを打つと、キャサリンは驚いたように目を見開いた。


「なんでそんなことがわかるんですか?」


「魔術や魔法で術者が姿を変えるとき、やり方は大きく分けて二つだ。一つは肉体そのものを変化させる方法。これはお前の服を見れば、違うってわかる」


 キャサリンの視線が自分の体に落ちる。

 床に転がったせいで埃っぽくはなっているが、彼女は黒いワンピースを着たままだ。肉体を変化させてドラゴンになったのならば、今頃その服はビリビリになっていただろう。


「もう一つは泥とか水とか影とか、何かを身にまとう方法。この方法だと内側には元の肉体が残っているんだが――」


 ドラゴンに蹴りを入れた瞬間のことを思い出す。


「感触からして、お前はあの内側にいなかった。骨格も変わってたし。つまりあの変身は現行の魔術理論で実現できない現象だったってことになる」


「……詳しいんですね?」


「昔、魔術師がパーティーにいたからな……『教会の小鳥は聖典を歌う』みたいなもんだ」


 ともかく、とネイトは話を戻す。


「その体質についてはアンジェも知っていたんだな?」


「はい。ママはって呼んでましたけど……アレはこれまでは月に一回くらいのペースで起きていて、ママが魔法とかで治してくれていました」


 あー、と納得する。

 アンジェの『霜』の魔法。確かにこの手の問題を押さえ込むのも可能だっただろう。


「……ん? 月に一回?」


 同時にネイトは引っかかりを覚えて、頭の中に地図を思い浮かべた。


「お前、こっちにくる前はどこにいたんだっけ?」


「大迷宮『時の中』の傍に作られた迷宮街です」


 位置を知っている街だったので計算をする。

 移動が馬車だとして、迷宮『四足徘徊骨塚』に到着するまでに早くても一月あまり。常識的なペースでの旅程ならば二ヶ月はかかるだろう。


「月に一回、その……層変異が起きるとしてこっちにくるまではどうしてたんだよ」


「あ、えっと、薬があるんです。層変異が起きる直前に飲めば、発症を押さえ込んでくれる……みたいな」


 キャサリンの視線がちらりと鞄の方へ向く。


「ママの魔法での対処はちょっと荒っぽいので、基本的にはその薬でずっと押さえ込んでました。いつもいくつかはストックするようにしていたんです」


「へぇ、どのくらいあるんだ?」


「元は五本でした。こっちにくるまでに使ったので、残っているのは三本です」


 さっきの変異の際、鞄から素早く薬を取り出していればトラブルは起きなかったのだろうか。

 少しそう考えるが、とても実現できたとは思えない仮定だ。


「本当は次の層変異はまだ先のはずだったんです。感覚的にもまだ余裕があったはずなのに……さっきはなぜか急に押さえが効かなくなって……」


 この街に一週間留まるように伝えたとき、キャサリンが何かを指折り数える風だったことを思い出す。

 今思えばあれは、次の層変異までの猶予を数えていたのだろう。


「…………」


 ネイトはごりごりと頭を掻く。

 細かく聞きたいこと、気にすべきことは色々とあるが、今は一旦置いておく。もう一度あのドラゴンが現れる危険性が現時点ではないことと、キャサリンが無事だったことだけ確認できたのならば十分だ。


 今言うべきことは他にあった。


「……お前さ、出て行くっていってたけど、どうするつもりだったんだ?」


「…………」


 キャサリンが唇を噛むのが見えた。


「層変異は月に一回くらいだっけ。薬は残り三本。まさか薬を買うなり作るなりする当てがあるわけないよな?」


 もしもキャサリンがドラゴンになったまま放置したらどうなるのだろうか。キャサリンの話からするとこれまではずっとアンジェが対処していたようなので、実際に何が起きるのかは不明だろう。

 しかしあの暴れようを見るに、ろくなことにならないのだけは確かだ。そして彼女が一人でどこかに行くというのは、そうなることを受け入れるという意味である。


「死ぬ気だったのか?」


「死ぬなんて嫌です。……でも」


 キャサリンは小さな声で、しかしはっきりと答えた。


「私を守ってくれたママはもういないんです。私は自分でなんとかしないといけなくて、誰も傷つけたくないのならどこか遠くにいく以外に方法はありません」


 反射的にネイトは口を開く。


「なら――」


 だがその先の言葉は、キャサリンの視線に止められた。


「――なら、おじさんが助けてくれるっていうんですか?」


 かさぶたみたいに、柔らかい内側を硬く装ったような視線だった。

 でも実際そうだ。彼女は親を亡くし、そのことに自分なりに適応した。彼女を慈しみ、養ってくれる人はもういなくなった。それはどうしようもない事実だ。


 そしてネイトは彼女の親になれなかったし、なろうともしなかった。


 誰かを頼ればいいなんて、手を差し伸べる気もない人が口にしていい言葉ではない。ただ気まぐれに助けるには彼女の抱える異常は危険で、根が深く、解決のための筋道すらも見えない。


 その言葉をかみしめるように、キティがいう。


「私は大人になった。だから生きていけるようにならなきゃいけないんです。誰にも頼らず、一人で」


 きっとネイトはその言葉に頷いてよかった。よかったのに、それでも言葉を探してしまったのは、くだらない疑問が頭にこびりついて離れなかったからだ。

 それを理由にして、この少女を世界に一人で放り出すのか?


「……なぁ」


 ネイトは知らずのうちに前傾し、指を組み合わせていた。


「前にいったろ。俺がお前の母親と別れたのは、お前の母親の『』に付き合えなくなったからだ」


「……? 聞いた気がします」


「あれから十年だ。十年だぞ。お前の人生と同じくらいの時間を、あれからの俺は過ごしてきた」


 冒険者を辞めて違う生き方をしようとして、その生き方にも結局つまずいて、また冒険者に戻っても前のようにはなれず、B級冒険者としてソロで日銭を稼ぎ続けて。

 長く重いため息が漏れる。

 こんな話をしているのはキャサリンのためではあったが、口にしている言葉は心からの本音だった。


「退屈だったよ。絶望的に。一生は無理だっただろうが、もう一度くらいはあいつの『』に付き合ってもよかったかもなって、そんなことを思うくらいに。そんなことを思いながら立ち上がれないくらいには歳を取っちまったのに」


 首を振って、陰鬱とした気分を振り払う。

 もう希望に瞳を輝かせるような歳でもないが、ネイトはまっすぐにキャサリンの目を見つめた。


「なぁ、お前を守ってくれるやつはもういなくなった。それはどうしようもない。俺もお前の親にはなれないし、ただ助けることなんてできない。だが、お前と同じ道を行きたいやつくらいはいる」


 かつて聞いた声が記憶の中から蘇る。


!』


 彼女はいつでもそう叫んでいた。

 あと一回くらいは、その言葉に背中を蹴られてみるのもいいだろう。


「俺の魔術を使えば、お前は層変異を押さえ込める。お前がいれば、俺はもう一度冒険に出られる。だから――」


 助けるとか、保護するとか、養育するとか、そういうものではなく、冒険者同士がそうするようにネイトは右手を差し出す。


「――俺と一緒に冒険に出ないか?」


 ネイトの手を、キャサリンはまじまじと見つめた。

 それからその青い瞳がこちらの顔へと移る。その裏にある意図を慎重に探るように。


「だから……私は一人で生きていくんです」


「助ける助けないの話じゃない。俺はお前を冒険に出る言い訳にする。お前は俺を一人で生きていくための踏み台にする。お互いに利益があるって話だ」


「ママは私の体質をどうにかしようとずっと動いていました。S級冒険者だったママが、です。でも最後までそれは叶いませんでした」


「だから? 一応いっておくが、俺はあいつに負けたと思ったことは一度もねぇぞ」


「どのくらいかかるのか、そもそも治せる体質なのかもわからないんですよ」


「上等だ。俺にとっちゃ最後の冒険なんだ、盛大なもんじゃねぇとな」


 ネイトの発言をあまりのも脳天気だと思ったのかもしれないし、あるいはその脳天気さがいくらか虚勢によるものだと気づいたのかも知れない。


 どちらにせよキャサリンは小さく笑って、その手を差し出してきた。


「じゃあ……よろしくお願いします。一緒に冒険、しましょう」






 出発の準備には三日かかった。


 ネイトは宿から出て伸びをする。腰には剣、片腕に防具、背中には使い慣れた鞄。普段迷宮に潜るときとさして変わらない、使い慣れた旅装。


 荷物が少し軽い気がするのは、財布が薄っぺらだからだろう。三日前の騒動で壊れた酒場への弁償で、いくらかあった貯金のほとんどを失ってしまった。残りも旅支度を整えるためにかなり費やす必要があった。

 まぁ、使ってしまったものは仕方がない。それに、これから長い旅に出ようというのだ。財布は軽いくらいが、先を急ぐ理由になってちょうどいいのかもしれない。


「キャサリン、準備できたか?」


「えっと……はい、大丈夫です」


 キャサリンの服装は随分と変わっていた。


 厚手のシャツと、気温に合わせて調節のできる上着。短パンにタイツ。足下は頑丈なブーツ。まだ冒険者にはとても見えないが、旅人という感じにはなった。

 背中の鞄は、彼女が自分の荷物を背負いたがったために、それなりに膨れている。几帳面に中身を詰めているところは見たが、まだ不慣れなのかちょっと重心の位置が悪そうだ。


 これは後で直させればいいだろう。そう思ってネイトは歩き出そうとして、


「あれ、ご出発ですか?」


 そこで声をかけられた。

 キャサリンをこの酒場まで連れてきたギルド職員だ。今日も薄っぺらに爽やかな笑顔を浮かべている。


「おう、ちょうどよかった。これから挨拶に行こうとしていたところなんだが――」


 ネイトは頭の中でカレンダーを確認する。


「お前が様子を見に来るっていってたのは一週間後じゃなかったか? まだ六日しか経ってねぇけど」


「おや、そうでしたか。失礼しました。一日、日付を間違えてしまったようです」


 ギルド職員はしれっとそういった。が、これはわざと一日早くきたと見た方がいいだろう。冒険者ギルドは遺児の幸せを可能な限り保証する。抜き打ちでの検査くらいはやってくるということか。

 ネイトは苦笑いをして、面倒なのでその話題については深掘りしなかった。


「とにかく、出発だ。『四足徘徊骨塚』も消えたしな。次の迷宮へ移る時期だ」


「承知しました。キャサリン様、その後、お変わりはありませんか?」


「はい。あ、それと、私も冒険者を目指すことになりました」


 キャサリンの言葉に、ネイトも頷く。

 実際、それが一番いい道のように思えた。彼女の体質について調べようと思えばあちこちを渡り歩く必要があるし、そうでなくとも一人で生きていける技術を身につけねばならない。あらゆる観点から見て、冒険者は最も適した仕事だ。


「おや、それは素晴らしい。ネイト様は優れた冒険者ですし、あなたもまたそうなられることを祈っております」


 簡単な確認事項だけを終えて、ギルド職員は去っていく。事務的であっさりとした態度だったが、下手に情をみせられるよりはわかりやすくていい。


 そうして、まだ夜も明けきらない通りに二人だけが残った。


「…………」


 冒険者にはぴったりの寂しい旅立ちだ。


 それもまた当然だろう。冒険者が街の人と交流を深めることは珍しいし、ネイトは冒険者同士の付き合いですらほとんど絶ってきた。

 この街で一番交友が深かったのは酒場の店主だが、彼にもこの前の騒動から距離を取られている。目の前でモンスターが大暴れしたのだから仕方がないし、むしろあの件について金で口止めできただけでも僥倖といえる。


「おじさん、行かないんですか?」


 歩き出そうとしたキャサリンがこちらを振り返る。

 ネイトはいうべき言葉を探して、それから首を振った。


「お前、おじさんって呼ぶのやめろよ。呼ばれるたびに老け込んだ気分になるだろ」


「でも、おじさん以外になんて呼べばいいんですか?」


「そうだな……『師匠』とかにしておけ。これからお前には、冒険者としてのノウハウを教え込むことになるからな」


 キャサリンは告げられた言葉を確かめるように、何度か呟く。


「師匠……師匠……わかりました。じゃあ、これからは師匠ってお呼びしますね」


 それから、彼女はちょっと照れたように微笑む。


「それと、私のことは『キティ』でいいですよ」


「キティ?」


「ずっとそう呼ばれていたので」


 誰に、とはいわなかった。

 だがその答えはわかりきっている。


「……キティねぇ」


 その呼び方を自分に許したことに、どんな意味があるのだろうか。

 そんなことを少しだけ考えて、やめた。きっとこれから長い旅路が待っていて、長い付き合いになるのだ。そこに一々意味や理屈をつけていては疲れてしまう。


 代わりに荷物を背負い直して歩き出す。

 二人だけの旅立ち。寂しすぎないように、気負いすぎないように、ほどほどの気分でネイトはキャサリン――キティに声をかけた。


「よし、行くぞ。キティ」


「はい、師匠!」

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