第10話 思い出


「…………」


 あの頃の俺は、完全に腐っていた。


 人の死を見送り続けていた俺は、生きることも嫌になったが自分で死ぬこともできず、空しく生き続けていた。


 この前は1000年以上生きたエルフと死に別れしたばかりだ。


 俺も死ぬことができたらどれだけよかったかって、そいつに語り掛けたら、そいつはこう言ってきたんだ。


 誰かの死を見送り続けることが君の運命かもしれないって。


 俺はそいつの手を握りしめながら、ふざけるなって文句を返そうとしたら、もうとっくに事切れてしまっていて、俺はあまりの絶望に大笑いしてしまった。


 またこんな思いをするくらいなら、いっそ心が壊れたらいいと願ったが、ダメだった。


 オートヒールは体だけでなく精神にも作用するため、どうしたって気が狂うことはないんだ。


 それからの俺はもう、大賢者である姿を隠そうとはしなかった。何もかも、どうでもよかったんだ。


「大賢者リヒテル! お前を殺して名を上げてやる!」


「…………」


 誰かが襲い掛かってきたが、既に骨だけになっていた。俺の炎の魔法は骨すら残すことなく焼くが、あえて威力を落とした。その様子を見た他の襲撃者に見せつけるためだ。


「「「「「ひぎいいいいぃっ!」」」」」


 蜘蛛の子を散らすようにして逃げていくが、俺はあえて追撃しなかった。


 やつらを見逃すのは、決して優しさからではない。ただ単に殺すだけなのはもう飽きたし、俺にとっては死すら羨望の的だったから。


 なので、連中の心に恐怖を植え付けるほうが大事なことだった。


 そのほうが、トラウマでずっと苦しみ続けるだろうからな。いい気味だ。


 俺は変装することもなく、酒場に入った。痛いくらいの視線を感じるが、気にする必要もない。障害があれば取り除くだけだ。


「酒をくれ」


「あ、あ、あ……ひゃ、ひゃい、畏まり……」


 バーテンダーが死体のような青白い顔で応答する。もうみんな俺を人間としては見ていない。


「お、お、おい、あれ見ろよ、リヒテルだ」


「あ、悪魔だ……」


「ひぇっ……」


「「「「「に、逃げろおおぉぉっ……!」」」」」


「…………」


 気が付けば、俺とバーテンダーだけになる。ちなみにこれが10件目の酒場だが、どれも同じだった。そう、人間なんてみんな同じだ。くだらない。


「みんな……みんな俺を恐れるし、恐れないやつは俺を置いて逝ってしまう……。死にてえよ、もう。誰か殺してくれ。今すぐ……」


「――大賢者様」


「…………」


 あれからどれくらい経ったのか。誰かの声が耳に届いた。俺が魔王よりも恐れられた大賢者と知ってて声をかけるなんて、一体どんな命知らずだ……?


 ぼやけた視線が徐々に鮮明になっていくと、そこには女性の姿があった。子供かと思ったらそうでもない、大人のようでどこか頼りない、そんな第一印象だった。


「大賢者と呼ばれる人が、朝まで酔い潰れるなんて、これじゃ愚者様ですね!」


「……お、俺が怖くないのか、お前……」


「別に、怖くないですよ? 大賢者様も普通の人間なんだなあって」


 それが俺とエスナの出会いだった。彼女も飲みに来た客の一人だったらしい。


 といっても、お酒はあまり飲めないのですぐ帰るつもりだったらしいが、俺を見つけてずっと寝てるところを見つめてたんだとか。物好きな女だ。


 エスナは俺のことを本当に恐れなかった。大賢者としてではなく、いつだって一人の人間として接してくれた。


「俺はな、お前をいつでも殺せるんだぞ。エスナ」


「リヒテルったら、大賢者なのに、そんなこと言ったらめーですよ?」


「…………」


 こんな感じでいつもはぐらかされてしまう。脅している自分がバカみたいに見えてしまうんだ。


 だが、いくら恐れないやつでも、俺は心を開くつもりなんてなかった。


 特に人間なんて、すぐ死んでしまうからな。また親しいやつを見送ることになるなんてごめんだ。


「俺は誰も信じないし、誰だろうと気分次第で殺す。エスナ、お前も例外じゃない」


「リヒテル、ちょっと来てください」


「お、おい、エスナ。お前、俺の話を聞いてるのか?」


「聞いてますよ? いいから、ついてきてください!」


「ちょっ……」


「ほら、リヒテル。見てください。この景色、素敵でしょう⁉」


「……別に。なんの変哲もない、普通の岩山に見えるが……」


「確かに普通の岩山ですけど、ここは私の思い出の場所なんです。子供のときから、この岩山に登って遊んでたんですよ。強い風が悩みとか苦しみとか、色んなものを吹き飛ばしてくれる気がして」


「…………」


 エスナはいつもこんな風に俺を翻弄してきた。まるで俺の心の中を完全に見透かしているかのように。


 だから、面倒臭いと思って何度も殺そうとしたが、結局できなかった。どうしても、エスナにしてやられてしまう。


 そのうち、俺はエスナを観察するようになっていた。仲良くなるつもりなんて毛頭なくて、ただの面白い動物や自然物として研究しようと思ったんだ。


 そこでわかったのが、エスナは極ありふれた家庭で育った女で、一人娘として大事に育てられたということ。


 彼女は幼少の頃から剣術に秀でていたため剣士を目指していたそうだが、挫折して回復術師を目指したのだという。


 てっきり武闘家にでも転向するかと思ったが、まさか剣士から回復術師になるとは。


 あとでわかることになるが、エスナは自分の病を治そうとしていたんだ。でもできなかった。


 そりゃそうだ。大賢者と呼ばれた俺の回復術でも治せなかったんだから。


 エスナが罹患していた病は、俺の想像を遥かに超えるものだった。


 免疫力が著しく低下するという病だったんだ。これはどれだけ回復してもその場凌ぎに過ぎないため、俺の力ではどうしようもなかった。


 エスナが見る見る衰弱していったとき、ほんの一瞬吹き抜ける風に過ぎないと思っていた一人の命が、俺には何よりかけがえのないものだと痛感させられることになった。


「エスナ……俺はお前がいない未来なんて想像がつかない。どうしても一人で逝くというのなら、俺を殺してくれ……」


「ごめんなさい、リヒテル。どうしても治せない病だってわかったときから、死ぬのは怖くないって思ってた。あなたと出会う前は……」


 それからすぐ、エスナは息を引き取った。俺がこの世で一番愛し、最も憎んだ人だった。

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