第八章  長き一日 ~夜は更けて……~

…今はもう、次の日の午前1時を過ぎたところだった。

瞬は全く眠れなかった、暑い。

ここは今夏真っ盛りだ。

でも眠れない理由はそんなものではなかった。 

明日の午後10時までにはHEIGAに行くか否かを決定しなくてはならない。

あんなによくしてくれる先生の下から離れていくのか…?

あんなに親しんでくれたアスカの下から離れていくのか…?

それだけにとどまらない不安や期待、悲しみ、喜びが瞬を締め付けて離さなかった。

…HEIGAの事だし相談さえできない、確かに自分の事だ、だが天球に来てまだ2ヶ月だ。


コツコツ。


瞬「…?」


何やら物音がする、大抵こういう時はモンスターが来た、何てオチが多いのだ。

気のせいか? 何て考えるかも知れない。 だが、まず気のせいじゃない。

そっと物音がした窓のほうに歩み寄る、片手には刀身の抜けない刀を携えて。

鍵がかかっているのを確認すると窓から辺りを見回す。

…、何もない。


コツコツ。


窓の端から音がする。 やっぱり気のせいじゃない。

まいったなぁ、お化けとか苦手なんだよな。

そんな冗談とかはやめてくれ、なら見なければいい、そう思っても体が止まらない。

すると窓の上! 窓の上からゆーっくり人の手が伸びてきた。 手はふるふる振っている。

…、夢じゃないらしい。 ん?

何かひっくり返った文字が手に書かれている。 


”驚かないで~”


あ、絶対あの子だ。 そう思った次の瞬間ひょこっと逆さまのアスカが笑顔で現れた。

必死で笑いを抑えながら瞬は窓を開けた。

自分自身何となく予想していたのかも知れない。

くるりと反転するアスカは宙に浮きながら瞬に警察みたいな敬礼をしながら笑顔で一言。


アスカ「こんばんわ。」


瞬「どうしたの、こんな時間に?」


アスカ「いやぁ、なに? そのぉ、…ちょっと顔が見たくなっちゃって、えへへ。」


瞬「そう? ここじゃ何だから入ってよ。」


アスカ「うん…、おじゃましまぁす。」


照れ笑いするアスカを部屋に入るように促す瞬。

敷かれた布団のそばに瞬がふっと座ると、アスカはその隣に肩を並べて座った。


瞬「! ちょ、ちょっと陽河さん近付き過ぎ…!」


アスカ「まぁた陽河さんって言う~。」


瞬「あっ、ごめん。 緊張しちゃうとどうしても…。」


アスカ「やだぁ、何で緊張するのよ。 私が近付き過ぎるから?」


瞬「う、うん。」


照れて真っ赤になって俯く瞬の左肩にアスカはそっと頬を寄せる。


瞬「ちょっ! 陽か…っ!」


アスカ「あーすーかっ。」


瞬「あ、アスカ…。 からかうにも限度ってものが…っ!!」


アスカ「声大きいと先生起きちゃうよ…。」


瞬「うっ…、ごめん。」


アスカ「くすくす。 からかってるつもりなのはちょっとだけ。

    瞬は覚えてないかもしんないけどさ、保健室にお見舞いに行ったら瞬ったら寝言で

    ”アスカ、大好きだよ。”何て言うからびっくりしちゃった。」


瞬「嘘っ!?」


驚きを制するようにアスカが瞬の肩をぺしっ、と軽く叩く。


アスカ「声が大きいったらぁ。」


瞬「うぅ、今のは誰だって驚くよ…。 でもそれ…、本当なの?」


僅かに俯きながらアスカは黙ってこくりとうなずいた。

気のせいじゃなかったなら、彼女の頬はちょっぴり赤かった気がする。


アスカ「…、何だろう。 すごく嬉しいんだよ?

    だけど私まだ瞬の事あんまし知らないしさ。

    さっき電話した時、瞬は好きな子はいないって言ってたし…。

    ま、まず第一おかしいよね。 寝言気にしてんだもん。」


瞬「んー、でも正直僕自身アスカのこと、可愛いと思うよ。」


アスカ「ふぇっ!?」


気のせいかと思っていたアスカの顔が明らかに紅潮した。


瞬「こーら、アスカだって声大きいじゃん。」


アスカ「うぅ、そんなこと真顔で言われたら照れるよ…、瞬…。」


瞬「えっ、いいやや、その…。 

  ア、アスカくらい可愛い子ならそれくらいの事言われた経験あるんじゃないの?」


アスカ「たっ、確かに無くはないけどさぁ、…学校とか電話だけだもん。

    こんな二人っきりのシチュエーションで言われた事なんてないよぉ…。」


あまりの恥ずかしさに立てている両膝に赤くなった顔を埋めてしまうアスカ。

そんなアスカの姿を見た瞬は彼女のそのしぐさに愛おしさを感じずにはいられなかった。

何を思ったか瞬はアスカをそっと包み込むように彼女の髪を撫でた。


アスカ「---っ!」


瞬「あっ…、嫌だった…?」


驚いて一瞬身を震わせたアスカだったが、瞬の言葉には大きく首を横に振って否定する。

その声無き反応を見て瞬は黙ってアスカの髪を撫で続けた。

何故だか分からないが、アスカを撫でると心に抜けた何かが見えそうな不思議な感覚に囚われる。

長くしないうちにアスカも瞬に髪を撫でられるのを心から受け入れ、子猫のように甘えていた。

それからどれくらいが経っただろうか、しばらくしたらそっとアスカは瞬の手元を離れた。


アスカ「…えへへ。 瞬って優しいのね。」


真っ赤な顔をして瞬にとびっきりの笑顔を見せるアスカ。


瞬「ううん、…僕みたいなのが出すぎた真似してゴメン。」


アスカ「! ばか、何て事言うの。 自分にもっと自信を持ちなよ。

    …そういうの好きじゃないな、…とっても嬉しかったんだよ?」


瞬「…ごめん。」


ぷう、とむくれるアスカに瞬は薄く笑って謝った。

彼女には敵わないな。

今思えばきっとこの時、この瞬間に初めて本気でアスカに惚れ始めていたような気がする。

女の子に初めてこんなに接していてかなり舞い上がっていた僕の思い上がりじゃないならば、

きっと彼女は僕を思って叱ってくれて…、…そして彼女は僕の行動に対して喜んでくれた。 

その事実が何よりも最高に嬉しかった。 

…それから僕とアスカとはそれきり何事も無く彼女と別れた。

窓から送り出すのも何とも言えず不思議な気持ちになるもんだ。

彼女に対して劣情なんて微塵も生まれなかった。

ただ純粋に彼女の愛情が欲しくなった。

と同時に力の無い僕だけどそれでも命を懸けてアスカを護りたいという気持ちが強くなった。

初めての感情だった、自分の全てを投げ打ってもいいなんて思ったのは。

…うん?

全てを投げ打つ…?

命をも…?

そういえば僕は自殺したんだった。 

うん、死ぬのは簡単だな。

なら僕は考え方を誤った。 

訂正しよう。

こんなに僕の存在意義をくれて、

こんなに愛する喜びを教えてくれて、

こんなに幸せな気持ちを僕にくれて、

こんなにくすぐったいけれど嬉しい感情をくれて、

そして何よりこんなに僕を受け入れてくれた彼女、アスカの為に誓おう。

”僕”こと、如月 瞬は彼女、陽河 アスカの幸せの為なら何でもしよう。

 彼女から愛情は決して強要しない。

 むしろ彼女の為なら恋愛の橋渡しだって買って出よう。

 そして、命を懸けてでも彼女を護る!!

 命を投げ出すのは簡単だ。

 …だから死なない。

 もう二度と自分を殺さない。

 それは物凄く大変で辛いことだ、生き地獄であろうことは明白だ。

 しかしながら結果、それが彼女の心をも護ることにさえ繋がるんだ。

 第一僕にとって、それほどの生き地獄であるからこそ、

 それが一度僕自身を殺した自分自身への死までの永遠にして最高最悪の罪と罰になる。

 この事を知ったらきっと彼女は迷惑がるだろう。

 だから僕はこの事実をも彼女の為に隠す。

 僕は彼女によって今日、この日、この瞬間に救われたのだ。

 だから僕も護って彼女も護る。

 絶対にっ…!!”

何度も振り返って笑顔で手を振って帰ってゆくアスカの後姿を見ながら、

彼もまた彼女の姿が見えなくなるまで何度も笑顔で手を振り返す。

瞬は時間毎に増す更なる誓いと想いの強さを彼自身の心、体に傷以上に刻み込む…。

彼、如月 瞬はこの瞬間、アスカの存在によって変わっていく事になるのであった…。

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