第29話 リアーナとローア(2)

 ……で、どうしたかって?

 少し離れた建物のかげに隠れて、のぞきみですよ。セシリアちゃんも一緒です。


「あのふたり、うまくいくといいけど」


 小声のわたしに、


「だけど、ご身分が……」


 小声で返すセシリアちゃん。


「身分なんて関係ないでしょ」


「関係あるよ。マルタちゃんは身分を軽く考えすぎ。それは、よくないところ」


 はい、すみません。

 ……よくないですか?


「じゃあ、アメジストの恋がかなわないほうがいい?」


 初恋が叶い。そのままゴールイン。

 そんなのは、貴族社会だとあんまり現実的じゃない。

 わたしもそう思うけど、


「そうは思わな……思いたくない、けど」


 この国では、身分制度が常識として定着している。確固かっこたるものとして。

 だから「日本出身」のわたしの感覚がおかしい。それはわかるけど……。


 学生の期間だけでもいい。好きな人との「思い出」を作ることができたなら、それは「一生の宝物」になる。

 だって今のスノウくんとの時間は、この先で彼との関係がどう変化しようとも、わたしにとってはすでに一生の宝物だもん。

 アメジストにだって、そんな「宝物」を手に入れて欲しい。友だちだから、そう思うのは当たり前でしょ?


 アメジストとローアくんとの間に会話があって、彼は一礼して席に着いた。

 ポツポツと会話を始めるふたりだけど、さすがにこれだけ距離があると聞こえない。

 でもこれ以上近づくと、気づかれちゃいそうだしな……。

 と、


「約束、おぼえています……か」


 さぐるように問うアメジスト声が、耳元で響いた。


(なんだこれ!?)


 セシリアちゃんを見ると、彼女は「静かに」と伝えるように口元で指を立てる。

 なるほど、彼女が魔法を使ったのか。わたしは盗聴魔法の使い手に頷きを返し、アメジストたちへと視線を戻す。


「いまだ身分をわきまえない、子どもの戯言ざれごとでございます……姫君」


 ローアくんが答える。

 その答えにアメジストはハッとなり、瞳を輝かせた。


 セシリアちゃんにはなんのことかわからなかっただろうけど、わたしにはわかる。

 ローアくんは、アメジストを「姫君」と呼んだ。それでアメジストには、彼が約束を忘れていないと伝わった。

 わたしにも伝わったけど。


 それは幼いころ。「100日研修」の間に楽しまれていた、おままごとみたいなもの。

 それはよくある、「姫君」と「騎士」になりきった、子どもたちのお遊び。


 その頃、ロロハーヴェル家ではお家騒動が勃発ぼっぱつしていて、いわゆる兄弟での家督かとく争いなんだけど、アメジストの周りには不穏ふおんな空気があった。

 ロロハーヴェル家の子どもが7さいになるとせられる「100日研修」は、ロロハーヴェル家に関係する者なら知っていても不思議ではない。

 その証拠にアメジストの護衛は隙を突つかれ、ローアくんとふたりで「姫君」と「騎士」になりきって遊んでいた「リーアナ」は、「正体不明の暴漢ぼうかん」に襲われた。


「リアーナッ!」


 暴漢に引きずられるリアーナを、必死になって取り戻そうとするローアくん。しかし彼が持つ剣は心の中では聖剣であろうとも、現実には木の棒でしかない。

 彼は暴漢に殴られ、蹴られながらも、必死でリアーナを取り戻そうとした。それはまるで「本物の騎士」のように。


 騒ぎを聞きつけた護衛の到着で暴漢は逃げ、ふたりは助かった。

 だけどローアくんはボロボロだ。顔面は血まみれで、歯も折れていた。乳歯だから大丈夫だったけど。


「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ」


 リアーナは「自分のせいでこうなった」とわかっていた。彼がケガをしたは、「自分がこの家に来たからだ」って。

 ケガで済んだのもたまたまだ。もしかしたら、彼は殺されていたかもしれない。


 家に戻るまで、泣きじゃくり謝罪を続けるリアーナに、ローアくんはなにも言わなかった(正確には、折れた歯が痛くて言えなかった)。

 だけど、無事家に帰ったあと、彼は泣きじゃくるアメジストの手をとり、ひざまずいてこういったの。


『ぼくはリアーナの騎士だ。これからもずっとキミを守る。約束するよ、ぼくの姫君』


 って。


 その言葉が幼いアメジストの心に「恋心」とともに刻まれるのは、ごく自然なことだったと思う。

 身をていして自分を守ってくれた男の子(実際には守ろうとしただけだけど)。それは幼いといえ、「女の子が恋をする」には十分な出来事だったはず。


 約束をおぼえているかと問われ、その返答にローアくんは彼女を「姫君」と呼んだ。

 彼は憶えている。幼い日の、あの「約束」を。

 なにか言葉を返すでもなく、唇を震わせるアメジスト。唇だけでなく、テーブルの下で握りしめた手も震えている。


 嬉しいね。アメジスト。

 泣いていないのはすごいよ、かっこいい。


 ローアくんの言葉は「拒絶きょぜつ」なんだろう。昔の関係には戻れないという。

 それでもアメジストは、彼が「約束」を忘れてれていなかったのが嬉しいんだろうな。


 ふたりの間で過ぎる、長い沈黙。

 やがて、


「いいえ、わたくしの騎士さま」


 アメジストが口を開いた。


「リアーナは約束が果たされますことを、ずっと願っております」


 彼女はテーブルの下にあった左手を、ローアくんにさし出す。


「これまでも、これからも」


 一度言葉を切ったアメジストは、


「そう、これまでもこれからも。リアーナは、騎士さまをおしたいしております」


 はっきりとそうつげた。


 まっすぐにローアくんを見つめるアメジストの目に涙はない。だけど唇が、痙攣するかように小さく震えている。


「ご無礼を、侯爵令嬢」


 ローアくんがアメジストの左手を取り、その甲をおでこに当てる。


 それは忠誠ちゅうせいしめすもの。

 騎士が姫君に取る、最上級の礼。


 告白に返されたのは愛情ではなく、忠誠心。


 ローアくんの手が、アメジストの手を離す。

 そして彼は席を立つと、騎士がする礼でアメジストに頭を下げ、無言で去っていった。

 彼の背中が見えなくなるまで見送り、唇を噛むアメジスト。


「ぅっ、うぅ……っ」


 短い嗚咽おえつと、一粒だけの涙。


 わたしは腕の袖を引っ張るセシリアちゃんにうながされ、一緒にその場を離れた。

 友だちとはいえこれ以上は見てていいとは思えなかったし、ここでアメジストにかけるべき言葉は、たぶんなかったから。

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