第二話

 叙階聖女になってから幾ばくかの日が経った。研修を終了したエレナは、早速実務に出ていた。今日は管轄する部門の実務補佐を担う高位聖女との顔合わせだ。


 まだ叙階聖女になったばかりのエレナには、かつて補佐官として経験のある聖女省が割り当てられていた。最速昇格者と言っても――いや、だからこそ経験の浅いエレナにとってはありがたい話だった。


 教会はエレナに期待するだけでなく、適切に経験を積ませ、育てようとしてくれている。そんな教会の気遣いを感じ、一層身の引き締まる思いだった。


 エレナ専用に割り当てられた執務室で待機していると、扉がノックされた。どうぞ、と声をかけると、一人の高位聖女が入ってきた。その高位聖女は、エレナのよく知る人物だった。


「お久しぶり――でもないですね。息災そうで何よりです、エレナ様」

「ジェマ……」


 今年二二歳になるジェマは経験年数で言えば、エレナの先輩にあたる。


 通常二五歳前後の昇格者の多い高位聖女に、わずか二〇歳で昇格したエリートだ。


 聖女としての能力も叙階聖女に肉薄するほどとされ、順調にいけばあと三年から五年程度で叙階聖女に昇格するであろう、若手の有望株とされている。


「堅苦しい話し方はやめてください、ジェマ。私とあなたの仲ではないですか」


 その言葉に込められた親しみを、ジェマは規律という盾で跳ね返した。


「エレナ様。お言葉ですが、教義ならびに規律を重んじることは、聖女としての重大な責務です。上下関係は徹底しなければ、下の者に示しがつきません」

「……そうですね、私の失言でした。謝罪します」


 エレナが頭を下げても、ジェマは顔色一つ変えない。


 高潔で知られるジェマらしい振舞いだが、つい先日まで同じ高位聖女として肩を並べていたのだから、二人きりのときくらいもう少し砕けた態度で接してくれても、思わざるを得ない。


 放っておけばそのままずっと鉄面皮で直立不動を維持しそうなジェマに、コホンと一つ咳払いして、話しかける。


「補佐官はあなたに決まったのですね」

「ええ。先日、辞令が出ました」

「心強いです。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 部屋がしんと静まり返る。実のところエレナは、密かにジェマを苦手としていた。


 訊いたことにはきちんと答えてくれるし、実務上で問題はなかったのだが、態度が少々よそよそしい――というか、他の人には見せない棘のようなものがあるように思えてならなかった。


 なんとかそれを取り払おうと、積極的に話しかけてはいたのだが、ついに態度を軟化させることは叶わなかった。


「ええと」エレナは何を話すか迷いつつ言う。「現在、何か困りごとはありますか?」


 聖女省の主な仕事は、高位聖女以下の管理である。能力や実績を勘案しながらそれぞれの〝聖浄の儀〟の割り振りを行うのがエレナの主な役割だが、如何せん寄宿舎を出た身であり、書類で報告されたことしか見えてこない。


 一方でジェマは高位聖女として未だ寄宿舎にいるし、育成院長ノービスマスターも併任しているため、内部事情には明るいだろう。


 聖女見習いたちは寄宿舎内に設けられた育成院で基礎的な教育を受ける。育成院長は聖女見習いの教育全般を統括する重要な役職で、優れた教育能力と豊富な経験を持つ高位聖女から選ばれている。


「いえ、特には」ジェマは一旦そこで言葉を切って考え込んだ。「強いて言えば、あの問題児の態度が直らないといった程度でしょうか」

「問題児……――ああ、リリアですか」


 エレナの確認に、ジェマは首を縦に振った。


 聖女リリアは、エレナに匹敵するほどの才を持つと言われながら、長く聖女という地位に甘んじている、教会きっての問題児だ。


 リリアは聖女でありながら規律や教義を軽んじている。義務を果たすのみで、それ以上決して動こうとしない。それは献身が求められる聖女にあるまじき行為だ。


 〝聖浄の儀〟でも、他の聖女は皆、聖歌を歌い祈る中、リリアは好き勝手な歌を口ずさむ。本来なら懲戒や処罰必定ものだが、その能力値の高さに加え、恵まれた血統が、みんなを尻込みさせている。


 リリアの母――エリザベスは次期至高聖女と呼ばれながらも、同代の至高聖女が長命だったため最後まで紅衣聖女に甘んじた不運の聖女だ。


 本来血統など関係ない実力主義の聖女社会であってもその影響力は強く、今の紅衣聖女にもエリザベスに直接世話になっていた者が多い。とはいえ、もう七年も前にこの世を去っているため、だんだんと和らいではいるのだが。


 ただし、リリアは規律や教義を軽んじるだけで――本来はそれもいけないことだが――他人を巻き込んだ問題行動を起こすことはない。


 つまり、高い能力値を持つ怠惰な聖女と言った微妙さで、結果としてほとんど放任状態になっている。


 そんなリリアを、エレナは過去に高位聖女として何度か注意し、規律に沿った罰を与えたことがある。


 エレナは成果を正当に評価するが、罰もまた適正に与える。下位の者には穏やかに接し、必要以上に萎縮させないが、決して甘くはない。


 エレナはそんな聖女であり、だからこそ〝理想の聖女〟と呼ばれたのかもしれなかった。リリアもエレナには、大人しく従ってくれた。


「リリアに関しては高位聖女として適正に接すれば問題ないでしょう。あなたほどの人物であれば、御し切れると思います。期待していますよ、ジェマ」


 エレナはジェマを鼓舞するつもりで、少しだけ叙階聖女らしく振舞ってみた。しかしジェマはそんなエレナに一礼するのみで、用件は済んだとばかりに立ち去ってしまった。


 閉まる扉に目をやりつつ、エレナは人を扱うことの難しさに眉根を寄せた。

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