第11話

11▼ 邂逅(かいこう)・これぞわが郎君(ろうくん)


 世継ぎ選びの日がきた。中山備前守信吉(のぶよし)は、当初、一人ひとりの若君と面(おもて)を接して判断しようと考えた。だが当日になってその方法を棄てた。どの子息も、ああせよこう答えよと側室や後見から入念に教わってきているであろう。そのことを想像すると個々との直話(じきわ)はよさそうでいて眼を誤ると思った。

 藩主は集団という扇の要。戦さの大将であり、まつりごとの宰である。自儘(じまま)な人物では集団は乱れ、戦さに勝てず、まつりごとはしだらなくなる。要の緩んだ扇は良風を送れない。つまり民に棄てられるということだ。そのあたりを見抜くには、子ども同士が遊ぶところを観察するのがよいのではないか、個々との直話はそれからでよいと信吉は考え直したのである。

 部屋には5人の子息が来ていた。ある子は病気がちなために、ある子は世継ぎには縁遠いためになどの理由でその日の参列を遠慮した者があり、上は10歳、下は3歳の子どもが連れてこられていた。遊びは女衆や近習が補助した。干菓子(ひがし)や水も出しておいた。そうして取りかかってみたが、10歳から3歳まででは幅がありすぎて、信吉が頭で考えたほど役に立たなかった。信吉はあきらめ顔で眺めていた。何もしない子、干菓子に興味を示す子、跳びまわる子、玩具を取り合う子、しばらくすると女衆にちゃっかり抱っこされる子、帰りたいと泣き出す子、喧嘩っぽくなる子とさまざまで、世継ぎ選びなどということを抜きにすれば、ずっと眺めていたい光景だった。そうしていると至福を感じたし、どれも子どもとしては自然な振舞いで善悪をつけることはできなかった。

 ――だが、決めねばならない。

 信吉の頭に、終局、長男で10歳の八十郎を世継ぎとして言上するのが無難かという思いがよぎった。言動も年相応。八十郎は側室久子を生母とするが、頼房の水にせよという命に反して頼房自身の元乳母であった武佐女(むさじょ)によって生まれることができた運のよい若君である。運のよさというのは口では説明しにくいが、棟梁になる人物には必要なことだ。信吉は他の若君に特段の秀逸さが見られなければ、この子を推そうと思った。難があるとすれば、それまで城内で育った経験がなくて、10歳からの世嗣修養で真に身につくかどうかという不安があることだった。

 そのうちに一人の子が干菓子を女衆にやると、それを真似てほかの子もまわりの大人たちに干菓子をやりはじめた。大人たちが大袈裟に喜ぶので子どもたちは楽しくて仕様がない。皆に渡ったかに見えたが、一人怖そうな老人の手は何も持っていなかった。それに気づいた子が干菓子を取りに行ったが箱には残っていなかった。困惑の色がその子の目にあらわれ、ちょっと立ったままだったが、すぐに何か決断したらしく部屋の端へ向かった。

 子はそこに置いた自分の革袋を手にすると老人の前に立った。袋の紐が弛んでかわいらしい手が一つ入った。袋の中で手が動くと硬い物の当たる音がした。手が袋から出て老人の前にヌーと伸びた。

「おじじ、おじじは遊ぶ者がいないのか、これをやる」

 信吉は予期しなかったことに内心ドギマギし、どのように応じればよいか気迷った。見ると、陶器で作られた赤と白二つの珠(たま)が目の前に差し出されている。

「これは何でございますかな」

 信吉は子どもの瞳に訊いた。

「大事なものじゃ、握ると勇気が出るぞ」

 子どもも老人の瞳に答えた。

「それでは若さまのお守りでございましょう」

「お守りだが、やる」

「困りましょう」

「困ってもよい、やる」

 迷いのない涼しげな声がひびいた。

 信吉はいつだったか、老僧から教えられたことがある。豊かな者が財貨や穀物を寺院に献じると、人は尊い布施だとあがめる。貧しい者が夕餉(ゆうげ)を一回けずってその分を献じても、何だこれぽっちとあざける。老僧は、いずれが真の布施と思うかと信吉にたずねた。が、返答を待たず、そなたが感じたとおりだと先にいった。豊かな者が有り余る物を他人に献じても本人は困りはしない。明日の飯も困る者が一食けずってその分を献じるというのは容易ではない。そこにこそ真の尊さがある。そう説いたあと老僧は、では豊かな者は真の布施はできないかというとそんなことはない、といい、あとは言の葉にのぼせなかった。

 信吉はいまそのことを思い起こしている。その子は自分の最も大事な物を、一人で寂しそうにしていた老人に差し出した。信吉はこれぞわが郎君(ろうくん)と感じ入った。その子は5歳の千代松であった。八十郎君と同じ母を持ち、八十郎と同じように水にされるところを、同じように武佐女に救われてこの世にある。この子もまた福運の持ち主である。

 ――わが郎君に出逢えたり。

 信吉はふるえるような衝撃をおぼえて、紅白の珠を握りしめた。

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