第8話

08▼ 諌言(かんげん)・頼房の自省


 頼房は10代後半に成長した。しかし仕事というものがない。将軍の輔弼(ほひつ)という名目で定府(じょうふ)しているが、頼房にその力量もなければ将軍のほうにも頼房に関心がない。しだい日々の明け暮れが頼房を気鬱にさせる。そのような情況が若い者を善いほうへ向かわせることはない。幕末の館林藩士・岡谷(おかのや)繁実(しげざね)が著した『名将言行録』に、こう見える。

 ――頼房若年のとき殊(こと)のほか伊達を好み……

 伊達を好むとは侠気がかった着かざりを好むということ。信吉はそのつどこれを諫めたが効き目がなかった。無明(むみょう)長夜(じょうや)がつづく。そんな某日、老中より信吉へ奉書が届く。奉書とは将軍の命令書のこと。

 ――御用の儀これあり明日登城すべし。

 ふつうであれば口頭ですむのに、奉書をもって呼び出すというのは特別の用件を意味する。信吉は飛ぶように御城にあがって当番老中に訊いた。

「御用の儀とは」

 だが老中も知らされていないとのことだった。奇妙な気配を信吉は感じたが、同じ質問を向けるのは失礼なので控えの室で待った。そのうちにハタと考えた。

 ――老中さえ知らされていないこととなれば頼房公のことに違いない。このところの伊達好みや奢侈(しゃし)が公方(くぼう)さまの耳に入ったのだ。こうしては居られない。

 信吉は、急用を残してきたので退出を許されよ、と老中にことわった。御用で呼んだのに勝手に退出されてはわれらが困ると老中は怒気をふくんで押し留めたが、信吉はお仕置きは覚悟の上と答えて去った。

 信吉は一直線で頼房のもとへ行くと、昂奮はばかることなく述べた。

「公方さまの御用で登城しましたが、なぜ呼ばれたのか合点がゆきませんでした。老中も分からないとのこと。それならこれはわが主君頼房公のこと、伊達好みが耳に入って激怒されてのことに相違ないと察し、老中の制止を振りきって戻って参りました。御城に留まって公方さまの御口から頼房公叱責のことばを下されては取り返しがつきませぬ。取り返しがつかないということは、殿、お判りでございますか、殿! お判りでございましょうな、改易になるということですぞ。乞食になるということですぞ。まずわたくしめは切腹と覚悟を決めておりますが、今更ながら残念なことが三つございます」

 信吉はことばを整えず、さらにつづけた。

「一つめに、それがしが才智なきゆえ、殿の奢侈にあらがうことができなかったこと。二つめに、このような次第になったことは備前を信頼して附家老にされた神祖・東照大権現さまに申し訳が立たないこと。三つめに、殿を奢侈にさそう奴原(やつばら)のことを気づいていたのに成敗を引き延ばしてきたこと。この三つ、この三つがまことに不覚でござりまする」

 信吉は頼房の目をつかむように見つめて最後の思いを告げた。

「それがしは今日にも相果てるつもりですが殿の奢侈はますます度を超すこと必定。しかしどうか御行跡を改め、公方さまの思(おぼ)し召しに叶うよう奮励あそばされますよう、それがしの魂は御館(おんやかた)を離れずにおりましょう。今生(こんじょう)のお暇(いとま)、御盃をたまわりたく存じます」

 信吉はそう願い出、許しも得ないままみずから小姓衆に盃の用意をいいつけた。

 頼房は切迫した雰囲気に呑まれた。40代にも入れば当時は老人初期だが、その老人初期の中山備前守信吉がいまから切腹するので別れの盃をたまわりたいといっている。

「盃は待て」

 頼房は小姓を制し小納戸衆を声高に呼んだ。

「日ごろの游侠道具を持ってこい」

 小納戸衆は羽が生えたような速さで往復し、伊達拵えの刀、脇差し、衣類をならべた。すると頼房はその一つひとつを小姓衆に分けあたえはじめた。

「奢侈はやめた。これでよいか爺(じい)、公方さまに執り成してくれるか」

 信吉はまた御城へ飛んだ。老中に先刻の無礼を詫び、公方さまへの取次を願い出た。先刻の今だから老中の顔にありありと怒気が見えた。このままでは放っておかれると危ぶんだ信吉は大きく出た。

「尾州公、紀州公に連なる水戸公の用向きである、取りつがぬという法は聞いたことがござらぬ」

 命を棄てようと思っている男の言だから凄味がある。老中は唇をゆがめて奥へ消えた。戻ってくると、公方さまが直(じか)にお聞きあそばされるとのこと。

 信吉は御前にひれふして、下問をうける前に、頼房とのやりとりを手短に述べ頼房自身の猛省を報告して将軍のことばを待った。激怒する将軍の顔が浮かんだ。

 ――神祖家康公がおまえを信じて附家老にしたのに何の態(ざま)か。

 そんな詰責(きっせき)が投げつけられるのを覚悟していた。だが咳払い一つ聞こえなかった。

 ――あッ、頼房公のことではなかったか、先走ったか。

 信吉に一瞬そんな気持ちがよぎった。そのとき脇息(きょうそく)の動く音がして頭の向こうから声がふった。

「備前――」

「はッ」

「細かいことはよい。備前が切腹覚悟で諌言(かんげん)したなら、今度こそ水戸の行状も直るであろう。重畳(ちょうじょう)重畳。水戸は末の弟なれば可愛くない筈はないが、伊達好みなどに耽っておのれ自身を虐め、心に疵をつけるような真似はならぬと伝えよ」

 信吉の予想に反してそれは柔和な声音であった。信吉は欣喜雀躍したい衝動を押さえて目のふちを濡らした。

 若い時分の頼房は乱暴と伊達好みがあげつらわれるが、もともと繊細な神経の持ち主だった。それがうまく表現できなかったために放埒に奔ってしまったところがある。頼房に思考が足りないのではない。むしろ才は隠そうとしても尖り出るほどあった。それだけにこのたびは、将軍家や信吉にただならぬ迷惑をかけたと、頼房は痛々しいほどにしょげた。その自省の念もあってか、元和8年、多賀郡松岡が新たに水戸領に編入されると、

「すぐというわけにはゆかぬが、のちのち幕府に願い出て、あの地は中山の知行地にしてやろう」

 といった。

 じっさい、その地は信吉の息子の代になって、中山家の知行地となる。その頃、2万5千石に加増されていた信吉は、以前から耳にしていたことを思い出して松岡に館を築くことを願い出た。藩主は定府で附家老の居館も江戸にあるというのでは地元の人々は落ちつかないという声がずっと耳の奥に残っていた。江戸と水戸を頻繁に往来する信吉の繁忙を誰もが知っていたので、館を建てることに異をとなえる老中もなく許可は二つ返事でおりた。

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