第3話

03▼ 実意・兄をおもう少年


 徳川家康は江戸城に入ってから久方ぶりに穏やかな昼下がりを得ていた。

「佐渡はどう思う」

 と本多佐渡守正信に訊いた。八王子城で自刃した中山家範のことである。死んだ家範はもう望むべくもないが、その子どもがいたら家臣に取り立てたい、きっと父親の志を尊び一本気な武の士になるであろう、これは〈つまらぬ情けか〉と問うたのである。

「直きを挙げて、これを枉(まが)れるに錯(お)けばすなわち――」

 正信は苦労人らしく、儒家(じゅか)のことばを借りて賛意を示した。直きとは実直な者、枉れるとは不実な者の意で、正しい者を取り立てて不実な者の上にすえれば家臣も納得するが、調子者を上におくと知らず不満がたまるという意味である。

「殿ならそれができましょう」

 正信は表情を変えずにいった。

「世辞か」

 家康が睨んだ。

「わたくしめも殿に拾っていただいた身」

 本多正信は家康の古くからの家臣であったが、若い時分いちどだけ背いたことがある。三河の一向一揆が起こった折、一向宗側について家康に刃向かった。のちに許されて再び仕えるようになってから、脇目も振らず忠誠を尽くしている。

 正信の逆心を許したとき、なぜお許しに――と家康に訊く者があった。家康は、あいつの本居(もとい)は百姓衆への思いだ、それを莫迦坊主どもの智に利用されただけで損得で動いた奴原(やつばら)とは違う、と答えた。

「いつの世も、石垣千万、人一人。これからは正信のごとき武人(もののふ)をもっと育てておかねば天下はたまわれぬ」

 家康のそれに、

「世辞で、ございますか」

 と正信が返した。

 ――おまえに世辞をいってどうする。

 そう出かかったのを喉で止めて、家康は呵々と笑い飛ばした。世辞でないのは正信自身が分かっている。

「では――」

 と家康はいった。

「中山の子どもを捜し出してくれ」

 正信は平身低頭して命をうけた。そして信頼する自身の家来・勘内(かんない)義十(ぎじゅう)に屈強な若者を一人付けて探索に送り出した。二人には主君家康公の御下命であると伝えたのみで細かいことは明かさなかった。

 義十は若者とともに八王子城をめざした。中山の息子ならば父ゆかりの地・武州中山村にひそんでいるのではないかとも考えたが、あまりに誰もが考えそうなことなので、まずは激戦地八王子の村里から聞き込みをしようと考えた。

 息子が生き残っているとすれば、長男照守が20歳ほど、次男信吉(のぶよし)が14歳ほどであるという調べまではついている。が、死んでいるのか生きているのか二人の行方は杳(よう)として知れなかった。残党狩りから逃れるために周囲の者にも気取(けど)られないように隠れ住んでいよう。それを捜し出すのは山奥の仔熊一匹を見つけるより難しくと思われた。勘内義十はだが、そういう困難な仕事に向いている男だった。

 ――本多の殿は難儀な事ゆえにこの自分に命じて下さった。

 そう考える質(たち)。義十は黙々と歩き、淡々と捜しつづけた。しかし何日歩きまわっても手がかり一つつかめなかった。

 ――やはり武州中山村で匿(かく)まわれているのか……

 そう思って八王子の村里の探索をあきらめかけて、一つ谷を越えたときだった。道に迷ったことに気づいた。

 ――道迷いは元の位置にもどるのが得策。

 義十はそう思って、越えてきた谷をもどった、つもりだった。だが元の所には出なかった。さすがに焦りが出てきた。二人はまた谷を越え、尾根を越え、もう一つ谷を越えた。すると、美しい場所に出た。緑、木々、草花、それらが他の場所と何となくちがって美しく思われた。苦労して辿りついたということばかりではなかった。言いがたい神々しさがあった。それは谷間(たにあい)から見上げる狭い空が神の瞳のように美しく見えたからかも知れない。

 あとで判ったことなのだが、そこはエンメイ谷と呼ばれる谷間だった。最初に聞いたとき、延命谷と書くのだろうと義十は思ったが、淵明谷(えんめいだに)と書くのだと知った。唐(から)の国の詩人陶淵明にあこがれた人物が隠れ住んでいたことから名づけられたらしい。里に出た所の老人がそう教え、

「あそこは迷わなければ辿りつけん」

 と、妙な言い方をした。

「おさむらいどのは運がいい。きっと迷ったのでありましょうナ」

 そういわれれば、たしかに運がよかったのだ。その淵明谷に辿りついて少し安堵をおぼえ、腰をおろして休んでいると、薪を背負って奥山からおりてくる少年に出逢った。義十は立ちあがって、八王子城の残党の噂を聞かないかとたずねてみた。何の期待もなく話しかけただけだった。だが少年の顔色が急変した。義十に付き従っていった若い侍がそれを見逃さず、薪を背負った少年の袖をつかんだ。義十が念のために少年の腰に手をあてると短刀が隠れていて百姓の小倅ではないことが分かった。

 義十が、新しく江戸城主となった主君の命(めい)で中山家範の子息を捜していると伝えると、少年は観念したふうで、自分がその子どもの一人、信吉(のぶよし)だと白状した。中山家で下働きをしていた者に匿われているともいった。さらに兄の所在を問うと、

「死にました」

 と目をふせた。捕らえられた場合の振舞いも教えられていたのであろう。兄照守も生きていたが健気にも拵(こしら)え事をいったのである。

「わたくしはどこで討たれるのです、ここでございますか」

 血しぶきをあげて壮絶死した勘解由(かげゆ)家範(いえのり)の子どもだけあって気丈だった。義十はそれへは答えず、匿われている家を教えろと迫った。信吉はこばんだ。教えれば兄まで捕らえられる、匿ってくれた爺(じい)まで罰をうけると憂えたからだ。

「どうかこの場で首を取って下さい」

 信吉は懇願した。義十は小さく嗤った。少年の心中にある憂いはすぐに分かった。

「田舎屋敷に仕えた下働きの者まで連れて行く気はない。だが、おまえを連れて行くと伝えるくらいのことは人の情というものであろう」

「二言はございませぬか」

 少年と大人との狭間にいる十代半ばの信吉が堂々とした大人ぶりでいったので、義十が嘲笑い、若侍のほうが、つべこべいわず歩けと顎(あご)をしゃくった。信吉は歩きながら、山に毛物獲りに入った兄が帰って来てないことを祈った。

 信吉が匿われている家へ帰って行くと、庭仕事をしていた老爺(ろうや)が侍を見て身をかたくした。残党狩りに遭ったと直感したのである。義十は前置きなく告げた。

「この者を預かる。徳川さまの命じゃ」

 老爺は恐怖でアワワワァという不分明な声を出した。

「兄のほうは死んだそうだな」

 という問いただしにも、意味が分かったのか分からなかったのか、ただ泡を吹くような音を発するのみで義十をあきれさせた。だが、それで兄照守について問い詰められることなくすんだ。照守は山へ猟に行っていたのだが、家の近くまで帰って来ていたのである。

「これは骨折り賃じゃ」

 義十はそういって懐から銭を出した。骨折り賃を置いてくるようにと主人正信からいわれていたのである。

「そ、そのような物は要りませぬ」

 老爺はようやく意味の通ることばを絞りだし、

「若さまをお返し下さい」

 と地べたにひれふした。義十は意に介さず銭を老爺の顔の前においてその場を去った。

 信吉は江戸城へ連れて行かれながら奇妙な感情に揺さぶられていた。義十と名乗る侍が爺に銭をやったのはなぜか、内通の褒美ということかと揺さぶられ、まさか…と否定し、いや…とそれをまた否定しということを何度か繰りかえし、信吉は思った。爺が内通者であったら兄のことも話したであろうに、そうしなかった。信吉は口の中で、罰当たりめ、恩をうけた爺をうたがうか、とおのれの卑しさをののしった。

 自分が生みだした卑しさを振り払うようにして顔を上げると、人を呑み殺すような大門が口をあけていた。

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