第3話 思いがけない恋のときめき
神学校時代のレポートのなかに、思いがけない質疑応答があった。
「人は迷惑をかけなければ、何をしてもいいなんていう考えが一時、流行ったことがあった。それなら売春はどうなるのだろうか?」
私は、こう返答した。
「確かに売春は、売る方も買う方も、好都合かもしれない。
しかし、性病の危険性もあるし、一人でも売春する女性がいれば、女性はみな売春するのではないかという、偏見の目で見られてしまう。
また、売春とギャンブルには、世界各国どこでも闇の組織が存在する。
一度、闇の組織と関係をもてば、その言いなりなるしかないという辛い現実が待ち受けている」
まさに、現代がその通りになっている。
また、代理母出産について学ぶ機会があった。
要するに、ある女性に他人の卵子を受け付け、その女性が出産するというのである。もちろん、代理母になる女性には、高額の報酬が支払われる可能性がある。
しかし、人間誰しも自分の身体に、他人のものが介入し挿入するのにためらい、いや抵抗感を感じる。
たとえば、他人が口にした食べ物を食べなさいと言われても、よほど親しくない人でない限り、抵抗感があるだろう。
ましてや、他人がしゃぶった飴を口から取り出してなめなさいと言われても、大抵の人がお断りするだろう。
また、いくら他人の卵子が原因で出産したとしても、人間誰しも一度自分の身体に入ったものに対して愛着がわき、それが未練へと執着していく。
たとえば、いつも身につけている指輪や時計を、高級品でもないのに、愛着がわき、手放すことに未練がわくというように。
実際、外国では、いくら大金のためとはいえ、他人の卵子を元にして、代理母になった女性が、妊娠し出産した子供を手放すのが惜しくなり、情と未練がわくという現実もあるという。
このことは、経験のない私でも納得できる気分である。
神学校で学んだことは、私の人生の宝であり、現在の日常生活に役立っていると自負している。
移り行くこの世において、神と共に生き、いや生かされ、神の道に従って進むしか私の生きる道はないと決心してから二十年。
私は現在、小学校五年のとき、初めて通った教会の長老、ピアノ奏楽をしている。
これも神の御業としか言いようがない。
なぜなら、私は教会の礼拝の前には、ためらいを感じ、近くのカフェで時間を過ごし、十分ほど遅刻していくことが多かったからである。
教会は楽しい社交場ではなく、神の前に敬虔になる唯一の場所である。
神は決して、人間を片思いの一方通行にはなさらない。
小学校通っていたピアノ奏楽の年輩女性が、引退と引き換えに私をピアノ奏楽に指名してくれた。
気が付くと、私はためらうことなく、礼拝時間二十分前に教会について、ピアノ奏楽の練習をしていた。
私の自己紹介はこれで終わりとしよう。
地元の商店街でふと立ち寄ったスマホショップ。
携帯からスマホに変更するのが目的で、立ち寄ったスマホショップに彼がいた。
いかにもしっかりしてそうな、ビシッとした三十歳過ぎの男性。
ときおり目を細めながら、スマートに応対してくれた。
人の感情は目に現れるというが、目を細めるということは、嘘やごまかしが不可能な正直な男性なのだろう。
いわゆるイケメンといった風ではない。
しかし私は彼に魅かれてしまったのだ。
もちろん彼は独身である。
もし所帯持ちだったら、あきらめていただろう。
「ダンナさんは? お子さんは?」と聞かれたとき、もちろん私は
「いません」と答えた。
彼と、二回応対したとき、私は明らかに魅かれるものを感じた。
といっても、特に愛想のいい男性ではなかったが、彼の硬派なムードに、私は魅かれていった。
次の日、彼にお手拭きを渡した。いつも行くカフェでよくもらう白いお手拭きである。
彼は
「ホントはもらいものはダメなんだけど、まあこれくらいなら」
と小声で言って、快く
「有難うございます」と言って受け取ってくれた。
それから一週間後、店長の隣には部下と思われる女性がいた。
私は部下の女性にもお手拭きを渡し、ペイペイについて聞いてみたら、快く気さくに答えてくれた。
その翌日、スマホ専用のフィルムを購入しようとすると、店長は不在だった。
私は思わず、部下の女性にそれとはなしに、聞いてみた。
「じゃあ、明日きますね。私、店長のファンですので。
あっ、ファンといってももちろん変な関係ではないですよ。
店長って、すごくしっかりしているように見えるけど、三十五歳くらいかな?」
部下の女性は答えた。
「三十か三十一歳くらいですよ。あの人はすごいですよ」
上機嫌で答えてくれた。
翌日、ショップに行くと、店長は緊張したような面持ちで、私の前に座り、フィルムを貼ってくれた。
私は
「これで、お兄さんの売上に貢献したよね」
「お兄さんって、とてもしっかりした人みたい」と言うと、
照れたようにうつむきながら「有難うございます」を連発してくれた。
相変わらず、彼にはお手拭きを渡すだけの日々が続いたが、二か月後私はお手拭きの下に手紙を忍ばせた。
「いつもお世話になっております。
彼って、なんだかすごくしっかりした人みたい。
あなたのことをもっと知りたい。できたらお茶でも飲みながらお話したいです」
思い切って告白した。
翌日、私は店長の売上のためにスマホケースを購入した。
彼の、胸の鼓動が伝わってくる。
「スマホケースに入れておくと、落としても壊れにくいですよ」
相変わらず、丁寧に説明してくれる誠実な人である。
私は思い切って、言ってみた。
「一度、お茶でも飲みたいです。お兄さんってとってもしっかりした人みたい」
すると、すかさず答えが返ってきた。
「客とは絶対に、個人的に会ってはならないとバシッと言われている。
近所の人とも挨拶程度。誘われても、お茶などに行ってはならない。
人の情報を取り扱う仕事だから」
道理で彼って、自分を制することのできるビシッとした雰囲気の人だということが、伝わってくる。
私が魅かれたのも、それが原因だったのかもしれない。
それからは相変らず、お手拭きや牛丼屋のクーポン券を渡す日が続いた。
彼は肉好きなのだろうか?
クーポン券を渡すと、嬉しそうな顔をして目を細めた。
ある日、私はあるアプリをしようとして、店長にスマホを見せた。
するとすかさず、
「あれは、詐欺が多いんですよ。
だから、僕らもあまりしないことにしてるんですよ」
私は目を丸くしたが、店長はアプリのダウンロードをしてくれた。
「有難うございました」と背中を向けて去っていく私に、店長は
「やめた方がいいですよ」と制してくれた。
私が詐欺に引っかかって困るのを制してくれたのだろう。
まるで地獄行きの入口をふさいでくれたような、大きな救いを感じた。
ワル男というのは、甘言で誘い出し、女性が自分の言いなりになったのを見極め、女性を地獄に陥れて平気である。
NHKのクローズアップ現代でも放映していたが、ホストが女性客に、惚れた弱みで分不相応の百万円単位の寄付をさせた挙句「肝臓を売れ、お前が五体不満足になっても知ったことか。外国に行って死ぬ気で働いてこい」
ボロい服装の世間知らずの女の子ー多分、あまり家庭に恵まれていないのであろうーを甘言で誘い出すという。
それにひきかえ、店長は私を、詐欺まがいのアプリという地獄行きから制してくれた。
まさにタイムリーな出会いである。
もしかしてこのことは、私だけに教えてくれたのだろうか?
とすると、私は店長のなかではもはや、客を越えた存在になっているのだろうか?
一歩前進である。
店長は、近くの店舗に転勤することになった。
そして、コロナの影響で店長にお手拭きを渡すことができなくなってしまった。
店長は、申し訳なさそうに「すみません」と言ってくれた。
私は相変らず、転勤先の店舗に店長を見にいっていた。
店長の姿を人目見るだけで、なぜか充実感を感じるのだった。
私と店長とは、目に見えない細い糸で結ばれているのだろうか?
一日一度、店長の姿を見るだけでいい。いや、そうしなければ私の恋心が満足しない。
まるで中学生が、アイドルの追っかけをするみたいな心境だった。
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