第11話 教授選



 美咲があの歌川深水邸のおぞましい秘密を知ってからというもの怖くなって、暫くは幸子には大学の勉強が大変だからとモデルの仕事は休ませてもらった。


「2年生は大学受験より勉強が必要で、うかうかしていたら留年しそうなので……勉強が大変で常にテストがあるし大変なのよ。暫くモデルの仕事休ませて……」


「嗚呼……良いわよ。体調万全にしてまた来て頂戴ね」


 幸子は快く快諾してくれたが、この後話は思わぬ方向に向かった


 あの時は辛い思いをしたが、やがて過去のおぞましい記憶も徐々に薄れて忘れかけていたが、「パックン」の経営者賢三氏の電話で過去に呼び戻される羽目になってしまった。


 ★☆ 


「一番良い人材を教授として迎えたい」


 本来ならばそう思うはずだ。しかし実際はそう単純ではない。


 学閥、派閥、数合わせの論理が働き、次第にドロドロときな臭くなる。

 誰もが自分が優位な立場に立ちたいと手ぐすね引いて教授選の結果を、見守っている


 健全な大学ではもちろん、業績に従って次期教授が決まる。臨床力に優れ、研究業績が十分にあり、後進の指導に長けた者が選ばれる。


 しかし、利害関係だけで教授を選ぼうと暗躍、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ:悪人どもが思うままにふるまい、はびこる)人間が力を持つ大学も往々にしてある。


 医大付属病院の教授選出において、投票権を持っているのは他の教室(〇〇科)の主任教授だ。


 最終的には教授会でプレゼンテーションを行ってもらい、最終選考会で候補者の投票が行われる。この選考プロセスは、医局員にとっても緊張感のある瞬間だ。


 主任教授たちの中には、自分が出世するための道具として選考が行われることもある。だから優秀というより自分の言うことを聞きそうな候補者を選び、ありとあらゆる手段を使って教授にする。


 現代社会においても、怪文書が飛び回る教授選は決して珍しくない。結局は優秀な人材を蹴落とし、自分の息のかかった者を教授にしようと暗躍する輩は枚挙にいとまがない。


 ★☆

 美咲の医局では、前任の教授が退職する事になった。

 その為急遽教授選が行われることとなった。教授選となれば、まず、教授選考委員会が立ち上がる。


 美咲も教授選に立候補した。


 審査や調査はこの委員会がメインで行う。選考委員会は、医学部の教授の中から選考委員長1人が選出され、同じく医学部の教授の中から数名の選考委員が選ばれて結成される。


 次に行われるのは書類選考だ。


 自薦、他薦問わず、全国から教授候補となる医師の履歴書や業績一覧が選考委員のもとに集まる。提出する書類は履歴書や実績一覧に加え、代表的な論文数編のコピーや今後の抱負など多岐にわたり、合計で数十枚にも上る。


 書類だけで審査をされるわけであるから、教授選に出る人間は、臨床、研究、教育の3本においてこれまで何をしてきたか、そして、これから何をしていきたいのか、選考委員に向けて書類上で綿密にアピールしなくてはいけない。


 書類選考だけで数カ月の時間を要する。そして、選考委員会は一般的に3人の最終候補者に絞る。


 最終選考に残るだけでもかなり大変なことだ。何しろ全国の猛者たちが「我こそは」と名乗りを上げるのが教授選だからだ。


 こうして選ばれた3人は医学部教授会でプレゼンをすることとなる。何と美咲は最終選考に残る事が出来た。


 誰が一番教授にふさわしいか決める最終決戦だ。


 医学部の教授たちは、最終候補者のプレゼンに加え、選考委員会からの意見を聞き、教授を決める投票へと進む。


 臨床の教室(実際の患者さんの診療を経験)に所属する教授と、基礎の教室(解剖学や生化学、病理学といった医学の基盤分野を研究する)に所属する教授、それぞれが1票ずつ投票権を持つ。大学によって異なるが総数はだいたい30票から50票くらい。過半数を取れば勝ちだ。


 こうして次期教授が決まる。


 ★☆

 

 対抗馬の教授が教授選で勝った場合、美咲チームはおそらく解散となる。美咲はこの大学を去らざるを得ないだろうし、教授は美咲チーム残党の粛清をすぐにでも始めるだろう。勝てば天国、負ければ地獄である。

 

 こんな理由から足の引っ張り合いが水面下で横行する。それが噂話だ。


「小松先生、変な噂が流れてますよ」


 書類選考が無事に通り、いよいよ翌週にプレゼンを控えた週末、美咲のもとに連絡が入った。


 「変な噂ってなんでしょうか?」


 「小松先生はくも膜下出血の原因となる、脳動脈瘤の破裂を防ぐクリッピング術の名医「神の手」と騒がれているが、実際は失敗例も多々ある」


 「はい?」


 美咲は思わず聞き返した。あまりにも突拍子もない噂話を理解するまでに少し時間がかかった。その後、怒りよりもまずおかしさがこみあげてきた。そんな小学生の悪口のようなこと誰が信じるんだ。そもそもクリッピング術は私の得意中の得意分野100%に近い成功実績を出しているのに、そのような噂を……結果を見てもらえば分かるのに、そんなとんでもない事を言って回って私を失脚させようとは許せない。


 「先生はクリッピング術の神の手と言われているのに……一体誰が?」


 美咲はこのような噂話を流されて、教授選の闇が深いと痛感したのと同時に、今回は絶対に教授にはなれないと悟った。

 そして徐々に怒りが体の中に湧き上がってきた。


 こんなことが本当にあるのか。こんな噂話で、教授が決まるのか。悪意以外の何物でもない。


 目の前に白い巨塔が立ちはだかっているのを肌で感じた瞬間だった。


 どこか遠くで高笑いしている顔の見えない大人たちの声を、美咲は確かに聞いた気がした。


 一体誰が?


 確かに慶○大学附属病院准教授が3人の1人に残ったと聞いていた。

 プライドが高いが、人格に問題があり57歳でまだ准教授。決して遅い訳ではないが、実力から言ったらとっくに教授になっていてもおかしくない人物。それで強敵のまだ若い美咲を追い落とそうと噂を流したことは十分考えられる。


 それともう1人同じ医局の准教授「橘医師」は美咲に並々ならぬ闘争心を燃やしている。だから橘の仕業かもしれない。


 一体だれがこんな根も葉もない噂を立てたのか?


 こうして苛立ちを隠せない美咲は、負けて当然と思って期待せずに待っていたが、何とこの険しい難関を潜り抜け見事教授選を勝ち抜いた。それは副病院長水野の力が大きく働いていた。





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