第38話 一杯のラーメン

 ───河島さんに呼ばれて、俺はある場所にたどり着いた。

「ここは───ラーメン屋?」

老舗のような雰囲気のあるラーメン屋。

 レビューを見てみると、評価は高いものの、古臭い、ボロいという意見がちらほら見られた。

「おっ、いたいた」

 後ろから声をかけられる。

 河島さんだった。

「早速入ろうぜ」

河島さんにつられて、俺も暖簾をくぐって中に入る。

 確かに少し老朽化が進んでいたように思えた。

 だが、別に俺はそこまで気にするタチでもない。 

むしろ、こういうのは田舎のラーメン屋じゃしょっちゅうだった。

「いらっしゃーい!」

「大将!豚骨スペシャルラーメン二つ!あ、太麺の方で。ほいで、麺柔らかめ、脂多め、スープ濃いめで!」

「ちょっ、河島さん勝手に……」

「安心しろ。この店はこれが一番美味い」

「いや、自分太麺は……」

「細かいことは気にすんなって!あ、太麺だったか」

「やかましいですよ!」

 バンっ、と河島さんが背中を叩く。

 俺は押されるがままに、カウンター席につく。

「パ、パワハラだ……」

「あ、ライスもつけてくれ!なーに、ここは俺の奢りだから。俺がこんな気前がいい時なんて、めったに無いからな?」

「自分で言っちゃうんですね、それ」

「はいよー!豚骨スペシャルラーメン二つ!」

 カウンターに湯気が立ち昇ったラーメンが並べられた。

ニンニクの強いながらも香ばしい匂いが漂う。

 なんだか、それほどでもなかった食欲が唆られてきた……!

「いただきやす!」

「……いただきます。………ッ!」

 美味い。こってりとした濃厚な豚骨スープがしっかりと太麺に絡み合ってる。

 麺の質感も、弾力を感じながらも噛み切れるぐらいで丁度いい。チャーシューも口に入れた瞬間ほろほろと蕩ける柔らかさだ。

 ニンニクも思ったほど気にならない。むしろ、スープの味に奥行きを与えている。

「美味い!」

「だろ?」

河島さんも上機嫌に麺を啜る。豪快な食べっぷりだ。

「………で、河島さんがタダで飯を奢るなんてあり得ませんよね」

「俺を何だと思ってるんだ?まぁ、お前の思っている通りだが」

 そう言うと河島さんがチャーシューを咥えた。

 ──チームになってからというもの、河島さんへの憧れはなくなったに等しい。

 その代わりと言ってはなんだが、俺は"河島"という人物像に一定の理解を得ていた。

 チームの誰よりも歳上なクセに、誰よりも大人気ない。エンターテイナーとしては一流。実力も一線級。にも関わらずノンデリでカス。

 スパルタで結果主義者なのに、思い通りならなければ不貞腐れて萎え落ち、逆に思い通りに行けばすぐ油断する気分屋。

 良くも悪くも、"人間らしい男"こそ河島さんだった。

「何を要求する気ですか?」

「まさかコトねこがagehaだったなんてな。聞いたその時は目ん玉飛び出たよ」

「話を逸らさないで下さいよ。確かに自分も今年一驚きましたけど」

「せっかちな男はモテねぇぞ。パコパコ野郎が言ってたんだから間違いない。……ったく、こっちはお悩み相談してやろうってのに勘繰りやがって」

「お悩み相談?」

「そうだよ。寛大で慈悲深いこの河島様がお前の悩みを解決してやるよ」

「……何言ってるんですか。そんなのありませんよ」

「いくら言葉を偽っても、俺の目は誤魔化せねぇぞ。悩みとか迷いってヤツは、試合に色濃く出るもんだ。中でもやきとり。テメーが一番もやもやしてやがんだよ」

「もやもやって………」

「ま、語らないならそれでも結構だ。ただ、試合には持ち込むなよ」

 河島さんが最終忠告だとばかりに強調した。

 まるで、これ限りだと言うように。

「──分かりましたよ、観念します。実は……自分は───"普通"があるのか、分からないんです」

「何言ってんだお前?」

「聞いたからには最後まで聞いて下さいよ!とにかく、俺は昔からちょっと感性がズレていたんですよ。だから"普通"になりたくて、今まで"普通"に馴染めるよう努力してきました」

 隠してきたつもりじゃないが、本音を河島さんに語る。

「大会だって、本当はギリギリまで迷ってたんです。だってこれは、非日常的な出来事ですから。"普通"から程遠い選択でした」

「じゃあ何でウチ来たんだよ」

「あの舞台に、憧れがあったんです。今では打倒HDが第一目標ですが。それに……みっちーのあの言葉のおかげです」


 『世の中に"普通"なんてないんじゃねぇの?』


 あの時の言葉を未だに忘れていない。

 あの言葉に、俺は救われた。

「けど───やっぱり、まだ俺は覚悟が出来てないみたいです」

今まで俺を育ててくれた母さんへの罪悪感。

 そして何より、必死に模倣してきた"普通"なんて本当はなかったんだと、受け入れられる勇気。

 俺は───まだ決断しきれていない。

「コトねこが、俺も"何か"に縛られてるって言いました。きっと、俺は"普通"に縛られているんでしょうね。でもきっと、その"普通"のおかげで、俺は普通らしくらなれたと思うんです」

「………」

「河島さん……。俺は一体、どうするべきなんでしょうか?"普通"なんてなかったと受け入れて、これまでを諦めて、前に進むべきなんでしょうか?」

 随分と、自分の人生に反する選択をした。

 それでもなお、まだ俺は心の何処かで"普通"を求めているみたいだ。

「河島さんもそうなんですよね?大会で優勝が目標だって言ってましたけど、本当はちょっぴり諦めもついてたりしますよね?」

河島さんが今まで最強と謳われながらも、"無冠"の「魔王」だということは俺でも知っている。

 河島さんは、かつての仲間たちとプロ発足前から幾度となく「MJL」の前身となった大会の優勝を目指して戦ってきた。

 しかし、トロフィーは常に絶対王者Geもとい、RIの手にあった。

 プロ発足前の最後の河島さんの試合。

 今でも覚えている。あの悲劇を。

 あの試合は、過去一番優勝へと手が届きかけていた。

 お互いに1セット奪取した状態。

 点数差は河島さんたちOhが1ポイント有利。

 ここにきて、3セット目で、河島さんの仲間Ohのヒューマン陣営たちは3残り勝ちという大金星を持ち帰った。つまりは3ポイント。

 セット的にもポイント的にも、河島さんに求められた勝利条件は1

 王手をかけたような状況。

 皆がOhの勝利を確信した。

 ついに歴史が変わる、と期待は最高潮に高まっていた。

 

 けれど───そうはならなかった。


 レッドライン───ステージの紅い花畑エリアの上で、河島さんは何も成せぬまま討伐された。

 結果はOhの逆転負け。

 Geはプロ発足前の最後の試合を華々しい逆転劇で飾った。

 ──その後、Ohはメンバーを大きく入れ替えてHDとしてプロチームとなった。

 河島さんは退陣。大会には顔を出さなくなった。

 その後は大物配信者路線。圧倒的な実力とトーク力、エンタメ性を兼ね備えてこの界隈に大仰に構えている。

 それが、今までの河島さんだった。

「河島さんは"諦めた"から、プロにならなかったんでしょ。今こうやって大会に向けて頑張っているのも、配信者として──────」


「諦めてるワケねーだろ」


「────」

河島さんが歯噛みする。その表情は、嘘偽りないものだった。

「……確かに、大会に出たのは気まぐれだ。だけど───この気持ちはホンモノだ。勝手に代弁してんじゃねーぞ」

河島さんが鋭く睨む。

「す、すいません」

「そもそもお前はなんなんだよ。普通普通って気持ち悪いわ」

「………うっ、それはすみません」

「ウチのチーム見てみろよ。普通なやつなんていねーだろ。何が普通だふざけやがって」

 河島さんの説教タイムが始まった。

「ったく、こんなくだらんことで気落ちしやがって。しゃんとしやがれ。選んだんなら、まずは目の前のこと。考えんのは全部後からでいい」

「くだらないって………。俺にとっては────」

「俺からしたらゴミだゴミ。そんな悩み、さっさと掃いて捨てちまえ」

「あの、お悩み相談は………」

「あ?解決しただろ。てか、お悩み相談なんてガラじゃねーわ。面白い話じゃない限りもうやらん」

河島さんはそう言い切ると、残っていたスープを飲み干した。

「あ"あ"あ"〜〜。この歳でもまだイケんなスープ。大将美味かったぜ!」

「河島さん……俺は………」

「とにかく、だ。俺はまだ夢を諦めてねーから。この大会こそ、HD、そしてRIを打倒する。生半可な気持ちはとっとと捨てろやきとり。全ては俺の夢のためだ」

河島さんは一切の迷いもない眼で言い切った。

毅然とした態度と物言い。

 側から見れば、なんて身勝手な人間だと非難されるだろう。

 だけど、俺にとっては───これ以上ないくらいの、心強さだった。

「………分かりました。ひとまず、俺もチームにいる間は大会だけのことを考えるようにします」

これだけ言われても、そう簡単に割り切れるモノではなかった。

 でも───おかげで、少し楽になった。

 目の前のことを、全力でやる。

 それだけは、自分でもそうするべきだと感じた。

「………よし。じゃあついでに言っとくか」

河島さんが面倒臭そうに頭を掻きながら呟いた。

「……?何をです?」

「こんだけお前を贔屓目に見てんだ。理由があるに決まってんだろ」

「え?俺を心配してじゃ……」

「なワケあるかボケ。全部は優勝のためだよ」

「魔王だ………」

「言っとくが、お前は確かに"特別"だ。───"直感的な読み能力"。ちょっと臭い言い方をすれば、未来も予測可能な力だ。ランクマじゃ眉唾だったが、練習、さらに先日の「シャール杯」を見返して、俺も確信に至った」

「そんな力が俺に………」

……正直、イマイチピンときていない。

 別に普段のようにやってるだけだ。

 kS1nたちにおかしいとか言われても、自分じゃよく分からない。

 それに、大層な言い方をされているが、「シャール杯」はたまたま環境と運が良く上振れただけだ。

 このままこの能力に頼った立ち回りをするのも、流石に如何なものと思い始めている。

「俺はkS1nたちに合わせた普通の立ち回りもつい最近身につけました。こっちの方が協調がとれるんじゃないですか?」

「確かにそれならチームとしては早急に強くなれるし、安定性も増すだろうな。

「…なぜですか?」

「その程度じゃRIには勝てない」

河島さんは断言する。

「アイツらは俺からしてもバケモンだ。ヒューマンのチームワークは勿論のこと、何よりモンスターにはあの「覇王」───"KING"がいる」

 「覇王」───"KING"。

 『RI』に所属する最強のモンスター。

 試合勝率は95%超え。このゲームの生ける伝説。

 圧倒的なプレイスキルで、数多の伝説を築いてきたあの選手は、まず間違いなく日本一のモンスターと言える。

 河島さん──「魔王」と対を為す、日本きっての大英雄。

「アレに勝つには、定石通りはまず通じない。かと言って、下手な搦め手はすぐさま対応される。文字通りバケモノだよアレは」

 唾を飲み込む。

 もし俺たちが優勝を目指すなら、それはレベルが遥かに違う存在と相対するといことに他ならない。 

「勝つには二つの最低条件がある。まず、最高水準のチームで挑むこと。そして───試合中アイツの予測を超えることだ。一つ目はまあ、このまま行けば妥協点レベルまで成長出来る。二つ目は、やきとり。お前が切り札だ」

「俺が……」

「お前のあの"直感的な読み能力"は天才を降せるかもしれない。少なくとも、ポテンシャルはある。俺が言うんだ。間違いはない」

「だから、俺はこのまま自分の能力を中心とした立ち回りをしろと?」

「使い分けろって話だ。そもそもの話、kS1nたちと噛み合わなきゃ今までみたいに事故る。kS1nたちの安定した立ち回り。そして、やきとりの不完全ながらもチートまがいな立ち回り。この二つを場面場面使い分ければ、KINGも倒せる可能性は十分ある」

 河島さんが指を二本立てる。

「───と、まぁそんな感じだ。一応俺がコーチ兼みたいな立ち位置だが、ヒューマンを教えるには限界があるからな。お前たちで頑張ってくれ」

「……分かりました。kS1nたちと話し合ってみます」

「おう、そうしろ。じゃ、お代は払っといたから。……にしても、食券式じゃないラーメン屋は不便だな。なんとかしてくれねぇかな大将」

河島さんがぶつぶつと呟きながら店を後にしようとする。

「河島さん!」

「なんだ?」

「その……色々とありがとうございます!」

「はっ、野郎の感謝なんていらねーよ」

「それでも、です。俺のようなおかしなガキをチームに入れてくれたこと。絶対にこの恩は忘れません」

「勝手にしな。ウチには実力はあるが曰く付きのイカれた連中しかいないんだ。お前一人くらいじゃ濃度は変わんねーよ。………ん、待てよ。イカれた連中か」

 河島さんが何やら考え込む。

「どうかしました?」

「いやアリだな、それ。やきとり。俺たちのチーム名が決まったぞ」


───こうして、俺の波乱な上京の数日間は過ぎ去った。

 俺に、確かなものを残しながら───────。


 

 


 

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