第4話 母

 ───いつもと同じように学校に行き、バイトを終える。

 今は帰路。紫がかった雲を背に自転車を走らす。

「はぁぁぁあ。死にたい……」

これでもかと後悔の深いため息を漏らす。心なしか、この前にも似たようなことでこんなことがあった気がする。

 ため息は幸を逃すと言うが、溜まった鬱憤は吐き出すに限る。

「なんで俺はあんなことを………」

昨夜は完全にハイになっていた。それは今落ち込んでいる原因が証明している。

 受けるか、断るか。

 迷いに迷った挙句、俺が打ったのは目も当てられない一言だった。

「『』なんて、良いワケねーだろがボケ」

 あの瞬間、極限まで頭を働かせた結果、無意識に絞り出した回答が『少しぐらい待てや』。

 やらかした。ほんっっとうに後悔してる。

 今タイムマシンを作ってるヤツがいるなら有り金全部投資してやるよ。

(いや、確かに選択を急かされたのは少しピキッときたけどさ)

 もちろん相手にも事情があるだろうことは百も承知している。

 だが、俺が死ぬほど頭を抱え込む状況を作っておきながら、即決しろだなんて言われたら頭にもくる。

 そんな深層意識が勝手に働いてこんなことになった。

 誰が悪いかと言われれば誰も悪くないと答えたいが、わずか、ごくごくわずかに俺が悪い……かもしれない可能性がある。

 というか今はそんな責任の所在を考えてる場合じゃない。

 大事なのはその後。

 河島さんからの返信が…………一切なかった。

 おかげで不安に駆られて寝不足。

 講義中もバイト中もいつDMが飛んでくるんじゃかと気が気でならなかった。

 俺がここまで落ち込んでるのは河島さんに嫌われたかもとか、そういうヤワな話じゃない。

 "晒される"──────今最も恐れている可能性。

 最悪なことに河島さんはアンチや暴言、煽りを一切合切ことごとく晒し上げるタイプだ。

 河島さんには熱狂的ファンが大勢いる。

 噂ではあるが、晒された人の中には河島さんのファンにリア突された者もいるらしい。血の気が引く話だ。

 一応メッセージは速攻で消したし、謝罪もしておいた。

 それでも、何も返ってこないというのは恐ろしいものがある。

「………というか、これで大会には絶対出れないよな」

 さっきまで晒されることばかり気にしていたが、ふと冷静になると、もう大会への目処がないことに気づく。

 河島さんにはあんなコト言ったのだ。出さしてくれるハズもない。

 他のチームに入るという手もあるが、そうするならとっくにしてる。

 河島さんに誘われた、という形があってこそやっと、自分を言いくるめられたのだ。

 それもおじゃんになったのだから、俺の人生は未来永劫の"普通"が確約された。

 これで、安心して"普通"でいられる。

 思うところはあるが、可能性が潰えた分、前よりは意識しないでよくなりそうだ。

 そんなこんな考えていると、自分の家が見えてきた。



「ただいま」

玄関のドアを開く。明かりはついていた。


「お帰りなさい、こーた」

「───ただいま、母さん」


 母さんが、玄関まで出迎えてくれていた。

 今一番自分にとって、顔を合わせづらい人物だった。

 俺は耐えきれず目線を逸らした。

「わざわざ出迎えなくていいって言ったろ」

「あら?そうだったっけ」

「今日も仕事だったんだろ。こんなことしなくていいよ」

 母さんはいつも朝早くから出勤して、俺が帰ってくるよりも夜遅くに帰宅する。

 たまたま早上がりの日は今日のように、こうして俺の帰りを待ってくれていた。

「ふふっ。私がやりたくてやってることだからこーたは気にしなくていいの。それより、ご飯冷めちゃうから早く手を洗って来なさい」

「………ああ」


─────手を洗い、母さんに向かい合う形でテーブルにつく。

「……いただきます」

手を合わせる。

 今夜の夕食はカレーだった。

 甘口と中辛のルーを混ぜて作った我が家の"ちょい辛カレー"。

 俺がガキんちょだった頃はちょうど良かったが、今では流石にスパイスが物恋しい。

「どう?美味しい?」

 母さんが期待するような目で問いかけてくる。

「……ああ、うん。美味しいよ」

 こんな調子で、半ば本音を切り出すのは諦めていた。

「こうして一緒に夕飯食べるのも久々ね。普段はちゃんと作り置きチンして食べてる?」

「食べてるよ。安心して」

「そう、なら良かったけど………大学はどう?楽しい?」

「まあまあかな」

「お友達は元気?」

「元気だよ。むしろ元気を通り越してやかましいよ」

「ふふっ。楽しそうで私も嬉しくなっちゃうわ」

「なんだよそれ」

なんて事のない、母と子の二人だけの談笑。

 ありふれていて、それでいて温かい、"普通"以外に言いようがない光景だった。

「ところで、あなた最近ゲームやり過ぎなんじゃない?こないだなんて夜通しゲームしてたじゃない」

ドキリと心臓が高鳴る。

「うっ。別に大学生なら"普通"だろ」

「─────そうね。"普通"なら、いいわよね」

一瞬、母さんが目から光が消えた。

「……母さん?」

 だが、それも本当に一瞬だけだった。

 直ぐにいつもの母さんに戻る。

「けど、夜更かしは体に悪いんだから気をつけなさい。あなたには期待してるのよ」

「ん……わかってるよ」

照れ隠しにボザボサと頭を掻く。

「あんまり酷いと制限かけるからね」

「……肝に銘じておきます。ごちそうさま。それじゃあ俺部屋行くから」

「本当に分かってるんでしょうね」

口を結びながら睨む母さんを背に、俺は自室に逃げるように入り込んだ。

「……………」

 自室は真っ暗で、差し込んだ月光が唯一の明かりだ。

扉に体を預けて、へたり込む。

(……昨日のことは口が裂けても話せないな……)

母さんは俺に"普通"を期待している。

 あんな話をしたらどうなるか分かったもんじゃない。

「ま、過ぎた話だ。もう俺には関係ないし、話す必要なんてないからな」

『ピロン!』

 スマホが鳴る。

「……みっちーか。もうランクマの時間かぁ」

今考えるのはひとまずやめて、ゲームの世界に潜り込もう─────────。



「リスキルやめちくりぃ〜」

 リスポーンを狩られたみっちーがつまらなそうに悲鳴を上げた。

このゲームでは一人2ストックまで命がある。

 一度やられても、一回だけリスポーンが出来る仕様だ。

「まあもう勝ち確だから相手も憂さ晴らしだろ」

この試合も、みっちーが場を完全に支配したおかげでモンスター側はなす術がなかった。

 流石に少しばかり同情する。

「ホラ、やきとり煽ってやれ」

「やらねーよテメーでやれよ」

「だから俺死んでんだって」

 軽口を叩きながら無事モンスターを討伐する。

「よし!gg!次行こ次」

 いつものように達成感と高揚感が同時に湧き上がる。

 この小さな勝利の積み重ねが、俺の心を満たしてゆく。

(やっぱりゲームは楽しいな………)

辛いことも、悲しいことも全て忘れて没頭できる。

ゲームには、楽しいことしかないのだから。

「……あっ、そういえば!!やきとり!!!」

「うおっ!いきなり大声出さないでくれよ!ヘッドホンだから鼓膜破けるわ」

 みっちーのはち切れるような大声に思わずヘッドホンを投げ捨てる。

「すまんすまん。やきとりも訊いてるよな?河島さんがチーム作るって話」

「────。あー……あれな」

忘れかけたタイミングで言われて思い出した。

 確かみっちーも誘われていたんだっけ。

「やきとりどうする?俺はやきとりが出るなら出たいけど………」

「………じゃあ無理だな」

「なんでだよ。出ないのか?」

不思議そうに尋ねるみっちーに、これまでのいきさつを話した。

「ふははははははは!!こりゃ傑作だ!!マジおかしい腹痛い……!待てや、なんて……!」

「笑うなっての。こちとら杞憂になって欲しいと祈ってんだよ」

「はははっ。安心しろよやきとり。ほら、俺と河島さんの仲だから。河島さんには俺から晒すのは止めるよう頼んどくって」

「マジかよ………。流石みっちー様………!」

「おうおう拝め拝め。今夜は俺に足向けて寝んじゃねーぞ」

「………みっちーン家どこだよ」

「東京」

「じゃあ南か。起きたら毎朝拝むよ」

「明日にでも忘れてそうだなコイツ」

 持つべきものは友だ。本気で毎朝拝んでやってもいい。

 それぐらいには不安が解消されて感謝していた。

「……ところでさ、やきとりはなんで出たくなかったんだ?」

みっちーが別の話題に切り出す。

「そ、それは………」

「俺は別にプロにも興味ないし、ただゲームを楽しめればそれでいいんだ。……だけど、やきとりはそれだけじゃないだろ?」

みっちーはこう見えてキレるヤツだ。

 俺が何かに悩んでいるのも薄々察していたのだろう。

「なんだかんだ俺たちも短くねぇ。そんくらい相談出来る仲だろ?ま、答えたくなけりゃそれでもいいけどよ」

「……優しいんだな、みっちーは」

「はっ、臭いコト言うなよ寒気がする」

「言い始めたのはお前だろ」

 何はともあれ、みっちーになら打ち明けていいかもしれない。

「……よし。なあ、俺って────"普通"か?」


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