The Old Matchguy

ありさと

第1話 ジョン・スミスの場合

 朝から灰色の重苦しい雲が空を覆っていた。


「寒いと思ったら、やっぱり降ってきやがった。」


 俺はチラつく雪に舌打ちしながら肩を竦めた。コートのポケットに手を突っ込み足早に夜の路地を歩く。

 街はクリスマスムード一色。飾り付けられたイルミネーションが輝いていたが、街路樹にグルグルと巻き付いたそれが俺にはやけに鬱陶しく感じられて、自分がいかに荒んでいるのかを思い知った。

 俺は幸せそうに寄り添いながら俺の横を通り抜けて行った連中を一瞥すると、雑多で汚れたビルの間に身を寄せた。ここなら少しは休めそうだ。

 こんな日に一人でこんな所にいると、思いがけず心が弱り意味もなく感傷に浸ってしまう。心なしか身体まで重い気がした。

 俺は口にあったガムをプッと吐き出すと、ポケットの中から小さな紙袋を取り出し中にあった巻紙を咥える。そして、ついさっき手に入れたばかりの年代物の鈍色のZippoを擦った。

 と…。

 ブワッっと思いがけずに火が大きく広がり、チリッと俺の前髪を焦がした。


「っ!なんだよ、畜生が!」


 いつもと同じ店での取引。馴染みの売人を待つ間、その店にいた見知らぬ客と暇つぶしに始めたカードゲーム。その戦利品がこのZippoだった。

 少なくとも10ドル位にはなるはずだ。そう思って男が並べた私物の中で一番価値がありそうなこのZippoを選んだが、どうやら粗悪品だったらしい。

 慌ててZippoの蓋を閉じようとすると、燃え上がる炎の中に意外なものが見えた。


『やった!ブレイン社の鉄道模型だ!!それにフライトジャケット!凄い!二つも欲しい物が貰えるなんて!!』


 それはクリスマスツリーの下に積んであったプレゼントの包みをビリビリに破いて嬉しがる男の子。少年特有の甲高い声の幻聴まで聞こえる。

 しかしそれは俺がZippoの蓋を閉じるのと同時にパッと消えてなくなった。

 パチ、パチ。

 今見たものの意味が分からず、俺は何度か瞬きを繰り返した。

 俺は掌のZippoを呆然と眺めながら、前髪をかき上げ大きな溜息を吐いた。

 これはダメだ。もしかしてヤリ過ぎか?いやいや、今日まだ三本目だぞ。

 しかしふと気になる。

 俺はもう一度Zippoに指を掛けた。

 まさかそんなはず。しかし、さっきと同じように擦ると、またも明るく熱い炎がボォっと俺の目の前に広がった。同時にまたもその炎に何かが映り込んだ。


『リズ…どうか、お、俺と結婚して…欲しい!』


 二十代半ばの青年。彼は美しい女性の前に片膝で跪いて指輪の箱を開けていた。

 緊張して上擦りながらも、夜景の見える高級レストランで食事をした後の完璧なプロポーズ。女性は溢れんばかりの笑顔で箱を受け取り…。

 しかし、そこで今度は炎が勝手に消えた。

 俺は慌ててZippoを擦った。


『お爺ちゃん、お婆ちゃん!結婚五十周年おめでとう!!』


 次に見えたのは沢山の子供や孫達に囲まれて、しっかりと寄り添う老夫婦の姿だった。男の頭は白く薄くなり、手も顔も皴とシミだらけだったが、その顔は幸せそうに輝いていた。


「おいおい…、嘘だろ?」


 俺は取り憑かれた様に、それから何度も何度もZippoを擦り続けた。炎は様々なものを映しては消えた。

 初めて一人で歩いた事を無条件で両親から喜ばれる男児。

 学年で首席を取って廊下に写真が飾られるのを得意そうに話す少年。

 アメフトの花形になってチアリーダーからキスされる青年。

 料理が美味い美しい妻に、その妻に似た娘と男に憧れる優秀な息子達。

 炎の中に現れるのはどうやらいつも同じ男のようで、子供だったり大人だったり、時には老人だったりと、その年齢は実に様々だったが、どの場面も男は幸せそうに笑っていた。


「何だこれ…?」


 俺は炎の中で笑う男の顔に見覚えがあった。

 それは…俺。

 しかも、どれもこれも決して叶えられる事のなかった俺の願望そのものだった。


「おい、待て!消えるな!!」


 擦り過ぎて、ついには点かなくなったZippoを握りしめ、俺は両手で頭を抱えてズルズルと雪が積もり始めた冷たい地面に座り込んだ。

 炎の中には過去、そしておそらくこれから俺が抱くであろう未来まで、沢山の幸せな『夢物語』があった。


 どれだけそこに座り込んでいただろうか。

 恐ろしく張りつめた冷たい空に白い息を吐いた俺は、ヨロヨロと立ち上がる。手の中には不思議な夢を見せ続けた冷たい鈍色のZippoが輝いていた。

 と、凍えてかじかんだ俺の掌からポロリとそれが零れ落ちた。

 俺はそれを拾おうとして雪の積もった路地に腰を屈めた。途端、驚く程ゆっくりと俺の体が前のめりに倒れ込んだ。

 おかしい。何故だか身体が上手く動かない。

 それにいやに喉が渇く。

 俺は地面からノロノロと上半身を起こし、目の前にある汚いトラッシュ缶の蓋に積もった雪の塊を口に突っ込んだ。

 しかし食べても食べても喉の渇きは一向に収まらない。

 俺は雪をかき込みながら、ギョロギョロとあの燻んだ鈍色を探した。


(何処だ?何処にいった?…夢だろうが何だろうがどうでもいい。糞みたいな今の人生よりずっとマシだ。もっと見たい!もっと見せてくれ!!)


 高揚する俺の気持ちと同じく、寒さは全く感じなくなっていた。

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The Old Matchguy ありさと @pu_tyarou

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