第111話 エリアの決意

「……あんたら、キモ」


 エリアが僕とシャルを交互に見て、うへぇと口元を歪めた。

 数ヶ月前にも聞いたセリフだ。


 しかし、その時とは二点ほど違いがあった。

 一つは、エリアの口元の歪み具合が進化を遂げていた事。

 そしてもう一つは、そのような表情を浮かべているのが彼女だけではなかった事だ。


「あぁ、これはキモいわ」

「気持ち悪いという形容詞がこれほど似合う状況もないだろう」

「ごめん。俺でも引く」

「うん……さすがにちょっと気持ち悪いかな」


 上から順にテオ、サム、アッシャー、ハーバーだ。

 アッシャーとハーバーの言い方は、最初の二人に比べていくらか優しいけど、彼らから真顔でマイナスな事を言われたのは初めてな気がする。

 ちなみに、勉強会を経てサミュエルの事をサムと呼び始めた、というのは余談だ。


「えー、皆してそれはひどいんじゃない?」

「ちっともひどくない! ノアが全部一位、お姉ちゃんが全部二位ってどういう事よ⁉︎」


 エリアが耐えられないとばかりに叫んだ。


 魔法師養成第一中学校では、定期テストの実技、筆記、総合の三部門で、学年の上位三十名までの順位表が廊下に張り出される。

 その三部門全ての順位が、「ノア」「シャーロット」という並びで始まっていた。


「いやぁ、これはさすがにびっくりだな」

「どちらも勝てないとは……さすがですね、ノア君は」

「でも、どっちも結構僅差じゃん」

「いえ、これは点差以上の開きがあると思います」

「おい、冷静に分析してんじゃねー。喜べもっと」


 僕とシャルが腕を組みながら話していると、テオがツッコんできた。


「でも、喜んだらイタイやつじゃん」

「この成績なら逆に喜ばねー方がムカつくわ」

「シャル、お互い健闘したね」

「はい。おめでとうございます、ノア君」

「イチャつけとは言ってねえ……」


 何だかテオが疲れている。

 今はイチャついたつもりはないんだけどな。


「でも、皆だって成績上がってるじゃん」

「まあ、そうだけどよー……」


 皆の前回の成績はだいたい把握しているけど、軒並み順位は上昇している。


「ハーバーは、筆記で三十位以内は初めてか?」

「うん、初ランクイン」

「そうか。良かったな」

「ありがとう」


 サムの賛辞に対して、ハーバーがはにかんだ。


「あらら〜? どうしたのサム。ハーバーだけ褒めちゃって」

「別に深い意図はない」

「ふ〜ん?」


 そっけない返事のサムに対して、エリアはニマニマと笑っている。

 新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。


「シャーロットちゃんとエリアちゃんのおかげだよ。ありがとね」


 ハーバーが近寄ってきて、シャルとエリアにぺこりと頭を下げた。


「いえ、お互い様ですよ」

「そうそう。教え合うのってどっちにも効果あるからね」


 姉に同調して笑うエリアは、筆記試験は五位。初のトップ五入りらしい。


「それは間違いないよね。俺もノア君とサム君とテオ君と勉強してた時が、なんだかんだ一番はかどった気がするし。まあ、ノア君には教えてもらってばっかだったけど……ありがとね、ノア君」

「マジでサンキューな、ノア」

「俺たちがこれだけの点数を取れたのは、間違いなくノアのおかげだ」

「それこそお互い様だよ。僕の中でもすごい整理がついて、いい勉強になってたし」


 アッシャー、テオ、サムに続けてお礼を言われて、僕は頭を掻いた。

 もちろん嬉しいけど、何だか照れくさいな。


「ふふ」


 シャルが頬を緩めている。


「どうしたの?」

「いえ、恥ずかしがっているノア君も可愛いな、と思いまして」


 シャルの瞳に揶揄からかうような色が見えた。

 よしっ、近日中にやり返そう。


「そっか」

「……何だか寒気がしたのですが」

「気のせいだよ」


 口元を引きつらせたシャルの頭を、ぽんぽんと撫でておく。


「本当、自然にイチャつくよな……まあいいや。見終わったし退こうぜ」

「だね」


 テオの言葉で、僕たちは撤収した。


「おーい、エリア。何してんだ?」

「……えっ、何?」


 順位表の前でたたずんでいたエリアにテオが声をかけると、ワンテンポ遅れて彼女は振り向いた。


「もう行こうぜ」

「あっ、うん」


 エリアが周囲を見回してから、早足でやってきた。


「どうした?」

「何が?」

「お前、なんか今日変だぞ」

「テスト疲れだって」


 心配そうな表情を浮かべるテオに対して、エリアは笑みを浮かべてヒラヒラと手を振った。

 しかし、すぐに考え込むようなそぶりを見せる。

 多分、昨日僕が言った事について悩んでいるんだろうな。




◇ ◇ ◇





「じゃあお姉ちゃん、ノア。また明日。頑張ってね」


 窓から二人に手を振る。

 緩やかに発進した車の後部座席に体を預けながら、エリアは昨日のノアの言葉を思い浮かべた。


 ——何となく感じるんだ。この子はまだ先があるんじゃないかって。


 自分の先など、考えた事もなかった。


(いや、違う)


 考えようとしなかったのだ。先がなかった時が怖いから。

 現状に踏みとどまっていれば、自分の限界を感じて絶望する事はない。


 でも、きっとそれじゃダメなんだ。

 ずっと心に巣食っている、お姉ちゃんへの劣等感。おそらくノアは気づいていた。

 だから発破をかけて来たんだ。


 暴走障害さえなければ——。

 これまでの十五年の人生で、何度もそう思った。


 テストの結果を見てもわかるように、魔法も勉強もお姉ちゃんの方が上だ。

 他にも、多くの能力で負けている。


 腹の探り合いなど、貴族としてのスキルに関しては勝っていると思うが、それはあくまで教育と経験の差だ。

 お姉ちゃんがずっと次期当主として育てられていたなら、エリアと同じように、もしかしたらそれ以上に上手くなっていただろう。


 暴走障害さえなければ、確実にお姉ちゃんが次期当主になっていた。

 もしかしたら、いつも口にしている冗談ではなく、エリアが本当に姉だったとしても。


 だから、怖かった。

 もし何かに本気で取り組んで、それでもお姉ちゃんに勝てなかったらどうしよう——。

 ずっと怯えながら生きてきた。


 もしかしたら、ノアの事を早々に諦めてしまったのも、深層心理ではお姉ちゃんに気後れしていたのかもしれない。


(でも、いつまでもそれじゃダメだよね。ノアとお姉ちゃんがあれだけ試験の結果が良かったのは、一生懸命取り組んでいたからだし、この後もノアはWMUダブリュー・エム・ユーで、お姉ちゃんは師匠と修行する。これ以上、私だけ中途半端でいいはずがない)


 エリアは決めた。本気を出そうと。

 勉強も魔法も、できるところまでやってみようと。


 そのためにはまず——、




◇ ◇ ◇




 一時間後、エリアはルーカスに会っていた。

 次期当主としての勉強を減らして魔法の修行をする許可を貰おうと直談判すると、父のオリバーはあっさり許してくれた。

 サター星の襲来などもあったためか、彼は以前よりもエリアの魔法師としての力に重きを置いているようだった。


 エリアが訪ねても、ルーカスは驚くどころか、意外そうな表情すらも見せなかった。

 まるで、彼女が来る事をわかっていたかのようだ。


(もしかして、昨日の言葉は師匠がノアに言わせた? いや、師匠もノアもそういうタイプじゃないか)


 ルーカスは人を使ってさらに人を動かすようなタイプではないし、ノアも使われるタイプではない。

 二人の間で少しくらいはエリアの話もあったのかもしれないが、昨日に関してはノアの独断だろう。


「俺には無理だ」


 感知魔法を鍛え直したい——。

 そう申し出たエリアに対して、ルーカスの答えはノーだった。


「……なぜですか?」

「普通の魔法と感知魔法では、根本から異なるからだ。もしも普通の魔法を鍛えたいのなら教えてやる。だが、感知魔法や使い魔——お前の得意魔法を伸ばしたいのなら、俺から教える事はない」

「そうですか……」


 残念だが、仕方がない。

 ルーカスがそう言うのであれば、本当に無理なのだろうから。


「だが、お前が本気で感知魔法を極めたいのなら、同じように感知魔法を使えるやつを一人だけ紹介してやる」

「えっ、本当ですかっ⁉︎」


 瞳を輝かせたエリアに、ルーカスは一枚の紙を差し出した。


「ここに行って、俺から紹介されたと言え。グレースという中年の女だ」

「グレースさん……WMUのお仲間ですか?」

「いや、あいつは違う」

「国家魔法師ではない……という事ですね?」


 WMUに所属している事と国家魔法師である事は、必要十分条件だ。


「あぁ」


 ルーカスはただうなずくのみだ。

 こういう時は聞いてもそれ以上の情報は教えてくれない事を、エリアは経験で理解していた。


「ありがとうございます、師匠。早速、グレースさんを訪ねてみます」

「あぁ」


 エリアは待たせていた車に乗り込み、運転席のイーサンにルーカスからもらった紙を渡した。


「イーサン、ここに向かって」

「かしこまりました」


 エリアは前傾姿勢になりながら、顎の下で手を組んだ。

 早くグレースさんに会いたい——。


 ルーカスからの紹介という事で、エリアの中での期待値は最大限にまで高まっていた。

 視線も気持ちも、この時の彼女は前に向いていた。


 だから気づかなかった。

 自他共に認める鉄仮面のルーカスが、わずかに心配そうな表情を浮かべていた事に。


「まあ……今のあいつなら大丈夫だろう」


 ぐんぐん遠ざかっていく車にちらりと視線を向けて、ルーカスは誰にともなくつぶやいた。

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