第97話 充電させてください
ノアに羽交い締めにされた状態でお姉ちゃんから胸を平手打ちされ、エリアは二重の痛みを抱えてうずくまっていた。
肉体的にも普通に痛かったし、平手を受けて揺れた胸をノアに見られたという事実を前にしては、さすがのエリアも平常心ではいられなかった。
しかも、ノアも「おおっ」とか言ってたし、それでお姉ちゃんに現在進行形で怒られてるし。
「他の女の子の胸が揺れるのを見て興奮しないでください。そもそもなんで、あんな近くからガン見していたのですか?」
「いや、ガン見はしてないし、そもそもエリアを羽交い締めにしろって言ったのはシャルだから——」
「問答無用です」
ちょっとノアが可哀想だな、と思った。
もっとも、お姉ちゃんも本気で怒っているわけじゃなくて、キャラ崩壊しかけた恥ずかしさを誤魔化しているだけだし、ノアもそれはわかってて付き合ってるみたいだから、これで二人の関係性に傷が入る事はないだろうけど。
それから十分ほどして全員が復活した後、昼食を食べて家を出るまで何をするかという話になり、エリアはトランプを提案した。
雑談をしながらババ抜きをやるのが、昔から好きだった。
ノアとお姉ちゃんも賛成してくれた。
「家でまったり遊ぶ時に、トランプって最適ですよね」
「わかる」
お姉ちゃんの言葉に、ノアが深く頷いている。
良かった。お姉ちゃんがトランプを好きなのは当然知っていたけど、どうやらノアもエリアたちと同じ感性の持ち主のようだ。
「何気に初じゃない? 三人でトランプするの」
「だね。僕とシャルが入院中の時とかやっても良かったかも」
「確かにそうですね」
「ねえ、これからも定期的にやろうよ」
「いいね」
「いいですね」
他愛のない話をしながら、ババ抜きを何回もやる。
十戦が終わったところで、エリアとノアが四勝、お姉ちゃんが三勝だった。
実力はほぼ互角だが、お姉ちゃんがノアに見つめられるとボロを出してしまうので、そこで少しだけ差がついていた。
「さて——」
エリアは腕まくりをして札を配り始めた。
先程も言ったように、雑談をしながらまったりとトランプをするのは好きだ。
だが、今だけは別だった。
なぜなら、この戦いでノアとエリアの負けた方が、お姉ちゃんに対する謝罪の品(ケーキ)を買いに行く係の栄誉を与えられるからだ。
近場だけど、外は寒いし面倒くさい。
そして何より、負けたくないという思いがエリアの中にはあった。
「——よしっ」
ノアも腕まくりをしている。
彼もやる気は十分のようだ。
しかし、お互いやる気が空回りしたのか、お姉ちゃんがあっさりと一抜けしてしまい、早々に一対一の構図ができあがった。
お互い、たまにジョーカーを交換しつつも順調に減らしていき、最終的にエリアの手元にはスペードのクイーンのみが残った。
そしてノアの手には二枚のカード。
どちらかがジョーカーだ。
反対——まず間違いなくハートのクイーンだ——を引ければ、エリアの勝ちである。
ノアは左右の手を離して一枚ずつ持っている。
表情は涼しく、視線はエリアの手元に固定されていた。
「むむむ……」
だめだ。全くわからない。
(何か、何かないのか。私だけが使える決定打は——ハッ!)
エリアは気づいてしまった。
自分が絶対にノアに、ついでに言えばお姉ちゃんにも負けないもの。それは胸であると。
平手打ちは普通に痛いし、しつこいのはお姉ちゃんも嫌だろうから、しばらく貧乳ネタでいじる事は控えるが、エリアの方が胸が大きいのは厳然たる事実である。
そして、ノアは男だ。当然胸はない。
(ハートのクイーンは女要素の強いカード、おっぱいが勝負の鍵なのは確実だ。何より、今の私には胸で左右を決める方法がある……!)
「ノアっ」
「は、はいっ」
突然エリアに鋭く名前を呼ばれ、ノアが背筋を伸ばした。
「さっき私がお姉ちゃんに平手打ちされた時、右乳と左乳、どっちの方が揺れてた?」
「えっ、左——」
「——それだ!」
ノアが「ひ」と発声した瞬間には、エリアは彼の左手にあったカードを奪っていた。
ハートのクイーン。エリアの持っていた一枚と同じ数字だった。
「やったぁ! やっぱりおっぱいしか勝たんっ、上がりぃ!」
エリアは二枚のクイーンを地面に叩きつけた。
それに呼応するように、あぐらをかいていたノアが「なん……だと……」と地面に転がった。
お姉ちゃんと二人で大笑いした。
◇ ◇ ◇
「結構お腹いっぱいです……」
「僕も」
昼過ぎ、心なしかワクワクしているエリアの後を追うように家を出た僕とシャルは、目当ての本屋までの道のりをゆっくりと歩いていた。
シャルの作ってくれたラーメンと、彼女への謝罪の品として僕とエリアが折半で購入したケーキのせいで、なかなかお腹が膨れ上がっていた。
「こんな食生活してたら、間違いなく太っちゃうなぁ」
「ノア君は太らなそうですけど」
「まあね。それを言うならシャルだってそうじゃん。ウエストとか、めっちゃ細くて引きしまってるし」
「それなりに気をつけていますし、体質的に脂肪がつきにくいのです——お腹だけでなく、色々なところに」
シャルが唇を尖らせた。
彼女なりに、貧乳である事は気にしているらしい。
そりゃそうか。
自分と同じような容姿で、自分どころか大体の同級生よりも大きな胸を持つ子がそばにいたら。
「僕は全然いいけどね」
「えっ?」
シャルが視線を向けてくる。
僕は足を止め、彼女の瞳を正面から見つめた。
「別に大きくても小さくても、どっちでもいいよ」
「……でも、エリアの胸が揺れるのを見ておお、って言っていたじゃないですか」
「すごいなとは思ったよ。でも、別にそれだけ。欲情はしないし、シャルのがこれくらい大きかったらな、とも思わないよ」
「……本当ですか?」
「本当だよ。僕にとっては大きい、小さいっていう形容詞よりも、シャルのっていう接頭語の方が大事だから」
「っ……!」
シャルが息を詰まらせ、頬を染めた。
「それにさ」
シャルに向かって手のひらを見せる。
彼女は意味がわからないというふうに首を傾けた。
「手、合わせて」
「えっ、はい」
シャルが不思議そうにしつつも、手のひらを重ねてくる。
僕の方がほんの少しだけ大きい。
「結構小さいでしょ? 僕の手」
「前から大きくないとは思っていましたけど……ほとんど変わらないのですね」
「そ。だから、シャルのがあんまり大きいと、僕の片手に収まらなくなるから、それはそれで困るんだよね」
「はあ……えっ?」
再び頬を染めたシャルは、自らの胸を守るように、両腕をその前でクロスさせた。
僕の発言が、彼女の胸を揉む事を前提としたものだとわかったからだろう。
「まあ、そういう事だから、シャルは全然気にしなくていいよ」
「は、はい……あの、ノア君」
頬を染めたまま、シャルがおずおずとした様子で見上げてくる。
「ん?」
「その、励ましていただいたのは嬉しかったのですが……今の、結構なセクハラ発言ではないですか?」
「えっ? ……あっ」
た、確かに……!
シャルを励ます事にしか考えが及んでいなかったけど、よくよく考えれば結構気持ち悪いこと言ってたな、僕。
「ご、ごめん。気持ち悪かったよね」
「ふふ。別に怒ってはいませんよ」
「……本当に?」
「はい」
シャルが笑みを浮かべて首肯した。
嘘ではなさそうだ。
「カップルならこれくらいは許容範囲でしょうし、私は別にそういう話が絶対NGというわけでもありませんから。それにその、ノア君が清純そうに見えて、意外とエッチな事は知っていますので。以前、お尻を揉まれましたし」
「うっ……」
それを言われると、何も言い返せない。
「なので、お気になさらないでください。故意にそういう発言を繰り返されるのは困りますし、やめていただきたいですが、たまにでしたら構いませんよ。その……そういう話を全くしないカップルというのも、どうかと思いますし……べ、別に積極的に話したいわけではありませんからね⁉︎」
「わかってるよ」
シャルの剣幕に、思わず苦笑が漏れる。
「これまでくらいなら大丈夫?」
「はい、全然。それに、多いなと感じたら都度言いますので」
「頼むよ」
そんなに
それから本屋や洋服屋さんをハシゴしていると、陽が徐々に傾いてきた。
南野圭吾や林博司、それにオガサクリスタルといった好きな作家の本を購入して緩んでいたシャルの頬は、わずかに強張っている。
「シャル、大丈夫?」
「はい……と言いたいですが、正直少し緊張しています。なので——」
シャルが周囲を見回してから、近寄ってきて、
「——元気を充電させてください」
遠慮がちに抱きついてきた。
「っ……!」
なにそれ。可愛すぎるでしょ。
僕が心の内で悶絶しているうちに充電は完了したらしく、彼女は離れた。
「それでは——」
「待って、シャル」
「はい?」
今度は僕がシャルを抱きしめた。
「僕にも、シャルがいない間の元気ちょうだい」
「っ……!」
今度はシャルが息を呑んだ。
周囲に人影は見えないとはいえ、公衆の面前だ。
口にされるのは嫌だろうと思って、おでこにキスを落とした。
シャルは目を見開いた後、はにかむように笑った。
「……よろしいのですか? 逆に私が元気をもらってしまいましたけど」
「キスって、実は双方向なんだよ」
「便利ですね」
シャルが花が咲いたような笑みを浮かべた。
今日中にエリアにバレないようにキスしようと心に決めて、僕は彼女を腕の中から解放した。
「ありがとうございます。これなら余裕で持ちそうです」
「よかった。彼氏冥利に尽きるね」
「それでは行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
背中が見えなくなるまで見送ってから、待ち合わせ場所のカフェに入る。
空いている席を探していると、ついさっきまで見ていたはずの水色が目に入った。
下を向いていて顔は見えないため、女性である事しかわからない。
えっ、シャル? いや、まさかいるはずないよね。
目を
シャルとは違うが、それはそれで馴染みのある髪型だったのだ。
視線を感じたのか向こうも顔をあげ、そして表情を驚きに染めた。
「——ノアっ?」
「やあ、エリア」
カフェの奥の方の席に座っていた女性は、エリアだった。
そして、彼女の前の席には、オレンジ色で短髪の、ノアと同年代くらいの少年が座っていた。
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