第71話 目覚めと一つの約束

「……ん」


 僕が目を覚ました時、最初に感じたのは眩しさだった。

 薄目を開け、無意識に額の上に手をかざそうとして、腕が動かない事に気づいた。


 別に麻痺しているとか肘から先がなくなっているとか、そういう病的な事ではない。

 何かが乗っているのだ。


「何……?」


 利き手である右手を見る。白い布団の上に、淡い空色が見えた。

 左手がある部分の上にも、同じものが見える。


「これは……」


 ベッドに仰向けになっていた体を少しだけ持ち上げてみる。

 予想通り、それらは人の頭だった。


「シャル、エリア」


 二人を起こそうとしたわけではないので、決して大声ではなかった。

 むしろ、つぶやき程度の小さな声だった。

 それでも、寝息まで立てて熟睡じゅくすいしていたはずの二人は、「遅刻よ!」とお母さんに怒鳴られた朝の学生よろしく飛び起きた。


 大きく見開かれた二対の空色の瞳に向かって、僕は笑いかけた。


「おはよう、シャル、エリア」


 呆けた表情を浮かべていた二人の瞳にジワリ、ジワリと雫が溜まっていく。


「えっ? ちょ、あの、二人とも——」

「ノア君……!」

「ノアーーーー!」


 姉は噛みしめるように、妹は溜まっていたものを吐き出すように僕の名を呼びながら、姉妹は揃って飛びついてきた。


「おおっ」


 幸い、上半身を起こし切ってはいなかったし、下はふかふかのベッドだったため、二人を支えきれずに倒れ込んでも身体的には問題はなかった。

 ただ、精神的にはそうではなかった。


「あの、シャル、エリア」


 いくら名前を呼んでも、二人はわんわん泣くのみで、会話にならないのだ。

 それほどまで喜んでくれているのは嬉しいのだが、反面どうしたものかと困惑もしてしまう。


 しかし、その状況は長くは続かなかった。

 ハンナ先生が姿を見せたのだ。

 呆れたような笑みを浮かべながら近づいてくる。


「すごいわね。生まれたての赤ん坊のようなエネルギーだわ」

「確かにそうですね。あの、他の患者さんは大丈夫ですか?」


 先程はおはようと言ったが、外は暗い。

 夜にこんな大声を出すのは、病院のマナー的によろしくないのではないだろうか、という事を心配しての質問だったが、


「問題ないわよ。こうなる事を見越していたのでしょうね。ルーカスさんがこの部屋に遮音の結界を張ってくれているわ」

「さすが二人の師匠ですね」

「ええ」

「あれ、でもそれならハンナ先生はどうしてここに?」


 ルーカスほどの達人が張った遮音の結界なら、まず音は漏れていないはずだが。


「かすかに二人の泣き叫ぶ声が聞こえてきてね。ルーカスさんの結界を貫通するなんて、途方もないパワーだわ」

「マジですか」


 未だに声を枯らす事なく泣いている二人の頭を撫でる。

 飛びついてきた時に咄嗟に両手を広げて迎え入れたため、腕の拘束は解かれていた。


「同級生の男の子が見ていたら、刺されていてもおかしくない状況ね」

「まぁ……そうですね」


 傍から見れば、美少女二人に抱きつかれているのだから、ハンナの言う事は間違いではないだろう。

 もっとも、僕としては思ったよりも困惑が大きいのだが。


「気分はどう?」

「嘘みたいにスッキリしています。ハンナ先生が治してくださったのですか? 僕、割と死にそうだったと思うんですけど」


 比喩ではなく本当に頭が割れたんじゃないかって思ったからね。

 ハンナ先生は口元を緩めて首を横に振った。


「私じゃなくて、今あなたに引っ付いている二人よ」

「えっ、シャルとエリアが?」

「そう。最上級治癒魔法の【同調どうちょう】を使ってね」

「そうだったんですか……ありがとう、二人とも」


 僕は二人の頭に手を乗せた。


「でも、【同調】って魔法が使えなくなるリスクもあったよね? いくら一卵性双生児で魔力の波長が似てるからって、無茶しないでよ」

「ノアには言われたくない!」

「ノア君には言われたくありませんっ」


 飛びついてきてからずっと顔を埋めていた二人が、異口同音に抗議をしてくる。

 涙を溜めつつも唇を尖らせている表情は、本当にそっくりだ。

 僕は思わず笑ってしまった。


 すると、「何笑ってんの」「何笑っているのですか」と、両頬をつねられた。

 どちらも十秒ほど離してくれなかった。


 普通に結構痛かったけど、甘んじて受け入れた。


「ノア君」


 頬をさすっていると、シャルが改まった口調で僕の名を呼んだ。

 エリアは数歩下がっている。


「泣くより前にまず先にこれを伝えるべきでした。命を救っていただき、本当にありがとうございます」

「当然だよ。だって——」


 自然と頬が緩む。


「——シャルは、僕の最愛の彼女なんだからさ」

「っ〜!」


 シャルがポッと頬を真っ赤に染めた。

 まるで顔を隠すように、胸に飛び込んでくる。


「命懸けで助けてくださった事は、本当に感謝しています。ですが、もう二度とこんな危ない真似はしないでください……!」


 後半、シャルの声は涙交じりだった。

 相当辛かったのだろう。

 自分が弱かったばかりにシャルに【統一とういつ】を使わせてしまい、結果的に彼女に生死を彷徨わせた僕としては、シャルの心の痛みはすごく理解できた。

 だから、僕は言った。


「シャルには悪いけど、その約束はできないよ」

「っ……!」


 ビクッとシャルの体が震えた。


「シャルを助けるためなら、僕は何度でも命を懸けるよ。シャルがそうしてくれたようにね」

「ノア君……! ですがっ……!」


 シャルは顔を歪めた。

 今にも泣き出しそうだった。


「でも、代わりに一つだけ約束する」

「何ですか……?」

「命を懸けなきゃいけないような状況が来ないよう、これからは僕が全力で君を守るって」

「っ……!」


 シャルが目を見開いた。

 その口元が徐々に緩んでいく。

 どこか呆れたような、それでいて幸せそうな笑みだった。


「……もう、本当にノア君はずるいです」


 シャルがぽすんと胸に頭を預けてくる。


「そんな事を言われてしまったら、もう何も言えなくなってしまうではないですか」

「あはは、ごめんごめん。でも、全部僕の紛れもない本心だからさ」

「わかっていますよ、それくらいは。ですが——」


 シャルがニヤリと笑って見上げてくる。


「——守られているだけの女だとは思わないでください。私だって、全力でノア君の事をお守りしますから」

「ありがとう。頼りにしてるよ」

「本当に頼りにしてくださいよ? ノア君は人にはやれ頼れだの甘えろだの言うくせに、自分の事になると一人で頑張ってしまうのですから」

「ごめんごめん」


 不満げなシャルが可愛くて、ついつい頭を撫でてしまう。


「またそうやって機嫌を取ろうとする……」


 唇を尖らせつつも満更でもない様子のシャルが愛おしくて、僕はさらに笑みを浮かべた。

 おそらくはそれに対して文句を言おうとシャルが口を開いた時、


「んんっ」


 咳払いが聞こえて、僕らは我に返った。


仲睦なかむつまじくイチャついているところ申し訳ないんだけど、師匠とイーサンもきたよ」

「えっ?」


 呆れた表情のエリアの視線を追えば、確かにそこにはルーカスさんと執事さんがいた。

 ルーカスさんは仏頂面で、執事さんはニコニコと微笑んでいた。

 まじか。全然気づかなかった。


「二人とも、もはや私とハンナ先生がいる事すら忘れてたでしょ」


 エリアがニヤけながら僕とシャルの頬を突いてくる。

 図星だったので、僕は頬に熱を持つのを自覚しながら視線を逸らした。

 シャルも同様の仕草をしていた。


「……ごめんなさい」

「……申し訳ありません」


 二人同時に謝る。


「まあ私は別にいいけどね。居心地の悪そうにしている師匠っていうレアなものも見れたし」

「黙れ」

「おおっ⁉︎」


 エリアの体に鎖が巻き付く。

 目にも止まらぬ早業だ。鎖はルーカスさんから伸びていた。

 彼は腕を一振りし、一寸の躊躇ためらいも見せずにエリアを地面に転がした。


「ちょ、師匠⁉︎ ほどいてください!」


 喚く弟子には一切目もくれず、こちらに向かって歩いてくる。

 その瞳は真剣だった。


「ノア。タイミングが良くねえのはわかってるが、聞いとかなきゃいけねえから聞いておくぞ。遮音の結界はさっきまでとは比べ物にならねえ最高強度のやつを張ってる。外に漏れる可能性は気にするな」

「はい」


 そこは心配していない、という意思表示のために、僕は顎を引いた。

 獲物を前にした獣さながらの鋭い目つきで僕を見つめながら、スーア星随一の魔法師は尋ねてきた。


「お前、サター星人との混血だな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る