第69話 命に代えても
「くまなく検査をしたのですが……シャーロットさんのどこにも、異常は見当たりませんでしたっ……!」
ハンナ先生のその言葉が指し示す意味は、僕にもすぐにわかった。
彼女の目が届かないところ、すなわち魔法構造そのものに異常があるという事だ。
ハンナ先生は涙を流していた。
すでにシャルの命を諦めているようなその様子に、猛烈に腹が立った。
気がつくとハンナ先生に詰め寄り、その胸ぐらを掴み上げていた。
「ふざけるな! シャルはまだ生きてる! 諦めないでよっ、医者でしょ⁉︎」
「ノア、やめろ!」
ルーカスさんにより、無理やりハンナ先生から引き剥がされる。
「気持ちはわかるが、冷静になれ」
ハンナ先生を見る。
彼女は僕のせいで乱れた襟元も直さずに、ただ黙って唇を噛みしめていた。
悔しさや無念を前面に押し出したその表情を見て、僕は自分の言動、行動がとてつもなく失礼だった事に気づいた。
そうだ。ハンナ先生だって簡単に諦めたわけじゃない。
知識も経験もある医者だからこそ、シャルを救える可能性がない事がわかったのだ。
「……すみません、ハンナ先生」
「いいのよ。自分の無力さは、私が一番痛感しているから」
「お前は良くやっている。自分を責めるな」
ルーカスさんがハンナ先生の肩に手を置いた。
「だが、ノアの言う事も一理ある。ハンナ、俺はまだシャーロットの命を諦めてねえ」
「……えっ?」
ハンナ先生が目を見開いた。
「あいつが生きている限り、俺は諦めねえ。お前はどうする? ハンナ」
「……そうですよね。患者さんが戦っている以上、医者が諦める訳にはいきませんよね」
「あぁ」
表情を引きしめるハンナ先生を見て、ルーカスさんは頬を緩めた。
彼は、地面に伏したままのエリアに目を向けた。
「エリア、お前はどうする?」
「……もちろん
エリアが涙をぐいっと拭い、立ち上がった。
執事さん——イーサンさんがすっとその斜め後ろに立った。
全員でシャルの側まで移動する。
「ハンナ、猶予はどれくらいだ?」
「できる限りの延命治療は行ったので、現在は小康状態を保っています。三十分ほどはまず間違いなく大丈夫です」
焦るな、落ち着け。
時間はまだある。
僕はあえて大きく深呼吸をしてから、シャルの手を握った、
心の中で語りかける。
大丈夫だよ、シャル。僕が必ず助けるから。
だから、もう少しだけ頑張って。
「ハンナ。魔法構造を治療できない理由を詳しく説明してくれ」
「えぇ。皆さんご存知のように、魔法構造は生命活動の根幹であり、最も重要な器官の一つなので、免疫システムもより強固なものになっています。他人の魔力の干渉を検知すると、魔法構造はそれを敵とみなして抗体を作り、干渉してきた魔力を攻撃します。それを喰らうと干渉してる側に、反撃してしまうと干渉されている側にダメージが入ってしまいます。抗体の攻撃力は相当高いので、この時点で双方にダメージのないように
ハンナ先生は一度僕たちを見回してから、説明を続けた。
「さらに、敵を倒せないと見るや、魔法構造は抗体を増やして攻撃してきます。抗体の数が一定以上になると制御が効かなくなり、抗体は暴走して敵味方関係なく攻撃を始めます」
「最後は自滅するって訳か」
「そういう事です。そして現在のシャーロットさんの状態的に、抗体を作る事それ自体の負荷に耐えられない可能性もありますし、そうでなくとも少しでもダメージを負えばその時点でアウトです」
「抗体の攻撃をシャーロット側にダメージがいかないように捌きつつ、魔法構造を治さなきゃならねえって事か。しかも、抗体の数はどんどん増えて、
「そんなの、どう考えても無理じゃないですかっ……!」
エリアの表情が再び絶望に染まった。
ルーカスさんも執事さんも険しい表情を浮かべている。
なるほど、確かに至難の業だろう。
でも、不可能じゃないな。
僕ならできる。
いや、
少なくともこの場では、
「——僕がやります」
「えっ?」
こちらを見る全員の顔には、等しく驚きの色が浮かんでいた。
「ハンナ先生。双方にダメージが入らないようにするのが至難ってだけで、魔法構造の治療自体は治癒魔法でできるんですよね?」
「え、えぇ。最上級の治癒魔法が使えるなら可能と、文献には書かれていたわ」
「なら大丈夫ですね」
「ノア、お前最上級まで使えるのか?」
ルーカスさんの問いに、顎を引く。
「構築にはそれなりの時間がかかりますけど」
「ま、待って! 自分もシャーロットさんも抗体から守りつつ、最上級の治癒魔法を使うなんて、まず不可能よ。これまで数多の魔法師が挑戦して、命を落とした人も少なくない。気合いでどうにかなる問題じゃないわ。まず間違いなくどちらか、最悪両方が死ぬわよ」
ハンナ先生の表情は真剣だった。
彼女は心の底から、僕の身を案じてくれているのだろう。
無謀な賭けである事はわかっているよ。でも、それでも——、
「やらなければ、シャルは確実に死ぬ。そうでしょう?」
「っ……!」
ハンナ先生が言葉を詰まらせた。
それは、無言の肯定だった。
「シャルが助かる可能性がわずかでもあるのなら、やらない理由はありません」
クイっと服の袖が引かれた。エリアだ。
いつの間に、僕の隣に来ていたのだろうか。
「ノア……本当にやるの?」
「やるよ」
僕は即答した。
それでも、エリアは服の袖を離さない。
「エリア?」
「私だって、もちろんお姉ちゃんは助かってほしいよっ……でも、そのためにノアが犠牲になるのは嫌だ……!」
なるほど、そういう事か。
エリアは優しいな、本当に。
こんな時でも、僕とシャルの事を考えてくれている。
「犠牲になるつもりはないよ」
涙を浮かべるエリアの頭に、ポンっと手を乗せる。
彼女は息を呑んだ。
「……本当に?」
「本当に。だって、僕が死んだらシャルが悲しむからね」
「……そうだけど、自分で言うのはムカつく」
「えー、エリアが言わせたんじゃん」
嘘は言っていない。
命に代えてもシャルを助けるつもりではあるが、だからと言ってやすやすと死ぬつもりもないからね。
「では、やります」
僕はエリアに手伝ってもらい、シャルの服を脱がせた。
相手に直接触れた方が、魔法的接触は容易になる。
シャルの小ぶりの胸があらわになった。
「あーあ、どうせなら恥じらう顔と一緒に見たかったな」
「そんなの、今後はいくらでも見れるでしょ」
「そうだけどさ。やっぱり初めての特別感ってあるじゃん」
「わがまま言わないの」
「はーい」
あえてエリアと軽口を叩きながら、シャルの胸に手を置いた。
深呼吸をしてから、四人を見回す。
ハンナ先生は両手を胸の前に握りしめ、ルーカスさんは小さく頷き、執事さんは深く頭を下げ、そしてエリアは——微笑んだ。
ノアなら大丈夫だよ。
そう、背中を押してくれるような笑みだった。
「頑張って、ノア」
「うん、行ってくる」
シャルの胸に置いた両手に、全神経を集中させる。
僕が、シャルを救うんだ。
治癒魔法と同じ要領で、シャルの体内に干渉する。
まるで自分が彼女の体の中に入ったような感覚だ。
いや、実際に僕の魔力がシャルの体内に入っているので、その表現も間違いではないだろう。
魔法構造はすぐに見つかった。
そこからの戦いは、
こちらを攻撃してくる抗体を、僕はひたすら吸収した。
サター星人の血が流れているからこそ使える技だ。
これがあるから、シャルを救えるかもしれないと考えたのだ。
全てを防ぎ切る事は不可能でも、吸収してしまえば問題ない——。
最初はそう思っていたのだが、抗体の攻撃力は想定以上だった。
一瞬でも気を抜けば、こちらがやられる。
実際、何発か被弾しつつも、最上級の治癒魔法の構築を進めた。
しかし、それが完成する前に、徐々に数を増やしていた抗体がついに暴走を始めた。
本当に、敵味方関係なく攻撃している。
上の指示がなくても敵味方の区別くらいしてよ、アホかよ。
抗体の自傷行為を防ぐのは困難を極めた。
自分に向かってくるのならほとんど無意識に吸収できるが、シャルを攻撃する抗体はそうもいかない。
自分とシャルを守るだけでも精一杯だっていうのに、それに加えて治療も進めなければならない。
間もなくして、頭痛を覚え始めた。
痛みはどんどん増していくばかりだ。
あぁ、このままだとやばいな。
けど、やめたらシャルが死ぬし、仕方ないよね。
それからさらに続けていると、本当に頭が割れたんじゃないかと思うほど痛みはひどくなった。
意識が薄れ始める。
あれっ、何で僕はこんなに頑張ってるんだ?
こんなに痛いのに頑張る理由なんてある?
このまま続けたら多分僕が死ぬし、もうやめちゃうか……、
——ノア君。
脳裏で、一人の少女が僕の名前を呼んで微笑んだ。
「……シャル……」
そうだ。
僕はシャルを助けるために、こんなに頑張っているんだ。
僕だって生きたい。けど、シャルにはもっと生きていてほしい。
それなら、もっと頑張らないとね。
それからしばらくして、シャルの魔法構造は、あるべき形に収まった。
あぁ、終わった——。
もはや、痛みも疲れも感じない。
ただ、達成感と心地よさだけが僕を支配している。
僕は全身の力を抜き、静かに目を閉じた。
少し、眠ろうか……
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