第67話 エリアの反抗

 苦しそうにえずくシャルと、床にできた血溜まり。

 混乱する頭でも、彼女の容態が急変している事、病院に連れて行かなければならない事はわかった。


 シャルはもはや、力も入れる事もままならない様子だ。

 身体強化を発動させ、背に抱え上げる。


「ゲホッ、ゴホッ……!」


 立ち上がった瞬間、シャルが再び咳き込んだ。

 肩口が、彼女の吐血で真っ赤に染まる。


「す、すみ、ませっ、ゲホッ!」

「喋らないでっ、僕は大丈夫だから!」


 やばい、どう考えても普通の体調不良じゃない。

 考えられる可能性はただ一つ。

 まず間違いなく【統一とういつ】の後遺症だ。


 急がないと、シャルが死ぬ。

 外は冷えていたが、そんな事は気にしていられない。


「今から空を飛ぶから、目つむってて。なるべく負担をかけないようにはするけど、吐きたければ自由に吐いて。絶対に我慢しないでよ」

「はい……」


 たったの二文字を絞り出すのも苦しそうだ。

 シャルを背負ったまま浮き上がり、彼女の顔の前に結界を生成する。

 これで風圧に苦しむ事はないだろう。


 なるべく揺れない事だけを心がけながら、最速で病院を目指した。




 幸い、シャルの検査を担当してくれているハンナ先生は、まだ病院に残っていた。

 右半身が血に染まった状態でシャルを背負っている僕を見て、彼女はギョッと目を見開いた。


「ちょ、ノア君⁉︎ どうし——」

「シャルが血を吐いたんです! 息も苦しそうでっ……先生、シャルを、シャルを助けてください!」

「わ、わかった。わかったわ。診るから落ち着いて、ノア君」


 ハンナ先生が僕の肩に手を置き、落ち着いて、と繰り返した。

 自分が冷静さを欠いていた事に気づく。

 僕は大きく深呼吸をした。


「……すみません、取り乱しました」

「いいのよ。シャーロットさんをそこに寝かせて」

「はい」


 ハンナ先生は様々な器具を準備している。


「何があったの?」

「それが——」


 僕は今日、昼の検査を終えてからの出来事を簡単に説明した。


「そう……」


 話を聞き終えたハンナ先生は、厳しい表情を浮かべていた。


「取りあえず検査をしてみないとわからないわ。でもノア君、話を聞く限り、あなたに責任はないわ。そこは安心してちょうだい」

「はい……ありがとうございます」

「うん。今から検査をするから、ノア君は外で待ってて。スカーレットー?」


 ハンナ先生に呼ばれてやってきたのは、彼女と同年代くらいの女性だった。

 その女性——スカーレットさんは、僕を見るなり、正確には血まみれの僕の服を見るなり、猛烈な勢いで駆け寄ってきた。


「ちょ、君! 大丈夫⁉︎」

「あっ、その子は大丈夫だから、新しい服を用意してあげて。あと、ルーカスさんとテイラー家に連絡して。シャーロットさんの容態が急変したって」

「えっ?」


 スカーレットさんがベッドに寝かされているシャルを見て、目を見開いた。

 気づいていなかったらしい。


「わ、わかった。君、着いてきて」

「はい……あの、ハンナ先生。シャルの事、よろしくお願いします」

「えぇ」


 ハンナ先生に向かって頭を下げてから、僕はスカーレットさんに続いて部屋を出た。




◇ ◇ ◇




「え、エリア様!」


 エリアが自室で期限の迫った仕事をしていると、イーサンが血相を変えて飛び込んできた。


「イーサン、どうしたの? そんなに慌てて」


 彼がここまで取り乱しているのは初めてだ。


「ただいま病院から連絡が入りました。シャーロット様の容態が急変したようですっ!」

「えっ……?」


 エリアはペンを取り落とした。

 言葉の意味を理解するなり、イーサンに詰め寄った。


「お、お姉ちゃんが⁉︎ どういう事⁉︎」

「詳細はわかりませぬ。現在検査中ですが、容態はあまり良くないようで——」

「車を出して、イーサン!」

「かしこまりました」


 イーサンとともに部屋を出る。

 仕事の期日など、どうでも良い。


 お姉ちゃんが【統一】を使ってから、まだ三日も経っていない。

 確実に後遺症の類だ。命に関わるかもしれない。


(いや、まだそこまでと決まったわけじゃないし)


 嫌な想像を、頭を左右に振って追い出す。

 とにかく、一秒でも早くお姉ちゃんの元へ——


「エリア、イーサン。どこへ行くのです?」


 そう言って廊下に立ち塞がったのは、実母のギアンナだった。

 よりにもよって、今一番会いたくない人物と出会ってしまった。


「っ……」


 エリアは無意識のうちに漏れそうになった舌打ちを、何とか口の中だけにとどめた。


「……お姉ちゃんの容態が急変したとの知らせが来たので、病院に向かいます」

「あら、そうなの? でもあなた、まだ仕事が終わっていないでしょう」

「っ……!」


(だから何なの?)


 自分の子供に命の危険が迫っているかもしれないというのに、仕事なんて関係ないでしょ——。

 エリアは思わず声を荒げそうになったが、なんとか堪えた。


「……仕事は帰ってきてから終わらせます。それよりも今はお姉ちゃんの——」

「ふざけているの? 今の仕事は期限が迫っている。見舞いに行っていたんじゃ間に合わないわ。次期当主としての自覚を持ちなさい、エリア。そもそも、見舞いなんて使用人にでも行かせれば——」

「ふざけないでよ!」


 ——バチン!

 甲高い音がテイラー家の廊下に響いた。

 一拍遅れて、エリアは自分が母の頬をぶってしまった事を自覚した。


 それでも、後悔は微塵みじんも押し寄せてこない。

 むしろ、怒りは風船のように膨れ上がるばかりだ。


 頬を抑えて放心している母を見据え、エリアはあふれ出す感情をそのまま言葉に乗せてぶつけた。


「ふざけているのはそっちでしょ⁉︎ お姉ちゃんよりも大事な仕事なんてあるわけない! 自分の子供よりも仕事を優先するなんて、親として失格だよ! いつもいつも私からお姉ちゃんとの時間を奪ってっ……これ以上、邪魔しないで!」


 お姉ちゃんの暴走障害が発覚して以降、ギアンナは事あるごとに二人を遠ざけようとした。

 しまいにはお姉ちゃんに一人暮らしをさせて家から追い出し、今もその見舞いに行く事すら阻んでくる。


 ——ふざけるのも大概にしろよ、クソババア。

 エリアは明確な敵意を持って、ギアンナを睨みつけた。


 もともと両親の事はそこまで好きではなかった。

 それでも、ここまでの憎悪を感じるのは初めてだった。


「え、エリアっ! 母に向かってな、何ですかその目はっ!」

「うるさい! どいてよ! どかないなら——」


 エリアの周囲に、いくつもの魔力弾が浮かび上がった。

 彼女は、自分の魔力を制御できていなかった。


「ひっ……!」


 ギアンナの喉から、情けない悲鳴が漏れた。


「エリア様、おやめになってください!」


 イーサンがエリアを羽交い締めにする。

 エリアも、自分がとてつもない事をしでかしそうになっているのはわかっていた。

 それでも、積年の鬱憤うっぷんが、彼女が冷静になる事を阻んでいた。


「——エリア、やめなさい」


 それは、決して大きな声ではなかった。

 しかし、エリアを正気に戻すだけの力を持っていた。

 父のオリバーだった。


「お父様……」


 魔力弾が霧散した。

 腰が抜けたのだろう、ギアンナがヘナヘナと地面に座り込んだ。


「そんな事をしている場合ではないだろう。行くなら行きなさい」

「……はい、失礼します」


 エリアは一礼をすると、イーサンを連れてその場を駆け出した。

 ギアンナには、一度も視線を向けなかった。




「あぁ、もうっ……!」


 目の前で信号が赤になり、エリアは舌打ちをした。

 こういう時、自分の魔法技能のかたよりが恨めしい。

 それこそお姉ちゃんやノア、師匠だったら、車なんて使わずに直行できるのに。


「申し訳ありません、エリア様」

「イーサンのせいじゃないよ」


 焦りと、そこからくるイライラは抑えられない。

 けど、せめてイーサンには八つ当たりしないようにしないと。

 心配で仕方ないのは、彼も同じなのだから。


 ——トントン。

 窓をノックされた。

 車の横に立っていた人物は、師匠のルーカスだった。


「——師匠⁉︎」




◇ ◇ ◇




 シャーロットの容態が急変したという知らせを受けたルーカスは、仕事を同僚——というより主にアヴァ——に押し付けて、病院に向かって飛び立った。

 途中、眼下に見知った黒い車を見つけた。

 その隣に飛び降り、窓を叩く。


「師匠⁉︎」


 車内でエリアが目を見開いている。

 ルーカスは扉を開けて、エリアを引っ張り出した。


「イーサン、こいつ連れて行くぜ」

「えぇ、私も後から向かいます。エリア様をお願いします」

「あぁ」


 エリアを抱えたまま空中に浮き上がり、ルーカスは再び空を駆けた。


「容態がかんばしくねえってのと、検査中だってのは聞いた。エリアは?」

「私もそれだけです」

「……そうか。急ぐぞ。しっかり捕まってろ」


 焦るな——。

 自分にそう言い聞かせつつ、ルーカスは病院を目指した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る