第58話 ノアの誤算

「おいおい、ノア。覚醒した今なら皆を騙せるって思ってるのかもしれないが、さすがにその作り話は良くないぜ——いくら、俺に彼女を取られたのが悔しかったからってよ」

「何……?」

「どういう事だ……?」


 ジェームズの反論を受けて、大人たちは一様に困惑の表情を浮かべた。

 それはそうだろう。

 僕とジェームズの意見は、真っ向から対立しているのだから。


 ジェームズは余裕そうな笑みを見せている。

 やばい、普通にイライラしてきた。

 死に追いやろうとした人間を前に、よくそんな表情ができるよね。


「作り話じゃないよ。彼女であるアローラを助けたかったのかもしれないけど、君は僕をダーナスに向かって放り投げ、ダーナスの意識が僕に向いたところでアローラを抱えて逃げた。君がやった事は、もはや殺人と同義だ」


 僕は、あえていつもよりもゆっくり喋った。

 怒りは判断を鈍らせるだけだ。ここは冷静にいこう。


「なるほど。アローラを使って作り話に信憑しんぴょう性を持たせようとしているのか。さすが筆記試験学年一位なだけの事はあって、頭が回るな」

「ちょ、ちょっと待つんだ、二人とも」


 ようやく思考が追いついたらしい担任が、会話に割って入ってきた。


「一回状況を整理しよう。まず、アローラがダーナスに襲われていたというのは間違いないんだな?」

「はい。さらに言えば、彼女を俺が助けたというのも事実です」


 ジェームズが答えた。


「なるほど……それでノアは、アローラを助ける際にジェームズが自分を囮にした、と主張しているのだな?」

「はい。彼は僕の胸ぐらを掴み、まるで野球のピッチャーのようにダーナスに向かって投げつけました」

「証拠はあるのか?」

「証拠はありませんが、証人ならいます。シャルは、僕が投げられるところ自体は見ていませんが、僕がダーナスにぶつかるところ、そしてその直後にジェームズがアローラを背負ってその場から逃走するところを目撃しています」

「本当か? シャーロット」

「はい」


 シャルは首を大きく縦に振った。

 ジェームズが鼻を鳴らした。


「ふん。そんなもの、お前がたまたまアローラの近くに倒れていただけの話だろう。もっとも、アローラを助ける事に集中していたから気づかなかったがな。いや、そもそもシャーロットが嘘を吐いているか、ノアに騙されている可能性もあるな。何せ、シャーロットはノアと付き合っているのだから。あわよくば、ブラウン家の力を削ごうとでも考えたか?」

「よく喋りますね。何をそんなに焦っているのですか?」


 ジェームズの揺さぶりに、シャーロットは冷ややかな笑みで応対した。

 さすが、お互い貴族の子供なだけある。

 印象操作と空気作りが上手いな。


 ジェームズが不愉快そうな表情を浮かべて押し黙ったところで、僕は口を開いた。


「シャルだけではありません。もう一人、確実にジェームズが僕の事を囮にしたのを目撃している人がいます」

「何? それは誰だ」


 担任が身を乗り出して尋ねてきた。


「アローラです。僕は彼女が襲われている時に声をかけています。彼女もこちらに視線を向けていました。まず間違いなく、一部始終を見ているはずです」

「確かに……」

「一番の証人だよな」


 全員の視線がアローラに集中した。


 彼女が嘘を吐く可能性を考えていないわけではなかった。

 というより、ジェームズが余裕を持っている時点で、彼女に何らかの根回しがなされているのは、ほとんど間違いなかった。


 それでも、僕はアローラを信じていた。

 さすがに、人の死が関わっていても嘘が吐けるほど、性根が腐っているわけではないだろうと。

 ——そう、信じたかった。


「どうなんだ? アローラ」

「ノアがダーナスに襲われていたのは何となく記憶にありますが、ジェームズはそこに一切関与していませんでした」

「……えっ?」


 だから、先生に問われてアローラがキッパリと真実を否定した時、思考が停止してしまった。


「ほら、どうです? 張本人であるアローラがこう言っているのです。どちらが真実でどちらが嘘か、これではっきりしたでしょう」

「ま、待ってください!」


 シャルが声を上げた。


「ダーナスに突っ込むまで、ノア君は私のすぐ近くにいたのです! それに、彼は浮いた状態で背中からダーナスに突撃していました! 誰かが彼を放り投げでもしない限り、ああはなりません!」

「はあ……」


 ジェームズが、呆れたようにため息を吐いた。


「シャーロット……もう苦しいぞ? 一部始終を見ていたアローラがこう言っているんだ。お前のあやふやな推測など、何の証拠にもならない」

「そんな事はありません! そもそも、アローラさんはあなたの彼女です。あなたこそ、彼女に嘘を吐かせているのではないですか⁉︎」


 シャルの反論に対して、ジェームズは肩をすくめるのみだった。


「ノア君……!」


 シャルが泣きそうな表情を向けてくる。

 僕は力なく首を振った。


 だめだ。空気は完全にジェームズに呑まれてしまった。

 ここから逆転できる策なんてない。

 アローラを信じた僕が馬鹿だった、というだけの事だ。


 大人たちから厳しい視線が向けられているのがわかる。

 彼らからすれば、今の僕は嘘がバレて堪忍したようにしか見えないだろう。


 ここから唯一逆転できる可能性があるとすれば、それはクラスメートが僕の援護をしてくれた場合のみ。

 しかし、この空気の中で、クラスの中心であるジェームズとアローラに逆らえる者など、いるわけがない。


「先生。もう白黒はついたでしょう。ですが、あまりノアを責めないでやってください。俺たちくらいの年頃にとって、彼女を奪われるというのは——」

「せ、先生!」


 ジェームズが締めくくろうとする中、一人の男子生徒が声を上げた。

 アッシャーだった。


 相当勇気を振り絞ったのだろう。

 声は震えており、顔は緊張で強張っていた。


「アッシャー。どうした?」


 先生が意外そうな視線をアッシャーに向けた。

 アッシャーは、一度唾を飲み込んでから答えた。


「お、俺は……ジェームズ君がダーナスに向かってノア君を投げつけたのを目撃しています!」

「なっ……⁉︎」


 教室は騒然となった。

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