第57話 匂い
「ん……」
手をかざして薄目を開ける。
朝の日差しが眩しい。
目が慣れてくると、シャーロットは違和感を覚えた。
景色がいつもと違う。
少しして、ノアのベッドで寝ていた事を思い出す。
(このベッドと布団、いつもノア君が使っているんですよね……)
今更ながら羞恥心を感じつつ、何気なく寝返りをうち、
「っ〜!」
心臓が跳ねた。
目と鼻の先に、見慣れたカラメル色があった。
(えっ、なっ、なぜノア君が私と同じベッドに⁉︎)
シャーロットはパニックに陥った。
「おはよう、シャル」
「ひゃうっ!」
突然ノアの声が聞こえて、シャーロットは悲鳴を上げてしまった。
「あ、あのっ、ノア君! こ、この状況は一体——」
「落ち着いて。何もしてないから。夜中の事、覚えてない?」
「よ、夜中……? あぁ……」
徐々に記憶が鮮明になっていく。
そうだ。ケラベルスに殺されそうになる夢を見て、それで怖くなってしまい、シャーロットは自らノアに添い寝を要求してしまったのだ。
「はぅ……!」
「思い出したみたいだね」
「はい……ご迷惑をおかけしました……」
シャーロットは消え入りそうな声で謝った。
「別に謝らなくていいよ。まぁ、何もしなかった僕には感謝してほしいけどね」
「はい……」
シャーロットは羞恥に耐えきれず、布団に顔を埋めた。
ノアがベッドから降りる気配がする。
「ちょうどいいや。僕、今から着替えるから、そのままでいて」
「わかりました……」
そう答えつつも、ちょっとだけなら盗み見てもバレないのではないか、というイタズラ心が頭をもたげた。
ノアは華奢だが、胸筋などは意外としっかりついているのだ。
(腹筋とかも割れているのでしょうか……って、な、何を考えているのですか私は!)
自分が変態チックな事を考えていた事に気づき、シャーロットは再び赤面した。
より一層、布団に顔を押し付ける。
すると、当然の事ながら、持ち主の匂いがより強く鼻腔をくすぐる。
何度もハグをしているため、ノアの匂いは覚えていた。
ノアに包まれているようだ……などと考えてしまい、シャーロットは更なる羞恥心に
「シャル、もういいよー……シャル?」
「だ、大丈夫ですので、お気になさらずっ」
近づいてくるノアを、顔を隠したまま手で制す。
「そう? ならいいけど……もうすぐお義母さんが制服持ってくるから、ちょっと待ってて」
ノアは、欠伸しつつ部屋を出ていった。
「ふう……」
このままでは色々とよろしくないと思い、シャーロットは布団から離れた。
窓から顔を出してそよ風と朝日を浴びていると、だいぶ気分も落ち着いた。
ノアが出て行ってから少しして、カミラが制服を持ってきてくれる。
「はい。ちゃんと乾いているわよ」
「すみません。わざわざありがとうございます」
「お客さんなんだからいいのよ。それより大丈夫? うちのノアが変な事しなかった?」
「っ……!」
何気ない——おそらくはただの軽口だったのだろう——カミラの問いかけに、シャーロットは動揺してしまった。
カミラがニマニマと笑みを浮かべ、口元に手を当てた。
「あら〜?」
「ち、違います! ノア君は何もしていませんっ!」
シャーロットはブンブンと手を横に振った。
「ただ、私が少し……あぁ、でもっ、決して変な事では——」
「あらっ? ノアが嫌がらなければ、別に変な事をしちゃってもいいのよ。あの子は可愛いもの。気持ちはわかるわ」
「そうなんですっ。ノア君は可愛いのです——って、そうではなく、本当に変な事はしていませんっ!」
「わかってるわよ。落ち着いて、シャーロットちゃん」
カミラが苦笑した。
「はぅ……」
シャーロットは羞恥で真っ赤になった。
何回赤面したら気が済むのですか、と思わず自分にツッコんでしまう。
「シャーロットちゃん」
不意に、カミラの声色が真剣味を帯びた。
「はい……?」
「二人がしっかり考えて決めた事なら、私たちは反対しないわ。ただ、一つだけ約束して欲しいの」
「何でしょう?」
「恩義や同情なんかでお付き合いするのだけはやめて欲しいのよ。うちは基本的にはノアに任せるけど、ノアの事をちゃんと愛してくれている人じゃないと認めないから」
「は、はあ……」
シャーロットは困惑した。
突然、何を言い出すのだろう。
そもそも、カミラはシャーロットがノアの事を好きであると一発で見抜いた張本人であるのに。
カミラがふっと口元を緩めた。
「ごめんなさい。変な事を言ってしまったわね。早く着替えてらっしゃい。皆で食べた方が美味しいから」
それだけ言い残すと、カミラはそそくさと部屋を出ていった。
疑問は深まるばかりだったが、お待たせしても良くないので、シャーロットは手早く制服に着替えて階段を降りた。
学校はとても人が入れる状態ではないため、魔法師養成高校第一中学校の生徒とその保護者は、国際魔法連合——WMUの支部に集められた。
特定来訪区域にサター星の刺客を誘導できず、生徒の中から死者を出してしまった事に関して、WMUから説明と謝罪があった。
保護者席からは怒声も飛び交ったが、幸いにして、暴力や魔法に訴える者はいなかった。
それが終わると、今度は各クラスごとに集められた。
クラスメートは皆、ノアとシャーロットを見ると気まずそうに目を逸らした。
故意かそうでないかは別として、彼らはダーナスの群れに囲まれる二人を見捨てたのだ。
普通の感性を持ち合わせているのならば、平然と接する事はできないだろう。
しかし、その中で一人だけ、余裕の表情を浮かべる男子生徒がいた。
本来なら一番慌てていてもおかしくないはずの、ジェームズ・ブラウンだった。
いくらアローラを助けるという名目があったとはいえ、彼はノアを囮として使った。
人道的に決して許される事ではないし、その事実が露見すれば、まず間違いなく退学処分にはなるだろう。
そんな危機的状況にも関わらず、彼からは緊張というものが読み取れなかった。
「ノア君」
「うん。何か仕掛けてくるつもりなのか、あるいは仕掛け終わった後かもね」
ノアも、ジェームズの様子がおかしい事には気づいていたようだ。
「でも、どのみち告発はするよ」
「えぇ、当然です」
担任からより詳しい話を聞かされる。
話が終わると、担任は生徒に意見を募った。
手を挙げたのは、ノアのみだった。
「ノア君。どうぞ」
「はい。昨日、僕はジェームズ君により囮に使われ、危うくダーナスに殺されるところでした。彼に対し、厳正な調査と処罰を望みます」
「なっ……!」
担任、そして各教室に一人ずつ派遣されているWMUの職員が目を見開いた。
保護者席もざわついている。
ジェームズは……芝居がかった驚愕の表情でノアの事を見つめていた。
やがて、その表情はゆっくりと、何かを悟ったような笑みに変わっていく。
口元を緩めたまま、彼は言った。
「おいおい、ノア。覚醒した今なら皆を騙せるって思ってるのかもしれねえが、さすがにその作り話は笑えねえな——」
ジェームズは、一層笑みを深めて続けた。
「——いくら、俺に彼女を取られたのが悔しかったからってよ」
俺は無実だ。だから余裕だぜ——。
そんな言葉でも聞こえてきそうな笑みだった。
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