第56話 添い寝

「本当にごめん」


 緊張した面持ちでベッドに腰掛けているシャルに対して、僕は直角に腰を折り曲げて謝意を示した。


 ウチにはリビングやダイニングの他に、四つの部屋がある。

 一階に二つ、二階に二つだ。


 一階の二部屋はそれぞれ両親の部屋で、二階は僕の部屋と書庫になっている。

 両親の部屋に僕の友達を寝させるわけにはいかないし、書庫は埃が溜まっていて、本が落下してくる危険もある。

 かと言ってリビングなども論外。


 消去法で、シャルを泊める事のできる部屋は、僕の自室しかなかった。


「こっちから呼んだのに、寝床の事とか全く頭になくて……」

「頭を上げてください、ノア君。私は全然気にしていませんから。正直、今日は少し一人で寝るのは怖いかなと思っていたので、むしろ助かりました」


 シャルがふっと微笑んだ。

 気を遣ってくれているのだろうとはわかるが、嘘を吐いているようにも見えなかった。


 今日、彼女はケラベルスに殺されかけたのだ。

 確かに、夜に一人は不安だろう。


「それに、ベッドも譲ってくださいましたし」

「当然だよ。女の子の方が体を冷やすと良くないって言うからね」


 さすがに同じベッドで眠るわけにはいかないため、僕は床に布団をひいた。


「それに、お客さんのシャルを布団で寝させていたら、僕が罪悪感で寝れなくなるから」

「逆に、ノア君のベッドを占拠してしまっている罪悪感で、私が眠れなくなりそうなのですが」

「大丈夫でしょ。シャル、意外と図太いんだから」


 僕がハハハ、と笑うと、シャルが無言で枕を投げつけてきた。

 身体強化を発動させてキャッチする。


「ほら、図太くない人は、他人の枕をその持ち主に向かって投げないよ」

「……ノア君なんて嫌いです」


 シャルが不貞寝してしまった。

 うーん、ちょっと今のはしつこかったし、性格が悪かったな。

 反省だ。


「ごめん、シャル。ちょっとやりすぎちゃった」

「……別に、そんなに怒ってませんよ」


 シャルの声は笑いを含んでいた。


「良かった。嫌われたかと思った」

「あんなので嫌いになりませんよ。ノア君の中で、私は図太くて狭量な女なのですか?」

「あれ、やっぱり根に持ってる?」

「持ってません」


 シャルが布団を鼻まで引っ張り上げ、視線を逸らした。

 自然とその頭に手が伸びる。


 シャルが気持ちよさそうに目を細めた。猫モードだ。

 そのままずっと撫でていたくなるが、一つ、彼女には聞いておかなきゃいけない事がある。


「そういえばさ、シャル」

「何ですか?」


 シャルが起き上がった。


「何で、【統一とういつ】を使えないって嘘吐いたの?」

「うっ……その、言ったら心配させると思って」


 シャルが視線を逸らした。


「そりゃ、心配はするけどさ。嘘は吐かないでよ。いきなり【統一】使われたらびっくりするじゃん」

「はい、すみません」


 シャルがぺこりと頭を下げた。


「よろしい」


 僕としても、そこまで怒っていたわけではないので、それ以上は詰めなかった。

 代わりに、気になっていた事を尋ねる。


「というかさ、【統一】って自分の意思でできるもんなの?」

「完全に、というわけではありませんけど。私の場合、誰かを守りたいとか助けたいとか、そういう強い想いを抱えている時には発動できますね」

「えっ、それって暴走とはまた違うの?」


 シャルは暴走障害を抱えている。

 確か、暴走のトリガーも強い思いだったはずだが。


「暴走は、負の感情を抑えきれなくなった時ですね。そういう時は心も乱れているので、感情に合わせて魔力も暴走してしまうのです。一方で守りたい、助けたいという気持ちは、精神が一つに定まっているので、【統一】まで持っていけます」

「つまり、どちらも強い気持ちが力を引き出す構図は同じだけど、精神が負の感情により乱れていると暴走状態になって、精神が正常だとその力をうまく使って【統一】を発動できる……って認識でいい?」

「そうです。だから、根本的には暴走と【統一】は似ています。私が【統一】を半意図的にできるのも、暴走障害を持っているからかもしれないと師匠は言っていました」

「なるほど……でも、暴走って【統一】ほど体に負荷はかからないよね?」

「そうですね。これも師匠からの受け売りですが、暴走している時は精神が不安定なため、ポテンシャルを発揮しきれず、結果として体への負担も減っている可能性が高いらしいです」

「ふむふむ」


 十分に理解できる説明だ。

 いつか、ルーカスさんと魔法談義でもしてみたいな。


「でも、これからは僕も力になれるから、もう【統一】なんて使わないでよ?」

「善処します」

「……そこは素直にはい、って頷いて欲しかったんだけどな」

「ケースバイケースじゃないですか、そんなの」

「そりゃそうだけどさー」


 僕はため息を吐いた。


「まったく……可愛げがないな、シャルは」

「そんなものはゴミと一緒にポイッ、と捨ててしまいましたよ」


 シャルが窓に向かって投球動作をした。

 それが可愛らしくて、僕はまた無意識にその頭に手を伸ばしていた。


「……可愛げがない女の子の頭を撫でるのですね、ノア君は」

「今のは可愛かった」

「……そうですか」


 シャルが仰向けで寝転がり、先程と同じように鼻まで布団を被る。

 照れ隠しなのはわかっていたが、揶揄いはしない。

 さすがにしつこいだろうし、何となくそういう雰囲気ではなかった。


 毛流れに沿って撫で続けていると、シャルがうつらうつらし始めた。


「ちょっと早いけど、明日もあるし、今日はもう寝よっか」

「はい……」


 シャルはすでに半分、夢の中のようだった。

 電気を消して布団に入る。


「おやすみ、シャル」

「おやすみなさい……」


 すぐにすぅ、すぅ、と可愛らしい寝息が聞こえてくる。

 信頼してくれている事は嬉しいけど、男として見られていないようで、何だか釈然としない。


 ただまあ、今日は特にシャルにとってはハードな一日だっただろうから、疲れていて当然か。


(変なこと考えていないで、僕もさっさと寝よう)


 別に同じ布団で寝てるわけでもないし、と自分に言い聞かせて目を閉じる。

 存外僕も疲れていたらしく、眠気はすぐにやってきた。




 夜中、何かの音がして、僕は目を覚ました。


(鳥のさえずり……? 違う。人の泣き声……まさかっ、シャル?)


 起き上がってベッドの方に意識を向ける。

 間違いなく、シャルがすすり泣いていた。

 常夜灯をつける。


「シャル、大丈夫?」


 返事はない。悪夢でも見ているのだろうか。

 何にせよ、放っておくわけにはいかない。


「シャル、シャル」


 肩を揺らすと、シャルがゆっくりと目を開けた。

 薄暗いオレンジ色の光の中でも、その目元が濡れているのが確認できた。


「シャル、大丈夫——」

「ノア君……!」


 シャルが飛びついてきた。

 決して離さないとばかりに、強く抱きしめてくる。

 その体は震えていた。


「シャル? どうしたの?」

「あいつが……! ケラベルスが……!」


 取り乱している。

 ケラベルスに殺されそうになった恐怖を思い出しちゃってるんだ。


「大丈夫だよ、シャル。落ち着いて。ケラベルスはいないよ。僕が倒したからね」


 大丈夫、大丈夫と耳元で繰り返しながら背中を撫でていると、シャルは徐々に落ち着きを取り戻した。


「大丈夫? 落ち着いた?」

「はい……すみません」

「謝る事じゃないよ」


 しょんぼりするシャルの頭を撫でる。

 殺されそうになる恐怖は、人間主義者たちに襲われた時に僕も経験している。

 あの時はシャルが助けてくれたから、トラウマにならずに済んだ。

 今度は僕が助ける番だ。


「怖かったよね。でも、大丈夫。もうあいつはいないし、シャルの事は絶対に僕が助けに行くから。だから大丈夫だよ」

「はい……」


 シャルが泣き笑いのような表情を浮かべた。

 そして、体を預けてくる。


 一定のリズムで背中をポンポンと叩いていると、シャルの目がとろんと溶け始めた。


「よし、じゃあまだ夜中だし、もう一眠りしようか。何かあったらいつでも——」

「嫌……ですっ」


 離れようとする僕の服の袖を、シャルがギュッと掴んだ。

 赤ん坊が、自分の元を離れていくお母さんにするみたいに。

 庇護欲がそそられる。


「どうしたの?」

「離れないで……」


 迷子の犬みたいだ。

 犬になったり猫になったり、大忙しだな、シャルは。

 と、僕は束の間、現実逃避を試みた。


 しかし、現実は待ってくれない。


「えっと……シャルが寝るまで手でも握ってる?」

「それだけじゃ、不安です……一緒に寝て、くださいっ……」


 それはさすがにまずいよ——。

 真っ先に頭に浮かんだそのセリフは、シャルの顔を見た瞬間に霧散した。


 彼女の空色の瞳には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。

 相当怖かったのだろう。


 好きな女の子が不安がっているのだ。

 安心させないでどうする。


「わかった。一緒に寝よっか」


 僕はシャルの横に潜り込んだ。

 途端に、彼女は安心したようにへにゃりと笑った。

 腰に手を回してきて、僕の胸に頬を擦り付けてくる。


(何これ、可愛すぎる……!)


 僕は、声を上げないようにするので精一杯だった。


 すぐに、シャルがすやすやと寝息を立て始めた。

 穏やかな寝息だ。

 チラリと確認すると、表情も柔らかかった。


 取りあえずは良かったけど……この体勢はまずいな。

 安堵して心の余裕が出てくると、俺の出番だとばかりによこしまな気持ちが顔をのぞかせる。


 ——椅子取りゲームじゃないんだよ、このやろう。大人しくしておけ。

 ——できるかよ! 好きな子がこれだけ密着しているんだぜ? ちょっとくらいイタズラしても罰は当たらねーよ。

 ——シャルは怖がって頼ってくれたの。その信頼を無碍むげにできるか。

 ——けっ、相変わらずおカタいねぇ。固いのはてめえの息子だけで十分だってのによ。


「ふう……」


 脳内で馬鹿なやり取りを繰り広げていると、だいぶ落ち着いた。


 そうだ。シャルの信頼を裏切るな。

 もし彼女が、僕の秘密を知っても受け入れてくれるなら、これからいくらでもそういう機会はくるだろう。

 逆に受け入れられなかったら、ここで何かをした事は僕にとっては人生の汚点に、シャルにとっては不愉快な出来事になる。

 欲望に流されて、いい事なんで何一つないんだ。


 邪な気持ちはすっかり消え去った。

 その代わりに、もしシャルに受け入れられなかったらどうしようという不安に支配され、眠れぬ夜を過ごす事になった。

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