第14話 混乱と新たな家族

昇の生活は、電車とバスを乗り継ぎ、西淀川にある工場へ行き、ただ黙々と働き、仕事を終えると真っ直ぐに家に帰る毎日だった。

知った人もいない都会での暮らしは、家族の傷を隠して生活するのには都合よく、職場や行き帰りの電車やバスの中では、いくらか家庭の現状から逃れられることが出来た。

夕方の駅前の商店街は、いつも賑やかだった。しかし、昇の心には、行き交う人々の姿も店先での客と店主のやり取りも虚しく映るのだった。

それでもアパートに帰ると幸子が待っている。

不自由な体で、毎日、食事作りやら洗濯をこなし、高志の面倒を見ていた。昇にとって、幸子の姿を見ることほど心が穏やかになることはなかった。

高志に気遣いながらの生活ではあったが、大きな波乱もなく、なんとか生活出来ていた。そんな二人にとって、小百合からの電話は最大の喜びだった。


「私ね~。テニスの九州大会に出るようになったの。凄いでしょう。応援に来る?」

「凄いね~。見たいけど、無理ね~。生活、ゆとりないし。まずは、ローンの返済が第一だから。ごめんね。頑張ってね。」

「お兄ちゃんは、元気なの?」

「うん。なんか、忙しいみたいで・・・・。」


小百合には、幸子が病気で倒れたことも、ましてや高志が退職して引きこもってしまったことも話していなかった。


高志は、相変わらず引きこもりの生活を続けていたが、重なる近所とのトラブルからアパートでの生活が難しくなっていた。

誰かに危害を加えるようなことはなかったが、深夜、大きな音を出したり、通路にゴミを捨てたり、窓から水をこぼしたりして、同じ階の人たちからばかりでなく、アパートの住人全体から冷ややかな眼で見られるようになっていた。

その都度、昇は謝りに行っていたが、やがて、一つの事件をきっかけにアパートを出ざるを得なくなった。


高志が引きこもりを始めて三年目の平成11年。

食事を届け、部屋を片付けて帰ろうとする幸子に、高志がちょっとした暴力を振るったのである。小百合からの電話での話しを伝えただけの幸子を、ドアから押し出し、靴を投げつけ、大声で『帰れ』と泣き喚いていたのである。その右の手には、棒のような物が握り締められていた。

たまたま通りかかり目撃した住人が警察に通報し、駆けつけた警官によって高志は取り押さえられたのであった。警察からの連絡で、昇も駆けつけ、親子である事を理由に釈放してもらった。

この事件によって、いよいよアパートに住み続けることが出来なくなり、次のアパートに引越ししたのであった。

引越し先は、昇の工場の近くで古いアパートではあったが、部屋数の多い所だった。幸子の強い望みで高志も一緒に暮らすことにしたのである。昇としては、不安はあったものの預ける所もなく、他人に迷惑をかけてはいけないとの思いで幸子の提案に同意したのであった。もちろん、高志もむやみに乱暴を働くことはなかった。この三年程の引きこもりの様子から、昇も何が高志を刺激するのかわかっていた。これまでは、仕事の話をしたり、家族の話をすると、にわかに視線が泳ぎだし、興奮した状態になるのであった。

昇と幸子は、この話題を封印し生活することにした。


昇たちの生活は、高志の部屋だけには触れないようにして、なんとか安定して過ごすことが出来ていた。

そんな生活が三年も過ぎた頃、小百合から電話が来た。


「私、結婚しようと思うんだけど、彼と会ってもらえるかな~?」

「お~、そうか。良かったね~。わざわざ、会わなくても小百合が好きになった人なら大丈夫だろう。ちょっと、待って、お母さんと代わるから。」

「小百合ちゃん、おめでとう。良い人に出会えて、良かったね。お母さん、とっても嬉しいよ。」

「ありがとう。結婚式、三人で来てくれるでしょう?お兄ちゃん、いる?代わってくれる?」

「あ、お兄ちゃん、今、ちょっと出かけているみたいよ・・・。小百合のこと、教えておくから。」


昇と幸子は、小百合に何も教えていないことで悩んでいた。幸子が病気で倒れ、不自由な体になっていること、高志が仕事を辞め引きこもり状態になっていること、何も教えていなかった。

昇は、数日悩んだ挙句、これ以上、隠すことは出来ないと小百合に電話をすることにした。

昇からの話しに、小百合は絶句した。しばらくして、ポツリ、ポツリと言葉を返して来た。


「私達、家族でしょう?どうして、お母さんが病気になっても教えてくれなかったの?ずっと付いて看病できなくても見舞いには行けるし、早く良くなるように祈ることだって出来たのに・・・。お金も、少しくらいは多く送れたのに・・・。お父さんとお母さんだけの家族じゃないでしょう・・・。お兄ちゃんの悩みだって、私ではどうしようもないかもしれないけど、聞いてあげるくらい出来るのに・・・。お父さんにとって、家族って何なの?お父さんとお母さんの思いだけで・・・、私達はお客さんみたいに扱われて・・・。」

「すまないね。小百合のおめでたい話に水を差すようなことを知らせて・・・。」

「謝らなくて良いわよ。私・・・、気持ちの整理がつかないから・・・、今日はこれで切るね。」


小百合の言葉は、一つひとつ胸に沁みた。


平成14年秋。

博多での結婚式に、昇と幸子は日帰りで出席した。

小百合の相手の男性は、明るそうな人で、二人は安心した。式では、両家の親族が対面する形で神前に座ったが、小百合の親族は昇と幸子の二人だけだった。それでも、小百合は嬉しそうに微笑んでいた。

幸子は、そんな小百合の横顔を見ながら涙にくれていた。

披露宴になると、新郎の修は昇と幸子に何かと気を使ってくれ、横に座っては話しかけたり、ビールを勧めたりしてくれた。披露宴も終わりに差し掛かった頃、今度は、二人で昇たちの席にやって来た。


「小百合、修さん、幸せになってね。私達、二人で家族を作って、高志と小百合が出来てこれまでやってきて、色々あったけど、あなた達のお陰で、とっても幸せですよ~。家族って、代を繋いで始めて本当の幸せを感じるのかもね。あなた達も、早く子供を作って幸せな家庭を築いてね。」

「修君、小百合のことをよろしくお願いしますね。」


昇は、そう言うと新郎の手をしっかり握り締めていた。


「お父さん、お母さん。僕、小百合さんと助け合って、温かい楽しい家庭を築きますから、遊びに来てくださいね。」


小百合の結婚式の帰り、二人は自分達の結婚式に思いを馳せていた。


「私達の結婚式、お母ちゃんが申し訳なさそうに座っていましたよね。」

「あ~、会社のみんなに来てもらって、賑やかだったよね。お母さんは、小さくなっていたけど、嬉しそうにお前の方ばかり見ていたよ。今日のお前と同じだよ。」

「あら、そうだったの?気づかなかったわ。あれが、私達の家族のスタートだったのよね。お陰様で、二人の子供達も成長して、そして、新しい家族が出来て。家族って、なんでしょうね~。楽しいことや悲しいことや、色々あったけど、なんだか、終わり良ければ、全て良し、って感じですね。」

「なに言ってるんだよ。まだ、まだ、俺達の人生これからだよ。」


夕やけを背に大阪へ向けて走る電車の中で、二人は心地よい時間を過ごした。


幸せにも不幸にも尺度はないが、幸せも不幸もいつまでも続くものでもなく、長い人生の中で絶妙のバランスを見せるのであった。

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