第15話 幸子の死

逃げるように大阪に出てきて10年。

平成18年も終わろうかとする12月中旬。幸子が、再び倒れた。高志を抱えての緊張の生活は、幸子に思いもよらないダメージを与えていたのである。

故郷五島との音信は途切れてしまったものの、貧しいながらも生活は安定し、前の年にはローンの返済も終わり、昇は節約づめの幸子に『少しは洋服でも買いなよ』と薦めた矢先の出来事だった。

その幸子は、再び、目を開けることはなかった。わずか、60年の人生だった。


幸子の火葬は、昇と博多から駆けつけた小百合とその夫の修の三人で行った。

火葬場の広いロビーで三人は、まるで池の中で風に吹き寄せられた木の葉のように、片隅に寄り添って火葬が終わるのを待っていた。


小百合は、幸子との思い出を語っては泣くばかりであった。おそらく、昇も知らない二人だけの思い出もあるのだろう。


「私ね。高校生のときにお母さんから、短大に行かないのなら五島に残ってって頼まれたことがあるの。でも、私、テニスしたかったから今のデパート勤務を選んじゃって・・・。お母さんの傍にいてあげれば良かった・・・。」

「良いんだよ。小百合には、小百合の人生があるんだから。」

「お母さん、寂しかったのよね。折角、家族になって一緒に暮らすのは、ほんの十何年かしかないものね。きっと、お兄ちゃんにも五島に残って欲しかったと思うわ。」

「でも五島にいたって、仕事もないし・・・。今時、五島に残る者なんかいないよ。」


小百合の夫も話しに加わってきた。


「そうですよね。仕事がないと、どこにいても生活出来ないですからね。どの程度の生活をしたいかによるんでしょうけれど。博多にいても、そんなに良い仕事があるわけじゃないですよ。僕の家は祖父ちゃんが作った家があったから、そんなに収入は高くなくても生活出来たんですけれどね。」

「うちは、お父さんが作った家があるから、贅沢な生活を考えなければ五島でも暮らせたんじゃないの?お兄ちゃんだって、嫌がるのに大学までやる必要なんかなかったのよ。」


小百合たちの話は、最近になって昇自身も自問していることだった。昇は、『自分の子育ては何だったんだろうか。なぜ、嫌がる高志を大学にまでやったんだろうか。それが原因で家族の歯車が狂ってしまったんではないのか。無理して背伸びしたことが幸子を病気にしてしまったのではないだろうか。』と自分を責めていたのである。


「お父さんを責めても酷だよ。子供のためにと、誰でも考えることだし、大学に行けば幸せになれるって考えていた時代だったからね。」


修の言うとおりだった。みんな、訳もなく未来に夢を託し、大学進学の先に豊かさが保障されていると信じていた時代だったのである。

家族で生きることの喜びよりも、経済的な豊かさを求め。今を生きる楽しみよりも、あてもない明日の豊かな生活を求める時代だったのである。

しかし、みんなが憧れ、家族での生活を犠牲にしてまで手に入れようとした豊かさは、長続きしない物が多いだけの生活だと言うことは、それぞれの人生が終わろうとする頃にしか気づかないのであった。

 

幸子の遺骨は、真っ白で、とても綺麗だった。家族三人は、その骨を一つひとつ拾い上げ、骨壷に納めた。昇にとって、これほど辛いことはなかった。涙でゆがむ視界を必死に耐え、幸子の骨を拾うのであった。拾いながら頭に浮かぶ幸子と出会ってからの思い出の数々は、一つひとつ昇の胸に突き刺さるのであった。

故郷を離れ大都会の中で暮らしてきた昇たちには、幸子の遺骨を納める墓もなく、白い箱に収めてもらい昇が抱きかかえるようにして火葬場を後にしたのであった。

小百合の夫・修は、仕事があるからと一足先に博多に帰ったが、小百合は昇と一緒にアパートに来た。せめて一日くらい父の傍にいてあげたいという思いと、兄・高志のことが気になってのことだった。

アパートに着くと二人は、幸子の骨箱と写真を小さなタンスの上に置き、手を合わせた。

小百合は、早速、高志の部屋に行った。高志は、窓の外を見ていたが、小百合の呼びかけに素直に振り向いた。

痩せ細り背中を丸めた高志は、十数年前の兄ではなかった。

変わり果てた兄の姿に小百合は、ただ、じっと手を握って涙を流していた。高志は、小百合が手を握る事を拒むことなく、おとなしく視線だけは窓の外に戻していた。


「お兄ちゃん、何があったの?よっぽど苦しいことがあったのよね。力になれなくてごめんね。」


もちろん、高志が答えるはずもなかった。


「私ね、4年前に結婚したのよ。相手は、修さんて言う人。とっても良い人だから、お兄ちゃんと気が合うと思うの。そのうちに会ってね。きっと、連れて来るから。お母さんが死んじゃって寂しいけど、しっかりしてね。お父さんを助けてね。」


小百合は、幸子の死にふれた時、高志が強く握り返してきたのがわかった。

 『わかっているんだ。お兄ちゃんも寂しいんだ。』


次の日。

帰り際に、再び、高志の部屋に来た小百合は、昨日と同じように手を握り話しかけた。


「お兄ちゃん、私、仕事があるから、今日、博多に帰るの。お父さんと二人で寂しいけど、頑張ってね。じゃあ、帰るね。」


昨日と違い下を向いたままの高志は、小百合が手を離すと、わずかにびくりとした。

高志の部屋を出る小百合も昇も、高志の変化には気づかなかった。

二人が出たあと、高志は視線を上げ、二人が出た襖の方を見ながら声もなく涙を流していたのである。さっきまで小百合が握り締めていた右手を、左手で大事そうに包み、二人が出て行った先を見つめ、静かに涙を流していたのであった。

高志は、小百合に何を伝えたかったのであろうか。


昇は、幸子がなくなったあと、家事もこなすようになった。

家事は、幸子が脳梗塞で倒れたときからやってきていたが、62歳になった昇にとって、仕事と家事はきつかった。

さらに、家事をする昇を見て、たまに高志が涙を流しながら暴力を振るうようになっていた。昇には、高志の混乱振りが理解できなくなっていた。

昇は、高志を責めることもできず、昔、家の前で写った家族写真を見て耐えるしかなかった。

そんな昇の風貌は、いつしか70代後半かと見間違えるほどになっていた。


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