第12話 ジャンプ!


 ルースの指示通りに、ロイの部下たちは街を囲むように外壁の上へと陣取った。ルースの部下は、東西南北、四か所の門の前で、少人数の隊を組んで待機。


「本当にいいんだな? メイティア」


 ルースが最終確認として、そう尋ねた。

 まぁ、こうして外壁の上から街を見下ろすと、本当に全くよくはないという気持ちになってくるが、準備は万端なのだから後には退けない。


「ええ。ララ、お願いします」

「それでは失礼」


 ララは先ほどと同じように腰に触手を巻き付けたが、そのまま運ぶ訳ではなく、両腕で俺の身体を支えた。膝の下と、脇の下に腕をくぐらせて、身体の前で横抱きに抱えた。つまりまぁ、言いたくは無いところをあえて分かりやすく言えば、お姫様抱っこというやつだ。


「これはちょっと……色々と恥ずかしいんだけど」


 まさか自分より背の小さい女の子にお姫様抱っこされる日が来るとは思わなかった。子ども扱いされている感が否めない。人前でやられるととんでもなく恥ずかしい格好だ。


「このように腰に触手を巻き付けた上で、私が直接抱えるのが最も安全かと」

「あー……安全第一だよね。安全のためなら仕方ないね?」


 落っことされるよりはマシだ。甘んじて受け入れるとしよう。


「ふっ……勇敢な聖女の出立だというのに、何ともまあ可愛らしいことだな。なぁ、ロイ」

「はっ! はっ!? 可愛らしいというか……いえ決して可愛らしくないというわけではなく!」


 クソ、なんという屈辱だ……こんな状態でいるくらいなら、とっとと空中に放り出される方がよっぽどマシだ。


「もう早く出発して、ララ……」

「それではとっとと片づけて参りましょう。大した力もない人間どもはせいぜい手をこまねいて主様の勇姿を目に焼き付けておきなさい」

「え、何で煽るの? 余計な事言わなくていいから。ルース様もロイさんも、頼りにしてますよ! 何かあったらその時はお願いしますね!?」


 口の悪い我が子を必死で必死でフォロー。

 ルースは苦笑しながら頷き、ロイは真剣な表情で敬礼した。


「それじゃあさようなら」


 ララはそう言うと触手を地面に伸ばし……


 全ての足で勢いよく地面を蹴って、空中へ飛び出した。


 景色と兵士たちの姿が一瞬で過ぎ去り、彼らの話し声も置き去りにしてしまう。視界が青空だけになる。


 重力に喧嘩を売ってゴリゴリと高度を上げたと思えば、ふわりと一瞬、何の支えも無くなったような無重力に投げ出される。ララは強く身体を抱き寄せ、腰に巻き付いた触手も軽く締まった。


 すると今度は、潰され慣れた重力を感じながら地面へと猛スピードで落下していく。


「うぉぉっ……!」


 ズシン、と触手が地面を刺す音が響く。重力で加速された自分の身体が地面の方向へ勢いよく揺れるが、ララの腕が優しくその勢いを消すように支える。屋根の上に着地したようだ。

 しかし休憩している時間などない。

 ララは触手たちで器用に着地の衝撃を吸収すると、その反発をバネにするかのように、すぐに勢いよく飛び出した。


 ……心が休まる暇もない。結構前から全く息をしていない気がする。


「主様。私は嬉しいです」

「な、何がかな!?」


 ララが空を飛びながら、こちらを覗き込んで、話しかけた。

 こちらとしては、乱高下の中で嬉しい経験は、今のところしていませんけどね?


「私、本当に久しぶりに、抱きしめて頂きました」


 それどころじゃないんだけど。まあ言われてみれば、振り落とされないようにほぼ無意識にララの首へと両腕を回していた。


 青空を背負ってこちらを覗き込んでいるララは、風に金の髪を揺らしながら、いつもの無表情ではなく、どこか安心したように微笑んでいた。


 とんでもなく慌てている時でも、そんな見慣れないものを見ると、案外、人はそちらに集中して、少し落ち着くらしい。


 言われてみれば、抱きしめ合ったのはララが生まれた、あの洗礼のキスの時以来かもしれない。

 王都では相部屋だったが、寝る時にやたらと抱きついてくるのを必死に拒絶していた。なんか触手うねらせてて怖かったし。


「この身体に新たに生を受けて、私は人恋しいという感情を知りました。魔物にそのような感情はありませんでしたから」

「こうして欲しかったの?」

「ええ。とても。体温を感じていると、心が安らぎます。人型生物の特権ですね」


 そう言われて意識してみると、いつ死んでもおかしくない状況だからこそ、ララの体温を感じると少しだけ安心する気がした。


 人恋しい、か。王都で過ごしている間、半ば冗談と思って拒絶していたが、ララはララなりに寂しかったのだろうか。いつも無表情だから、どこまで本気かわからないんだよな。


 ララは自称高位生命体だが、魔物でも人間でもない新しい生き物、という意味では、もしかしたら孤独を感じているのかもしれない。


「まぁ……ハグくらいなら、別にいいよ?」

「本当ですか……!」


 そう言うと、余っていた触手が数本、さらに腕や足に巻き付いてきた。


「待った、待った! 普通の手! 普通の手だけにしてね!? 触手は無し!」

「あら? どちらも同じ手ですのに」

「全然違う!」


 付き添ってくれるララを死なせるつもりは無いし、長い付き合いになるだろう。お互いのことは少しずつ理解していけばいい。


 そんなことを考えながらも、忘れないで欲しい。俺は現在進行形で空を飛んでいる。


 ララは今までで一番勢いよく跳んだ。高く飛びすぎて、心臓が口から飛び出るかと思った。


「到着でございます」


 最後の着地を無事終えて、俺たちは中央広場にたどり着いた。

 街の中心にある中央広場には、プールかと思うほどの巨大な白い噴水があり、戦士らしき立派な像がいくつか噴水の中に建てられている。


 その周りは広々とした公園のようになっていて、噴水を囲むようにベンチが設置されており、そのさらに外側に、円形の広場を取り囲むように四、五階建ての建物が並んで、街が広がっていっている。


「ありがとう……あぁ、死ぬかと思った……」


 ララの腕から降ろされ、俺は広場に自分の足で立った。


 広場の中にも多くの穢人がぼーっと突っ立って、動作を停止している。ララが穢人を刺激しないように距離を取って降り立ってくれたため、動き出した者はいなかった。


「穢気溜まりはどこでしょうか。見当たりませんね」


 広場には黒い穢気の水たまりがいくつかあったが、街全体を汚染しているようなものは見当たらなかった。


「ララ、穢人を一人、捕まえて来られる?」

「ではアレにしましょう」


 ララは一歩も動かずに、スカートの裾から触手を伸ばすと、手近な町娘の穢人の腰に巻き付けた。

 暴れ始めたその穢人の手、足にも他の触手を巻き付けて拘束し、仲間を呼ばれないように何と口にも一本触手を突っ込んだ。


「おぉー……完璧。だけど……見た感じは非常に印象が悪いね……」


 どっちが魔物なんだかわからない絵面だが、ララのやり方は正しく正確だ。


「”浄化”なさるおつもりで?」

「やってみよう。普通の人に戻れば、情報を聞き出せるんじゃないか?」

「何という明晰な頭脳。天才という言葉さえも陳腐に感じるほどです」

「天才という言葉でも大げさ極まりないよ」


 暴れようとしても全てを抑え込まれた穢人の町娘の、額にそっと手を置いた。瞳は赤く光り、口を塞がれていなければ噛みついて来そうな狂暴っぷりだ。


 少量の穢気や穢人は、聖女がこうして手を触れるだけで”浄化”が可能だ。明るい光が手のひらから町娘に流れ込み、暴れる身体を落ち着かせていく。


 落ち着いてみれば、綺麗な女性だった。二十代半ばほどの、赤毛が美しい女性だ。エプロンをしているところを見ると、買い物に出て来た主婦か何かだろうか。


「ララ、そろそろ離してあげて」


 落ち着いて来たところを見て、ララは触手の拘束を解いた。正気を取り戻したのか、女性は膝立ちの体勢で、首を振って辺りを見回した。


「あれ……私……うっ」


 急に胸を押さえて、女性はうずくまって咳き込み始めた。

 何故だ? 浄化はうまくいったと思ったが、失敗したのだろうか?


「大丈夫ですか!?」


 近づいて様子を見ると、女性は明らかに何かを吐き出そうとしていた。背中を撫でてそれを手助けしつつ、追加で浄化を試みたが、特に手ごたえは無かった。


「おぇ」


 粘膜が塞がれる嫌な音を立てて、女性の喉を何かが逆流した。そして半固形状のそれは、ぼとりと地面に落ちた。


「これは……スライム!」


 ララが女性が吐き出したものを見て、言った。

 黒く半透明なそれは、墨汁を水で薄く溶かしたような色をしていて、コップ三杯分ほどの量だった。


 吐き出されてから痙攣したようにぷるぷると震えて、しばらくその場に留まっていたが、やがて形を保つのが難しくなったかのようにバシャッと弾けて広がり、小さな水たまりになった。


 しばらく様子を見たが、それ以上その液体は動かなかった。


「浄化されて、形を保てなくなったようです。ひとまず安全です」


 とんでもないものを見てしまった。地球外生命体のパニックムービーかよ。ともかく、街が汚染されてしまったのは、このスライムとやらが原因らしい。

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