第2話 聖女の装い
「ん……」
目を覚ました。光は自分の横から差し込んでいるようだ。やっぱり窓の光というのはそうでなくては。
「メイティア! よかった。目が覚めたのですね……! 本当、無事でよかった!」
上体を起こすと、ベッドの脇に座っていたフィーナが、感動の再会でもしたかのようにぎゅっと抱きついてくる。
出会ってそれほど経っても無いのに、何度も柔らかい胸の感触を味わってしまっている。なんとも感情表現豊かなお方だ。
その柔らかい身体に包まれるのは幸せ以外の何物でもないから、拒絶する理由もない。本当にありがとうございます。
どうやら、今度はちゃんとベッドに寝かされていたようだ。それも、天蓋付きのやたらと大きなベッドだ。
部屋に家具は少なく、壁際の衣装箪笥らしき家具と、中央にある椅子と机を除けば、後は自由に踊っていいよとでも言っているかのような無駄に広々とした空間だ。
柱や壁の装飾は豪邸らしく荘厳なものだ。思えば祭壇も綺麗に切りそろえられた石の建材でできた、やたらと重厚な造りだった。この建物は一体どこなんだろうか。
「すみません、さっきは……何か、吐いてしまって」
「いいのです。あなたが無事ならそれで」
何なのかわからないが、フィーナを汚してしまったことには違いない。フィーナはもう着替えたようで、汚れは残っていなかった。
自分も気を失っている間に服を着せられたようで、いつの間にかフィーナと同じ真っ白のドレスを着せられている。髪も乾いているようで、濡れていた時とは違ってふわふわな感触を頬や首に伝えてくる。
この衣服は……聖女とやらの制服だろうか。胸元は開いており、ロングスカートなのはいいものの、やたらと深くスリットが入っていてふともも周辺が大変危うい。白く柔らかいふとももが、かなり上の方まで顔を覗かせてしまっている。
他人が着ている分には眼福だが、自分が着ているとなると恥ずかしさしかない。胸元も、腰回りも、下着に至るまでの防壁が明らかに足りない。少し動けば空気に触れてスース―する。
「あの、これって。ちょっと俺そういう趣味はないんですがなんとも」
「侍女に手伝わせて着替えさせたのです。男性の目には触れぬよう、ちゃんと配慮していますから、安心してください」
うん、ごめん。裸で産み落とされたその時から、この身体は残念ながらずっと一人の男の目に触れている。
「あの、それなんですけど。実は俺、男の……ただの学生です。なんでこんなことになっているのかわからないんですが」
「男……学生? 生贄の意識が混濁しているのね。最初はみんな悩まされるわ。でも貴女は貴女。メイティアよ」
「生贄……?」
「ああ、ごめんなさい。説明が足りなかったわね。ここは聖女教会の本部です。私たち聖女は、教会のシスターを生贄に召喚されるのです。あなたもそうして呼び出されたのですよ、メイティア」
「まさか」
祭壇の周りで、フィーナと同じ服を着ていた女性達がいた。眠っていたと思っていたが、生贄ということは、もしかして……死んでた? 十人はいたぞ、あそこに。
「俺を呼び出すために、死んだ? あの人たちが?」
「あなたのせいではないわ、メイティア。今は……考えなくていいの」
つまり、自分は他の世界から生贄を使った儀式で召喚された、と。その際身体は女性……聖女のものに変わってしまったということらしい。
そんな馬鹿な。俺はまだ若かったはずだ。輝かしい人生は送っていなかったが、死ぬほど危険な日々を生きていたわけじゃない。ちょっと長めに新作ゲームを遊んだだけじゃないか。
というか、生きてたのに無理やり引っ張ってきたってことか? 何か知らんけど、魂的な、何かを。
「そんな理不尽な。でも……フィーナさんも、聖女なんですよね。同じように召喚されたんでしょう? じゃあ、前世の記憶とかないんですか?」
「前世……? たまに生贄になったシスターたちの記憶の断片がよぎるくらいです。それも次第に無くなります。メイティア、あなたは誰かの生まれ変わりなんかじゃないわ。天体におわす聖母から遣わされたのよ。新たに生まれたの。赤子のようなものよ」
「いえ、でも確かに記憶がはっきりとあるんですよ!」
思わず身を乗り出して、熱弁する。こちとら十年以上生きているんだ。赤ちゃん扱いは勘弁してくれ。
「しっかり、はっきりと記憶があります。こんな身体じゃないし、性別も違うし、自分やフィーナさんみたいな髪や瞳の色の人も、元の世界にはいなかったんです」
「そう……珍しいケースかも。貴女は少し、その、特殊だから」
今まで優しく諭すように語っていたフィーナが、少し目を逸らして口ごもった。一体何が特殊だというのだろうか。置かれた状況、すべて特殊なのは間違いないが……
「でも、聖女として生まれた以上は、ちゃんとそう振舞ってもらわないと駄目よ?」
「おぅっ?」
フィーナはベッドの端に座った俺の脚を、両側から挟み込むようにぐいっと閉じさせた。脚をぱっかーんと開いて座るのは聖女にあるまじき振る舞いらしい。
まあ確かに、閉じていたほうが防御力が少し上がることには間違いない。だったらそもそも防御力の低い衣服を着るなよと。いや男側としては着て欲しいんだけど、ややこしいな!
そんな時、突如部屋の扉を叩く音が聞こえた。
続いて、装飾のついた銀色の輝く鎧を身に付けた、若い金髪の男性が部屋へと入ってきた。
流した前髪の数束が目元へ垂れていて、非常に気障っぽい。鼻は高く、目は切れ長。アクション映画の主人公のヒーローのような顔立ちだ。年齢は二十代前半ほどだろうか。
「ルース様……急なご訪問ですわね。まだメイティアは万全では……」
「すまない。今日はもう戻らなくてはいけないので、顔を出そうと思ってね……君は……」
フィーナは少し迷惑そうに、ルースと呼ばれた男に言った。ルースはこちらを見て、はっとしたような表情を浮かべると、二人の兵士を部屋の入口に待たせ、ベッドのそばへと速足で歩いてきた。
「ああ……君は……ああ、そのままで構わない。無理に立たないで。どの男よりも早く、顔を合わせておきたかったんだ」
「メイティア、この方は騎士、それも王選十騎のお一人、ルース様よ。その、聖女は高名な騎士の伴侶となる習わしがあって……あなたは特別だし、彼も特別だから……つまり……」
「よしてくれ、フィーナさん。周りが勝手に囃し立てているだけのことだよ」
爽やかな笑顔を浮かべて、ルースはフィーナの言葉を遮った。
それってつまり……この男と結婚すると目されているということだろうか?
勘弁してくれ。男と結婚なんてまっぴらだ。近頃風に言えば婚約破棄だ。そもそも婚約してないだろうけど。
「え、えーと。まだ何がなんだか分かっていない状況でして、私としましてはそういったことは早計と言わざるを……」
「そうだろうね、メイティア。君は召喚の儀式を耐え、生き抜いた。強い女性だ。間違いなく」
早口他人行儀ムーブはそれほど効かなかったようだ。言葉は勝手に通じているようだが、ニュアンスはうまく伝わらないのだろうか?
ルースは人の手を勝手にそっと取って、手の甲を撫でながら労るように優しく微笑んだ。
ひぃっ……ぞわっと鳥肌が立つのを感じた。コイツを早くつまみ出してくれ。俺は複雑な表情でフィーナに助けを求めた。
「君は特別だ。僕にはわかる……期待している」
「ちょっと待った。儀式に耐えられなかった人もいるの?」
「ああ。前回の召喚は失敗し、生贄だけでなく、呼び出された聖女までもが白く液体のように」
「ルース様? メイティアは目覚めたばかりなのです。どうか、あまり混乱させないで」
「そうか……そうだな。じゃあ、話を変えよう」
フィーナがルースの言葉を遮り、ルースは言われた通りに話題を変えた。
……いや、続きが物凄く気になる話だったんだけど。しかしフィーナの様子を見るに、これ以上聞くのも藪蛇か。
「フィーナさんから聞いているかもしれないが、さっそく明日、初陣だ。聖女としての力、遺憾なく発揮して欲しい」
「初陣……?」
いきなり物騒な言葉が出てきた。まるで戦えとでも言いたげだ。
「ルース様、そう脅かさなくても。メイティア、形式的なものですよ。聖女は召喚されてすぐ、手近な”
「もちろん、騎士団も同行する。明日の責任者は王選十騎士の、この私、ルースだ。君に危害は及ばないよ、メイティア」
フィーナとルースは胸を張って、守ってやると言っている。頼もしいことこの上ないが、こちらとしてはそれ以前の問題だ。
「まず、穢気溜まりって何……?」
「ええ、今のあなたに必要なのは、聖女に必要な基礎的な知識ですね。ほら、ルース様はそろそろお引き取りになって。生まれたばかりの彼女はこの世界について、まだ学ぶべきことが沢山あるのです」
「はは、手厳しいね。私にそんなことを言えるのは聖女様くらいのものだよ」
フィーナに追い払われたルースは、苦笑しながらも素直に従い、ベッドを離れた。
「今度は二人きりで話そう、メイティア。またね」
ばちこーん、ウインクが飛んでくる。ウインクという文化がこの世界にあってしまったことを俺は呪った。
嫌だ。二人きりは絶対嫌だ。二人っきりだけは避けたい。必ずフィーナも居て欲しい。
……と思いつつも、一応作り笑いを浮かべて頷き、とっとと出て行ってもらうことにした。
「さて、それじゃ、みっちりいきますよ、メイティア。机の方へ移動しましょう」
「えっと、フィーナさん? なんだか、雰囲気が変わりましたか?」
「明日にはあなたの姿は、人々の目に触れるのです。最低限のことは叩き込んでおかなければ。自分のことを男だなんて思い込んでいるのなら、なおさらです!」
フィーナはいつも通りの笑顔だ。しかしその裏側に謎の迫力を感じた。有無を言わせず、色々勉強させられるようだ。
講義をサボったツケをこんなところで払わされるとは。世界を移動したのに姿も現さなかった神様とやらは、どうやら性格が悪いらしい。
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