第3話 姉御のパワー
乗り心地最悪の、見た目だけはやたらといい馬車の中。
俺はにこやかな笑いを顔面に張り付けて、手を振った。
王都の大通りには哀れな国民諸君が詰めかけ、新たな聖女様のお顔を一目見ようと躍起になっている。お手振りは向かいに座っているフィーナの指示で、笑顔を絶やそうものなら観衆からは見えない馬車の中、つま先で脚を小突かれる。
足は閉じ、背筋は伸ばして歩き、髪の乱れはすぐ直し、いつも笑顔。一人称は当然「私」。ルールを守らないと……世界一恐ろしい笑顔を見ることになる。
「はは……本当にすごい人ですね」
もはや乾いた笑いしか出ない。こうして集まって大歓声を上げられると、人々を欺いている感がどうしても拭えない。とはいえ、集まった人がみんな自分を祝福しているかといえば、値踏みするような者や、野次を飛ばす者もしっかりいた。
「皆あなたに期待しているのです」
「俺……痛っ!……私に、ですか?」
ついに蹴られた。くそ、気を付けていたのに。
「今の人々には、何か希望が必要なのです」
「穢気と魔物との戦いは不利なんですよね。こんな賑やかな様子を見ていると、そうは思えないけどな」
ふむ、そこの君。どうやら、この世界の状況に興味があるようじゃな。
よろしい。教えて進ぜよう。退屈しのぎくらいにはなるじゃろう。
聖女には魔物を倒し、穢気を浄化し、祓う力があるんじゃ。びっくりじゃのう。しかし近年の戦いは非常に不利で、戦いや穢気の侵食で多くの人々が亡くなっている。
そんな中召喚されたのがわし、メイティアだというわけじゃ。
しまった。お手振りしている間の頭の中が空虚すぎて、思わず何だか物知りげなじいさんを脳内に召喚してしまった。
そうこうしているうちに、馬車は門をくぐって王都の外に出ていく。街道沿いにも人々の姿はちらほらあったが、王都から離れるにしたがって、その数は減っていった。
騎士団の騎馬や兵士たちに前後を守られながら、馬車は郊外へと進んで行く。護衛は百人いるかいないか程度だろうか。
「この人数いれば、兵士たちだけでなんとかなるんじゃないですか?」
「儀礼的なものですから。本当のところ、ルース様もいらっしゃるし、ゴブリンが数匹現れた程度なんとでもなってしまうでしょうね」
フィーナは苦笑いしながら言った。王都のほど近い場所は、それほど穢気の侵食は激しくない。少しの魔物が現れた程度なら、討伐してしまえば穢気も自然消滅してしまうらしい。人々の身体に影響が及んでいなければ、聖女の出番もない。
平原を進み、林を抜け、幾つかの街や村を通り、一行はようやくその小さな村にたどり着いた。
村はそれほど荒れていなかったが、そこに村人の姿は一人もなかった。
「さあ、手早く済ませよう。村人の避難は完了しているよ」
ルースが馬車の扉を開けて、外へ出るようにと促した。村の中にはすでに兵士たちが展開しており、防御陣形を築いていた。剣を手にした者を前方に、後方には弓や長い杖らしき物を持った兵がいる。
数軒の民家、井戸、教会に役場。必要最低限の施設が揃った、小さな村だ。しかし、地面の所々が漆黒の沼に染まっていた。沼からは黒い気体が湯気のように立ち上っている。
「あれが、穢気……」
「禍々しいでしょう? これでも侵食度合いとしては、極めて低いのです」
フィーナは俺を後ろに控えさせ、これ以上前にでないようにと示した。本当に一人でやるつもりだろうか。見ているだけとはいえ、少し緊張してきたぞ。
「……来ます」
フィーナが小さく呟いた。
カンカンカン、と金属同士を打ち鳴らすような音が響いた。それが村の色々な方角、別々の場所から、広がるように鳴り響き始めた。
犬よりは少し高めの、聞いたことも無い唸り声が響いた。声の方向へ目をやると、民家の屋根の上に、一体のゴブリンが姿を現した。
身長は人間の半分くらい。全身は穢気の泥に浸かったかのように漆黒で、手には包丁のような小さく汚いナイフ。手足は細く、力強そうには見えないが、小鬼らしく尖った鼻と耳を持ち、目は赤く光っている。
素早く威嚇するように動くたびに黒い泥をまき散らしていて、生物的な肌の色の黒さというより、まさに漆のような穢気に染められた色だった。一目見て、邪悪な何かだということが理解できる見た目をしている。
「防御陣形、構え!」
ルースが、大きな声で号令をかける。今までの穏やかな声しか聞いたことが無かったので、少し驚いた。兵士たちは一斉に剣を構え、後ろに控えた弓兵は、弓に矢をつがえた。杖を持った兵は、それを高く掲げて構える。まさかとは思うけど、魔法とか使えるのだろうか。
それぞれの民家の屋根の上に、数体ずつ、ぞろぞろとゴブリンが姿を現わし始めた。気づけば民家の裏から覗いているものや、家の窓から覗くものもいる。
フィーナはゆっくりと歩いて、扇状に広がる兵士たちの防御陣形を抜け、一人で真っ直ぐ村の中心へと進んだ。ゴブリンたちは一定の距離を保ちながらも、フィーナを取り囲むように移動していく。
「え、ちょっと。大丈夫なんですか?」
「フィーナは心配ないよ。私たちは君の護衛に徹する。瞬きする間に彼女が倒してしまうさ」
ルースは隣でそう言うだけで、兵士たちを動かそうとはしなかった。
「”執行”を開始します。聖母よ、どうか力を貸し与え給え……”二光剣”」
フィーナが小さくそう言うと、フィーナのすぐ側に、二筋の白い光が現れ、空中に留まった。
その光は十字架のような形だが、先が尖って刃のようになっており、まさに光の剣のようなものだった。
フィーナが軽く手を振ると、そのふたつの光剣は柄の先を合わせるように一つに繋がった。二つ繋がると、その長さはフィーナの身長を軽く超える、両端に刃のある大剣となった。
「始まるぞ。彼女が第六聖女、”暴風のフィーナ”だ。よく見ておくといい」
なんだ、その、かっこいい二つ名は。俺も欲しい。いつかそういうの名乗りたい。
などと舐めたことを言っている場合ではなかった。そこからは一瞬だった。
フィーナの側から、その大剣が重さを感じさせない挙動で、一直線に民家の屋根へ飛んだ。不思議な見えない力で空中を浮遊し、動き、飛んでいる。
一薙ぎ。立った一薙ぎで、そこにいたゴブリン四体が、胴体を真っ二つにされて吹き飛んだ。
そう思えば、次の瞬間には、その勢いのまま光剣は隣の民家の屋根のゴブリンを薙ぎ倒していた。
続いて地上にいるゴブリンを空から突き刺し、くるくる回転しながら逃げまどうゴブリン達を追いかけ、殺した。
ゴブリンたちの断末魔が響く。討ち漏らし、こちらへ逃げてくるゴブリンは、兵士たちが盾で押し返して、連携して剣で突き殺し、あるいは弓で射殺した。
「うわ、すっご……」
正直、ここだけ見せられたらゴブリンに同情さえしてしまう。一体アイツらが何したってんだよ!
まあ、ここまでされるだけのことを魔物たちはしてきたのだろうけど。聖女の前にゴブリンはあまりに無力だった。
みんなの優しいお姉ちゃん、フィーナは、魔物に容赦がない。ちょっと今後は接し方を考えようかな……
「フィーナさんを本気で怒らせたら、街一つくらいは吹き飛びそうですね?」
そんな、ほんの冗談をルースに言ってみたところ、返事が無い。
わかるよルース。君が彼女との結婚を考えなかった理由はこれだね。だからって俺を選ぶのはもっと悪手だぞ?
「馬鹿な……」
うんうん。同じ気持ちだよ。圧倒的じゃないか……ってね。でも君、フィーナが戦うのを見るのは初めてじゃないよね?
「フィーナ!」
軽くルースの顔を見上げると、とんでもなく焦った表情をしていて、ようやくただ事ではないと気づいた。
何だ? 何にそんなに驚いている?
彼が呼びかけたフィーナの方を見た。
フィーナの前方、少し小高い教会の影から、七~八本もの大きな長い物体が、うねうねと蠢いていた。
いつの間にあんな馬鹿デカいものが……?
巨大なタコの脚? 吸盤は無いが、黒く長いその触手らしきものの動きは、そうとしか例えようが無かった。脈打つような気持ちの悪い、不規則な動きを繰り返している。
とにかく、でかく、長い。巻き付いている教会の塔をへし折ろうと思えば、触手一本で軽々とやれるだろう。タコの頭に頭に当たる部分は無く、ただ中心の円錐状の身体らしきものだけがある。
「嘘……”スキュラ”! どうして!」
フィーナはルースの呼びかけでその化け物に気づき、立ち尽くした。
「撤退して」
フィーナは遠くで振り返って、絶望に歪んだ表情で、言った。離れた場所……そう大きな声ではなかったが、表情も相まって不思議と聞き取れた。
「退いて! 早く!」
ほぼ同時に、フィーナの叫び声をかき消すような、轟音が響いた。
視界の右側の景色が、吹き飛んだ。
役場のような大きな建物、民家が三軒、それらの半分から上が、一瞬で吹き飛んで、大小の瓦礫が後方へ雨のように降り注いだ。
その跡には、伸びきった、一本の黒い触手。弾丸を打ち出すように一気に伸ばしただけで、村の片側半分を吹き飛ばしたのだ。一瞬で。
誰も反応できなかった。当然だ。見えた時には伸びきっていた。飛んできた瓦礫は無慈悲に、兵士たち数人を下敷きにした。恐らく助からないだろう。
「何やってる! 迎撃しろ! 弓を射て!」
ルースが叫び、兵士たちは絶望的な戦いに駆り出された。
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